Grizzly Man=グリズリーマン(ドキュメンタリー)
2006年 02月 13日
2005年にアメリカで結構話題になった映画(ドキュメンタリー)がこのGrizzly Manである。
Reviewも良いようです。こちら。
この主人公の男性Timは昔、アル中で、熊との出会いによって立ち直りアラスカの山に毎年夏滞在し山の中で熊の撮影をしていたのだ。その年も13年めだったそうである。
見た予告編で彼は僕はこの動物達の為だったら死ねると3回も連続して言うシーンがあったほどの入れ込みようで映画のシーンでも彼は隠れたりする事なく、熊にひどく近い距離で映り、その他の動物、キツネなども犬のように彼にまとわりついていた。
野生の熊を撮影したフィルムで人間と熊があんなに至近距離で映っている物を見た事がない。
そして彼はある日、熊に襲われて死んだのである。
その模様はカメラにキャップが掛かっていた為に映像はないが声は残っていたそうである。こんなにひどい有様の襲撃はないほどひどかったそうだ。
僕は熊のためなら死ぬといった彼は熊によって引き裂かれ文字通り、肉片となって死んだのである。
彼のGFも彼を助けようとして同じように死んだ。彼は助けないで自分は逃げて助かるように言っていたらしいが、フライパンなどで殴ったりして応戦したらしい。
何日かして二人の死体は発見された。
賞を受賞し話題のドキュメンタリーである。
街猫は常に野生動物と友になるだの不可能な事で人間の傲慢さだと思うのだ。動物には人間のような繊細な感情はない。
見ている途中で気分を害した。どんどん募るフラストレーションよ。
彼は精神病なのだ。躁うつ病なのだ。それなのに治療も受けないでこんなところで自分の命を危険にさらしている。
これは単にアルコールで日々少しづつ自分を殺していた彼のそのリスク行動が熊によって代替されただけである。
結局このTimが行ったアラスカの土地は地元の人でも避ける熊の密集地帯である。
熊にあわなければならなかった理由はこのリスク行動のせいだと思う。だからアルコールがやめられたのだ。熊によって命が脅かされているという事実があるからこそ彼は自分の命にリスクを犯していられたからこそアルコールや薬物に手をださないで居られたのだと思う。
一見美談に見えるこの薬物からの立ち直りも街猫には全く異なって見えるのである。同じ動物でもやっぱり犬じゃ駄目だろうよ。危険じゃないし。動物セラピーじゃないんだから。
Self Riskingで塔に登ったり高速道路でウロウロしたりすればいっぺんで警察に捕まりこいつは可笑しいと病院に行くように言うはずである。
しかし、熊を守る為にアラスカに行くと言った男には世間は好意的であり、しかもTimはこの活動で多大な寄付を集めているのである。
両者に違いはないと思う。自分をリスクのある立場においてそれをエンジョイする点では全く変わりはないのだ。
アメリカ人なのに変なアクセントで喋るのもその方がイメージが良いと自分で判断してそうしているのだそうだ。この辺りが少しManipulative。
オーストラリア生まれの孤児であると自分の生い立ちを話していたそうである。やっぱりAttentionが欲しいか~。
ガールフレンドが同行しているのも一人で来た風に撮らなければと細工したりするところもあった。地球上で一番危険なところに一人で武器を持たずに来ている、と鼻を膨らませて興奮して豪語していた彼。
ガールフレンドのAmyのまわすカメラの前で…。
時々自分の行動をコントロールできないほどの怒りを爆発させたり…この人は病んでいる。
実際に躁うつ病と診断されていたのだそうだ。しかし、そうと鬱のUp and downがないと自分らしくないという判断の元に治療をやめてしまう。
勿論この国にはそういう人に治療を義務付ける法律はない。70年代の精神病院の閉鎖による改革により、治療を受けるも受けないも患者次第になってしまった。
今もこの問題は精神病の患者が人を傷つけたりするたびに表面化し、人権重視と人々の安全の重視の間で揺れ動いているのだ。
結局、自分がリスク行動の果てに招いた事とは言え彼は死んでしまった。ガールフレンドも。
メンタルヘルスのFieldの人間としてフラストレーションが募るこの映画。
そううつで苦しかっただろうな~。でも人々はそんな事に気がつかず、ただのNatural weirdo、自然主義者と思って何年も資金の援助を行っているのである。
Fund raisingを堂々と毎年アラスカに行けるだけ行えたのである。誰も彼の異常に気がつかず。
熊の命が危険にさらされていると信じ込み、地元の人たちと常に一線を画し、見かけたら隠れたり…。
このTimはアラスカ州の法律であるあの土地でテントを張ってはいけないとか熊に100フィート以内に近づいてはいけないとか言う法律を破り、そしてパークレンジャーを攻撃したそうだ。
熊が実際に人間を食べる事は稀で20年間に2件だけだったそうだ。そのうちの一件がこの事件である。
Filmを見ていて地元の人が川岸に居ると一頭の熊がどんどん人間に近づいていった。遠ざける為に石を投げてけん制していたが、それも又Timの怒りを助長させていた。
でも結局、Timによって人間に近づく事を覚えた熊なのだ。
誰もがTimのように熊にIt's ok. I love you.と近づいて行くわけではないのである。少なくても普通の人はごめんである。
地元の人たちや専門家は、彼こそ、何千年も続いた人間と動物との境界線を犯し、全ての人間とそして熊を危険にさらしたと言う。
彼の存在により熊は人を恐れなくなり、近寄るようになり、そして人間に危害が加わりそうになれば熊を追い払わなければならない。傷つけるかもしれないのに。
しかし、彼には熊の命が危険にさらされていると言う事が事実であったのだ。信じていたのだから、きっと支援者も彼に説得されただろう。信じるものは強い。
被害妄想、精神病の症状でもある。あまりにも安易に型にはめたくないと思ってもそれでも、やっぱりそう思ってしまう。
かわいそう過ぎる結末である。
Filmの1/3くらいのところでもうTimが抱えている問題を理解した街猫は後は本当に見ているのが苦痛だった。
映像は美しいし、Mental healthのプロでなければ美しい悲しい物語として楽しめるのではないだろうか?それとも、どうだろうか? Imdb.comでも分裂症か?儀式的な自殺では?という意見もあるようである。
この国の慈善や自然保護欲を刺激し、これに関わる人達はただ単にTimは良い意味で変わり者というスタンスなのだ。そして寄付をする。
絶対的な皮肉と言うかシニカルさを描けたところは評価するし、一見に値すると思う。
とにかくご覧ください。
Grade:A-
映画の部門は街猫日記 IIに更新しています。
こちらをご覧ください。
February 12, 2006 7:33pm (EST)
Reviewも良いようです。こちら。
この主人公の男性Timは昔、アル中で、熊との出会いによって立ち直りアラスカの山に毎年夏滞在し山の中で熊の撮影をしていたのだ。その年も13年めだったそうである。
見た予告編で彼は僕はこの動物達の為だったら死ねると3回も連続して言うシーンがあったほどの入れ込みようで映画のシーンでも彼は隠れたりする事なく、熊にひどく近い距離で映り、その他の動物、キツネなども犬のように彼にまとわりついていた。
野生の熊を撮影したフィルムで人間と熊があんなに至近距離で映っている物を見た事がない。
そして彼はある日、熊に襲われて死んだのである。
その模様はカメラにキャップが掛かっていた為に映像はないが声は残っていたそうである。こんなにひどい有様の襲撃はないほどひどかったそうだ。
僕は熊のためなら死ぬといった彼は熊によって引き裂かれ文字通り、肉片となって死んだのである。
彼のGFも彼を助けようとして同じように死んだ。彼は助けないで自分は逃げて助かるように言っていたらしいが、フライパンなどで殴ったりして応戦したらしい。
何日かして二人の死体は発見された。
賞を受賞し話題のドキュメンタリーである。
街猫は常に野生動物と友になるだの不可能な事で人間の傲慢さだと思うのだ。動物には人間のような繊細な感情はない。
見ている途中で気分を害した。どんどん募るフラストレーションよ。
彼は精神病なのだ。躁うつ病なのだ。それなのに治療も受けないでこんなところで自分の命を危険にさらしている。
これは単にアルコールで日々少しづつ自分を殺していた彼のそのリスク行動が熊によって代替されただけである。
結局このTimが行ったアラスカの土地は地元の人でも避ける熊の密集地帯である。
熊にあわなければならなかった理由はこのリスク行動のせいだと思う。だからアルコールがやめられたのだ。熊によって命が脅かされているという事実があるからこそ彼は自分の命にリスクを犯していられたからこそアルコールや薬物に手をださないで居られたのだと思う。
一見美談に見えるこの薬物からの立ち直りも街猫には全く異なって見えるのである。同じ動物でもやっぱり犬じゃ駄目だろうよ。危険じゃないし。動物セラピーじゃないんだから。
Self Riskingで塔に登ったり高速道路でウロウロしたりすればいっぺんで警察に捕まりこいつは可笑しいと病院に行くように言うはずである。
しかし、熊を守る為にアラスカに行くと言った男には世間は好意的であり、しかもTimはこの活動で多大な寄付を集めているのである。
両者に違いはないと思う。自分をリスクのある立場においてそれをエンジョイする点では全く変わりはないのだ。
アメリカ人なのに変なアクセントで喋るのもその方がイメージが良いと自分で判断してそうしているのだそうだ。この辺りが少しManipulative。
オーストラリア生まれの孤児であると自分の生い立ちを話していたそうである。やっぱりAttentionが欲しいか~。
ガールフレンドが同行しているのも一人で来た風に撮らなければと細工したりするところもあった。地球上で一番危険なところに一人で武器を持たずに来ている、と鼻を膨らませて興奮して豪語していた彼。
ガールフレンドのAmyのまわすカメラの前で…。
時々自分の行動をコントロールできないほどの怒りを爆発させたり…この人は病んでいる。
実際に躁うつ病と診断されていたのだそうだ。しかし、そうと鬱のUp and downがないと自分らしくないという判断の元に治療をやめてしまう。
勿論この国にはそういう人に治療を義務付ける法律はない。70年代の精神病院の閉鎖による改革により、治療を受けるも受けないも患者次第になってしまった。
今もこの問題は精神病の患者が人を傷つけたりするたびに表面化し、人権重視と人々の安全の重視の間で揺れ動いているのだ。
結局、自分がリスク行動の果てに招いた事とは言え彼は死んでしまった。ガールフレンドも。
メンタルヘルスのFieldの人間としてフラストレーションが募るこの映画。
そううつで苦しかっただろうな~。でも人々はそんな事に気がつかず、ただのNatural weirdo、自然主義者と思って何年も資金の援助を行っているのである。
Fund raisingを堂々と毎年アラスカに行けるだけ行えたのである。誰も彼の異常に気がつかず。
熊の命が危険にさらされていると信じ込み、地元の人たちと常に一線を画し、見かけたら隠れたり…。
このTimはアラスカ州の法律であるあの土地でテントを張ってはいけないとか熊に100フィート以内に近づいてはいけないとか言う法律を破り、そしてパークレンジャーを攻撃したそうだ。
熊が実際に人間を食べる事は稀で20年間に2件だけだったそうだ。そのうちの一件がこの事件である。
Filmを見ていて地元の人が川岸に居ると一頭の熊がどんどん人間に近づいていった。遠ざける為に石を投げてけん制していたが、それも又Timの怒りを助長させていた。
でも結局、Timによって人間に近づく事を覚えた熊なのだ。
誰もがTimのように熊にIt's ok. I love you.と近づいて行くわけではないのである。少なくても普通の人はごめんである。
地元の人たちや専門家は、彼こそ、何千年も続いた人間と動物との境界線を犯し、全ての人間とそして熊を危険にさらしたと言う。
彼の存在により熊は人を恐れなくなり、近寄るようになり、そして人間に危害が加わりそうになれば熊を追い払わなければならない。傷つけるかもしれないのに。
しかし、彼には熊の命が危険にさらされていると言う事が事実であったのだ。信じていたのだから、きっと支援者も彼に説得されただろう。信じるものは強い。
被害妄想、精神病の症状でもある。あまりにも安易に型にはめたくないと思ってもそれでも、やっぱりそう思ってしまう。
かわいそう過ぎる結末である。
Filmの1/3くらいのところでもうTimが抱えている問題を理解した街猫は後は本当に見ているのが苦痛だった。
映像は美しいし、Mental healthのプロでなければ美しい悲しい物語として楽しめるのではないだろうか?それとも、どうだろうか? Imdb.comでも分裂症か?儀式的な自殺では?という意見もあるようである。
この国の慈善や自然保護欲を刺激し、これに関わる人達はただ単にTimは良い意味で変わり者というスタンスなのだ。そして寄付をする。
絶対的な皮肉と言うかシニカルさを描けたところは評価するし、一見に値すると思う。
とにかくご覧ください。
Grade:A-
映画の部門は街猫日記 IIに更新しています。
こちらをご覧ください。
February 12, 2006 7:33pm (EST)
by Nycdiary
| 2006-02-13 09:38
| Movies/TV