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「あれっ? びっくりしました」中村憲剛が驚いた長谷部誠のキャラクター変化「最初に会った時は“自分がやりたいことを主張する”印象でしたが…」

posted2024/12/10 17:09

 
「あれっ? びっくりしました」中村憲剛が驚いた長谷部誠のキャラクター変化「最初に会った時は“自分がやりたいことを主張する”印象でしたが…」<Number Web> photograph by Getty Images

日本代表での中村憲剛(左)と長谷部誠。憲剛は代表活動の中で長谷部の変化に驚いたという

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中村憲剛

中村憲剛Kengo Nakamura

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「才能」とはいったい何なのか? この究極の難問に元サッカー日本代表にして川崎フロンターレのレジェンド、中村憲剛が挑んだ。『才能発見 「考える力」は勝利への近道』(中村憲剛著/文藝春秋刊)の中から「ポジション変更をきっかけに」「キャラクターを変える」の項を抜粋して紹介します。<全3回の第2回/第3回へ>

ポジション変更をきっかけに 

 ポジション変更をキャリアアップにつなげた選手は、実は意外なほど多いのです。

 日本代表で長く活躍した内田篤人と酒井宏樹は、攻撃的なポジションからサイドバックへコンバートされました。左サイドバックの第一人者として長く戦ってきた長友佑都も、明治大学在籍時にボランチからサイドバックへコンバートされています。川崎フロンターレでチームメイトだった右サイドバックの山根視来(みき)も、大学時代はウイングだったそうです。

 香川真司は高校生年代まではボランチで、サイドバックで起用されたこともあります。トップ下で活躍したイメージが強いですが、プロ入り前は様々なポジションでプレーしていました。

 海外へ目を移せば、元ウェールズ代表のギャレス・ベイルの名前が挙げられます。彼は左サイドバックとしてプロデビューを飾り、移籍をきっかけに攻撃的なポジションで起用されるようになりました。プレミアリーグのトッテナム、ラ・リーガのレアル・マドリードとビッグクラブを渡り歩いたキャリアは、コンバートによって築かれたと言っていいかもしれません。

長谷部誠のイメージ

 長谷部誠も、プレーヤー像をどんどんと変えていきました。

 イビチャ・オシムさんの日本代表で一緒にプレーしていた当時は、3列目からドリブルで持ち運んでスルーパスを出す、といった印象でした。浦和レッズでは攻撃的なポジションも任されていたので、どちらかと言えばオフェンシブな選手とのイメージが強かったのではないでしょうか。

 2008年にドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクへ移籍すると、2シーズン目から右サイドバックで起用されるようになりました。彼なりの葛藤はあったはずですが、監督に求められていること、チームの利益になることを追求した結果として、 本職ではないポジションを受け入れたのでしょう。「自分が何をすれば試合に出られるのか」ということを察知するアンテナは、ものすごく高い選手なのです。

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