Number ExBACK NUMBER
「あの過ちがなければ…」“世界一のバドミントン選手”桃田賢斗がいま明かす“恩返し”の転機「本当に自分が変わらないといけないと思った」《NumberTV》
posted2024/12/05 11:06
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Tomosuke Imai
【初出:Number1110号[挫折地点を語る]桃田賢斗「奈落で見つけた新しい自分」より】
本当に自分が変わらなければと思った
スポーツの世界で「天国と地獄を味わう」という言葉を聞くのは決して珍しいことではない。しかし、20代のわずか10年間でこれほどの標高差を複数回にわたって経験した日本人アスリートはいるまい。
バドミントン男子シングルスの元世界ランク1位、桃田賢斗(NTT東日本)。栄光の記憶としては2018、19年の世界選手権連覇や、19年に国際大会で年間11勝を挙げ、マレーシアの英雄であるリー・チョンウェイが持っていた年間10勝の最多記録 を塗り替えたことが挙げられる。18年9月から21年11月まで通算121週にわたって世界ランク1位に君臨したというとてつもない実績もある。
しかし、多くの栄光に輝いた反面、奈落を見るような経験もあった。16年リオデジャネイロ五輪は不祥事で出場が叶わず、20年1月には海外ツアー中の移動時に交通事故に遭って全身打撲と右眼の眼窩底を骨折する大けがを負った。物が二重に見えるなどの後遺症にも苦しみながらどうにか這い上がったが、21年東京五輪では2回戦敗退 を喫した。
そんな桃田が「挫折地点」として真っ先に思い浮かべる情景はどこなのか。
「2016年に違法賭博で謹慎処分を受けた時が一番苦しい時間だったと思います」
桃田はためらうことなく自ら切り出し、このように続けた。
「挫折というよりも、自分の甘い気持ちが招いてしまったことではあるのですが、本当に自分が変わらなければいけないと思った出来事でした」
あの過ちがなければ…大きな転機とは?
桃田は高校時代の12年に日本人として史上初めて世界ジュニア選手権男子シングルスで優勝し、14年には日本代表として国別対抗のトマス杯に初出場。全試合無敗で日本の初優勝に大きく貢献している。また、翌15年には世界ランク3位に上昇し、年末のワールドスーパーシリーズファイナルズを21歳で制した。飛ぶ鳥を落とす勢い。そんな枕詞がピッタリのタイミングで発覚したのが、違法賭博事件だ。あの過ちがなければどのような競技人生になっていたと想像しているのだろうか。
「あれがなかったら世界ランク1位になったり、世界選手権で優勝したりすることはできなかったんじゃないかと思っています。もうバドミントン競技を続けられないかもしれないという覚悟も持った中、それでもNTT東日本は僕をチームに受け入れてくれました。自分が本気で変わって恩返しするしかないと思ったのはその時です。競技というよりは、生活や人としての部分で大きな転機になりました」
そこから1年余りに及ぶ謹慎処分が解け、復帰戦となった17年5月の日本ランキングサーキット大会。桃田は見事に優勝を飾ると、コートに突っ伏して背中を震わせながら泣いた。観客席で見守った大勢のバドミントンファン、そして大会運営のスタッフや審判たちも涙を拭っていた。
<後編へ続く>
【番組を見る】NumberTV「#10 桃田賢斗 どん底から這い上がって。」はこちらからご覧いただけます。