IRライトを点すと、坑道奥の様子を映すウィンドウに動きが見えたような気がした。突如、何かが間近に迫る気配。甲高い擦れ音が近くで響く。妙に生臭い空気。何かがいる。すぐ近くに。
正体不明の存在が、自分の側で息を潜める恐怖に心が凍る。と、不意に後ろ襟を掴まれ、強い力で引かれた。なぜか宙を浮く感覚の後、すぐに後頭部と背中に大きな衝撃。息ができない。耳にソニアの声。彼女は何を言っているのだろう。ヘルメット越しとは言え、頭を強打したせいか、何だか意識がボンヤリする。視界は暗く、何も見えない。
『早くIRを切って! それはアタシじゃ操作できないの! 早く!!』
銃のライトを消せということか? 再び呼吸が戻り、ソニアの言わんとすることを理解した僕は、暗闇に何も見えないなか、銃の左側に備わるライトのスイッチを手探りで探し当てて、それを押す。
ソニアの緊迫した声と、ライトを消すという目的を持った行動をとるうちに、意識が次第にはっきりしてきた。あらためて周囲を見回すが、辺りは闇のままだ。ただ、何かがぶつかり合うような鈍い音が、坑道内に響いている。
「ソニア、一体何が……」
『IRライトを付けた瞬間、あの魔物がアンタのすぐ側に迫ってきたのよ。ほんの一瞬のことだった。中佐が咄嗟にアンタを掴んで投げ飛ばしてくれなかったら、あえなくやられていたわ』
そういえば、強い力で後ろに引かれて姿勢を崩した際、銃のIRライトが放つ眩しい緑色の中に、一瞬何かが見えたような気がする。人でも獣でもない、異質な何かが。
「あれは一体何だったんだ……。いや! そんなことよりマーサは! あいつは大丈夫なのかっ!?」
『中佐は魔物と交戦中よ。でも、大丈夫。今はなんとか互角に戦えてるみたい。さすがは戦闘部族の巨人だけのことはあるようね』
彼女の言葉に状況を理解した僕は、真っ暗闇の中、敵の様子を確認するために起き上がろうとしたが、すぐにソニアに止められた。
『ちょっと待って! 今アンタは、放置されたゴンドラの陰で倒れているの。中佐に投げ飛ばされた先が、偶然ここだったのよ。ホントに運がよかったわ。投げ飛ばされたすぐ後に、あの魔物がIRの光を追って来ようとしたけど、中佐が行く手を阻んでくれた。赤外線の照射が無い今は、魔物は中佐の相手に夢中で、アンタには興味を持ってないみたい。ほら、聞こえるでしょ? 向こうで中佐が戦っている音が』
先程から聞こえる大きな音。金属と何か硬い物がぶつかり合うような鈍い音が、闇の坑道一杯に響き渡っている。戦うマーサの支援に入るために辺りの様子を窺うが、全くの闇が僕の目を包んでいた。
「ソニア、さっきから真っ暗で何も見えない。一体どうしたんだ? IRライトのスイッチを切れって言ったけど、切る前も切った後も真っ暗で、何も見えないままだよ」
『映像処理系が落ちたの。他のセンサー関連も相変わらずダメなまま。診断プログラムもエラーを吐き続けている。現在、戦闘支援システムは完全にダウンしているわ。まさかあの魔物、EMP攻撃を仕掛けてきたって訳じゃないでしょうね。まあ、そんな様子は無さそうだったけど』
「大丈夫なのか、ソニア! どこか傷めたのかっ!?」
『アタシは大丈夫、と言いたいところだけど、非常にまずいわ。生きているのは、赤外線暗視機能とノーマルカメラ、そして音声処理系のみ。アタシには周りの様子が辛うじて見えるけど、映像をディスプレイに回せないから、アンタの支援が出来ないの』
「それって、どういう意味だよ」
『ゴーグルは無用の長物になったってこと。今はアンタの肉眼だけが頼りだわ。でも、それだけじゃないのよ……。自己診断プログラムによれば、メインの量子演算回路どころか、サブユニットの中央演算処理装置も落ちていて、リブートさえ出来ないみたい。でもそれだったら、アタシは何も考えられないはずだし、こうやってアンタと話せるはずがないんだけど……。まあとにかく、今のアタシは全く役に立たないポンコツって事よ。悔しいけどさ』
口調はいつもの彼女だが、こんなに具合の悪そうなソニアは初めてだ。なんだか彼女が消えてしまいそうな気がする。このまま会話が途切れ、続く言葉が永遠に聞こえてこないのではないか。あの澄んだ紅玉の瞳と、再び見つめ合うことができないのではないか。
今までに感じたことのない恐怖が、僕の心を苛む。早くこの場から離れ、地上に戻り、ソニアが回復するまで見守りたい。その思いに、胸が強く締め付けられる。
「ソニア、今すぐ帰ろう! 地上に戻ればきっと治るよ!」
『アタシは大丈夫よ。自分のことはよく分かってるつもり。自己診断プログラムなんかより何倍もね。アンタはアタシの心配なんてしなくてもいいの。それより今は、あの魔物を退治して、知り合いを助けるのが優先じゃないの? そのために、アタシの反対を押し切ってまで、ここに来たんでしょ? 確かにアタシはこの作戦に反対はしたけど、一度認めた以上は成功させたい。なのに、アタシが原因で作戦中止だなんて、そんな屈辱的なことは絶対にさせないわよ!』
ソニアの強い口調に、僕は考え直した。確かに彼女の言うとおりだ。ここまできて、おめおめと地上に戻るわけには行かない。たとえポグラン達を救えず、遺体の回収が叶わなくとも、せめて仇だけは討ってやらなければ。
僕は魔物の注意を引かないようにゆっくりと起き上がり、何も映らないゴーグルを跳ね上げた。そして、自分の目だけで周りを見回すと、僅かな魔石の輝きに浮かぶ坑道の岩肌が、間近に辛うじて見える。その反対側には、平らな板壁らしきものがあるようだ。どうやら僕は、ソニアの言うように、岩肌がむき出しの坑道の壁とゴンドラの間にいるらしい。
ゴンドラの陰から少しだけ顔を覗かせ、斬撃音が聞こえる方向を見るが、あまりにも微かな魔石の光では何も見えない。だが、そこで二つの影がぶつかり合っていることは、伝わる気配が物語っている。マーサが近接戦闘をしている限り、無闇に銃弾を撃ち込むわけにもいかない。さて、どう戦うべきなのか。
「マーサは暗くても相手の気配が判るって言ってたけど、なんで魔物もこんな暗闇で戦えるんだ?」
『おそらく、あの魔物は赤外線が見えるんだと思う。アンタも見たことがあるはずよ? サーモグラフモードを。あれと同じ光景を、あの魔物も見ているのよ。さっき、あの魔物が意図的に松明の火を消したんじゃないかって、中佐と話してたでしょ? たぶん、あの魔物は、松明の明かりが人間の視覚の拠り所だって知っているんじゃないかしら。だから最初に、炎を消しに来る。そしてその後、人体の放つ赤外線を追いながら、光を失って右往左往する人間を嬲り殺しにするってわけよ』
「でも、僕たちは松明を使ってなかったぞ」
『だから、火が放つ赤外線が危険だって事なの。さっき使ったIRライトは、炎よりも強力な赤外線を発するんだから、アンタが襲われたのは当然のこと。そしてそれは、アタシの判断ミス。アンタが踏み込んだ情報収集を提案してきたときに、そこまで想定しておくべきだったの。中佐の言葉に気がついた時には遅かったわ。本当にごめんなさい……』
ソニアは自分の判断が誤りだったと僕に謝る。素直な彼女に、直面する問題の大きさが窺えた。
そうか。あの魔物には、僕たちの体の温もりが見えているのだ。サーモグラフモードの魔鏡に映る黄色や赤の人影のように。だから、この暗い坑道内でも確実に人間を仕留めることが出来るのだ。ソニアの言葉に納得しかけたが、ふと疑問が頭に浮かぶ。
この前の盗賊戦の際、馬車内にいた盗賊の黄色い姿を確認できた。つまり板壁の向こうの様子が見えていたわけだ。ならば、すぐそこにいる魔物にも、それができるのではないか。今この瞬間、ゴンドラの板を通してこちらの姿が見えているのではないか? 疑問をぶつけると、ソニアは答えてくれた。
『それなら大丈夫だと思うわ。壁を通した熱源感知は無理なはずよ。このゴンドラの木板程度でも、体温程度の熱は遮断できるはず。だから、こちらの姿は魔物には見えていないと思う』
「でもルーシャル街道では、馬車内の盗賊の姿を君は見せてくれたよね。あれと同じ事が魔物にできないとは限らないだろ」
『おそらくそれはないわ。あの時アタシが馬車の中の盗賊を映し出したのは、熱感知センサーだけじゃなくて、壁透過レーダーも併用していたからなの。一から十ギガヘルツ帯域のマイクロ波を、ヘルメットの両端にある二つの指向性アンテナから発信して敵の場所を確定し、その位置へ熱感知センサーと同様のグラフィックを投影したのが、アンタが見たあの映像よ』
「ソニアの話はいつも難しすぎるよ。つまり、どういうことなのさ」
『だからアタシと違って、あの魔物には、ゴンドラに隠れたアンタを見つけられないって事よ。ホントに物わかりが悪いわね、アンタって』
姿を消したままではあるものの、いつもの調子で語りかけてくるソニアの言葉に、少しばかり安心した。だが、状況が不利なことには変わりが無い。
「よく分からないけど、わかった。とにかく今は、フラッシュライトの明かりで照らして、魔物に銃弾を叩き込んでやる。相手の姿さえ見えれば、戦いようがあるさ」
『たしかに通常の白色LEDなら、IRよりも赤外線量は少ないわ。でも皆無じゃない。むしろ輝度が高くて明るすぎるから、余計に刺激を与えるかも知れないわ』
「でもこのままじゃ、何も見えないじゃないか。こんな状態で、マーサの援護射撃なんかできるわけがない。魔物へ近づくことさえ、ままならないよ。とにかく周りが見えないと話が始まらない。たとえ奴の注意を引こうともね。いや、いっそのこと、注意をこちらへ引きつけて、迫る魔物に至近距離で銃弾を叩き込めばそれで終わりさ。いくら硬いって言ったって、小銃弾に耐えられるわけがないだろ」
『それはそうかも知れない。でも万一、銃が効かなかったらどうするのよ。化け物を前にして死を待つだけじゃない。それよりも、赤外線がアイツの拠り所だって言うんだったら、こっちにも対応の仕方があるわ。ちょっと、アイテムバッグを開けてみて』
離れた場所から聞こえる剣の音とマーサの荒い息づかいに、すぐにでも駆けつけたいと気が焦る。だが、焦りに基づく拙速な行動が破滅を招いた事例を、ギルドポーター時代に数多く見てきた。心の乱れは、目前の魔物よりも恐ろしいものだ。
自分の心を戒めながら、ソニアの言葉に僕は従う。魔物の注意を引かないようにゴンドラの陰に屈んだまま、背嚢を背中から下ろす。そして銃を地面に置き、ポーチから携帯用の小さなフラッシュライトを取り出して点すと、銃に備わるライトほど強力ではないものの、拡散しないその光は、確実に見たい場所を適度に明るくしてくれる。それを口に咥えて手元を照らしながら背嚢を開き、中のアイテムバッグからソニアが言うものを取りだした。
今、僕の手には、サバイバルブランケットという畳まれたシーツのようなものが一つと、IRケミカルライトという長細い棒が一本ある。アイテムバッグに入れていたためか、いずれもキンキンに冷えていた。
『このブランケットを羽織ると、蒸着されたアルミが体温を反射して暖かさを保つの。つまり、赤外線を遮断するから、あの魔物から姿を隠せるはず。もちろん、ブランケット自体が熱を帯びるまでの一時的なものだけどね』
彼女の言葉を聞きながら、畳まれたブランケットを少しばかり広げてみる。それは結構な大きさで、僕一人ぐらいならば、すっぽりと全身を覆えそうだった。
『それと、このケミカルライトは見たことがあるでしょ? 以前、ダンプポーチの横に差していたものよ。使うことがないだろうし、衝撃で折ってしまう恐れもあったから背嚢にしまっていたけど、こんなところで使うことになるなんてね』
「一体これをどう使うのさ」
『とりあえず、アンタはブランケットで全身を覆い隠すの。そうすれば、あの魔物にこちらの姿を見られても、おそらく気付かれないわ。そして、あいつの背後に向かってケミカルライトを投げる。これは赤外線発光タイプだから、アイツは松明の炎だと勘違いするかも知れない。そうすれば、偽の炎を追うアイツは中佐から離れるはず。そして、ケミカルライトを消そうと躍起になっている魔物に、フルメタルジャケットをご馳走してやるのよ』
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うさみしん
1,000pt 100pt 2023年11月7日 0時52分
緊迫してまいりました! ソニアが替えの利くただの道具なら暗視装置オンにして囮に使う手もあるのですが、そうもいかんとです押忍。2人が後方でまごついてる間にマーサが踏ん張ってくれていますが、これもいつまで保つのか。怪我してないか心配ですぞ押忍!
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うさみしん
2023年11月7日 0時52分
乃木重獏久
2023年11月8日 0時10分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます。ノエルに説明しても分からないので、ソニアは自身の不具合の詳細を全て話してはいないようです。まもなく敵が明らかになりますので、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2023年11月8日 0時10分
羽山一明
1,000pt 100pt 2022年1月28日 2時05分
視界のない恐怖は、戦闘の難易度を何倍にも跳ね上げますね。赤外線を捉える錐体細胞の進化は、明かりのない世界にて産まれた突然変異か。いずれにせよ、常識の通用しない存在であることに疑いの余地はありませんが、それは魔物の専売特許ではない。いざ、剣と弓矢を弾く化け物に、現代科学の洗礼を!
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羽山一明
2022年1月28日 2時05分
乃木重獏久
2022年1月29日 0時50分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! さて、この魔物の正体は次話にて明らかになりますが、ソニアの不調の中、ノエル達はどう戦うのでしょうか。この先の戦いをお確かめいただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2022年1月29日 0時50分
tm
1,000pt 100pt 2021年4月21日 15時16分
ファンタジーでここまで詳細に現代の重火器について知ることができる作品はなかなか無いと思います。 マーサ強いですね……。これまで強みであった視界を塞がれたことで、今まで以上に緊張感のある戦闘になっていると思います。ソニアの言い回しも格好いい。
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tm
2021年4月21日 15時16分
乃木重獏久
2021年4月21日 23時44分
いつも多大な応援をいただき、ありがとうございます! いつも頂戴するお言葉のおかげでモチベーションが維持できております。緊張感のある戦闘とのお言葉、とても嬉しいです。ソニアの言い回しもお褒めいただき、感激です! 次話もお楽しみいただけますように頑張ります!
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乃木重獏久
2021年4月21日 23時44分
長月 鳥
500pt 50pt 2021年4月20日 22時32分
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長月 鳥
2021年4月20日 22時32分
乃木重獏久
2021年4月21日 23時26分
いつも多大な応援ありがとうございます。頂戴するお言葉や応援に励まされております。次の更新に向けて頑張っておりますので、次話もお楽しみいただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年4月21日 23時26分
忠行
500pt 10pt 2021年4月20日 6時47分
謎の怪物の正体が気になります!
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忠行
2021年4月20日 6時47分
乃木重獏久
2021年4月20日 21時34分
いつも多大な応援を頂戴しまして、感謝いたします! 間もなく、怪物の正体が明らかになります。読者の皆様を失望させてしまわないかと内心ドキドキ、ヒヤヒヤしながら、書き進めているところです。今まで頂戴したお言葉を励みに、次の更新に向けて頑張ります。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年4月20日 21時34分
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