「畑を荒らすな」という言葉を抱えて(文学フリマ東京41後記)
出店者が「自分が〈文学〉だと信じるもの」を自らの手で販売します。
文フリのコンセプト文を読んだ時、シンプルにすごくいい、と感じた。「人が文学だと認めるもの」じゃなく、「自分が文学だと信じるもの」。
その信念さえあれば、私も参加していいんじゃないだろうかと思った。職業作家であるかはどうかは関係なく、自分の、自分だけが信じる文学があれば、私も他の参加者と同じなんじゃないかと。
実際、運営サイトのページに飛んでみると、文学フリマとは、
既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表できる「場」を提供すること、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」をつくることを目的とし、プロ・アマといった垣根も取り払って、すべての人が〈文学〉の担い手となることができるイベントとして構想されました。
と記載されている。
この下に続く〈文学フリマの始まり〉という章を読むまで、私は評論家の大塚英志さんと作家の笙野頼子さんの『純文学論争』の中で、第一回の開催の呼びかけが行われた、というその歴史を全く知らなかった。
文フリのルーツが私達のような純文作家のためのイベントで、初回から舞城王太郎さんや佐藤友哉さんや西尾維新さんらが参加していた、と知り合いから教えてもらい、更に驚いた。文芸誌『ファウスト』の原型も、ここで売られていたらしい。
だったらますます出てみたい、と思ったのだ。
いろんな経験者から「文フリはお祭りだ」と聞かされていた私は、エントリーを申し込んだ時点では「面白そう。経験してみたい」という軽い気持ちを持ち合わせていたと思う。
だが、実際に自費制作で本を準備し、部数や値付けや宣伝においていろいろ考える段に進むにつれ、私は「文フリ=お祭りごと」という当初の認識を少しづつ、改めていくこととなった。
そのことについて、書こうと思う。
その前に、前置きとして。
私は文学フリマのことを、よく理解できていない。この文章を書くにあたり、いくつかの記録や運営サイトのアーカイブにも目を通したし、初期からずっと参加している人に意見を聞いたりして、参考にさせてもらった。
それでもここから先は、どうしても私の憶測が混ざってしまう。間違っていたらお詫びするし、それを踏まえて読んでもらいたい。
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お祭りごとという認識を改めたきっかけは、ある一つのポストだった。
ある人が職業作家である私の出店について「畑を荒らすなという気持ちがある」と正直に書いてくれているのを偶然、目にしたのだ。
それまで私は、〈自分の文学を信じる人間〉という括りで、今回ブースを並べて自費制作本を出す人達は、大きくは同志、仲間、と漠然と思っていたことに気づいた。
ポスト内で、その人は「初めは嫌だと思った。でも今は、」と前向きな意識の変化を綴ってくれていたが、それでも「畑を荒らす」という、そういう見方もあるのだな、と、そしてそれは事実なんだろうな、と素直に感じた。
文フリがまだ小さい催しである時から参加して、丁寧に畑を耕していた人達からすれば、私はちょうどよく肥えた頃にひょいとやって来て、その畑を荒らしていく外部の人間なのだろうな、と改めて自分のやっていることを客観的に自覚した。
そして文フリという場所は、お客さんに予算のある中でどの本を買ってもらうか、の競争の場であることも遅ればせながら気づいた。
その側面について、私は想像力が足りなかったのだろう。誰だって自分の本を買って欲しい。自分の作品を読んで欲しい。当たり前だ。
だとして。
私が既存の出店者なら、こう思う。
「なんだよ、お前はよそにちゃんと自分の場所があるじゃねえかよ。こっち来んなよ。私はここに人生賭けてんだよ!」
私はもともと演劇を作っていた劇作家で、後から小説を書き出した。運よく作家としてデビューした当初も、そのような言葉を散々浴びてきた。
「お前はあっちの人間なんだから、こっち来んな!」
そして文学賞をもらってからは演劇界の方でこう言われた。
「本谷さんは演劇を捨てて、もうあっちの世界の人になってしまわれたんでしょ?」
こっちとかあっちってなんなんだろうと思う。
私は「どこの人」なんだろう。
それよりも、
自分だけの文学を信じる人間同士なのに、
こんなにも距離を感じることが不思議だ。
今、本を読まない人達が絶望的に増えている中で、文章に興味があって、文章を書くのが好きで、それだけで貴重なのに、希少なのに、私はなぜか繋がっていない気がする。
見えない距離を感じる。
芥川賞の肩書きを、私はカタログの出店者情報に書いた。
それは不安や怯えから、やってしまったことだった。私は自分がどれだけ認知されているかわからなかったし、ブースに人が来ないという想像も何度もした。
叩かれることは嫌だが、覚悟した。無傷であの場所に立てるとは、途中から思わなくなった。それだけのことを私はしている、と自覚した。
だから自分にできることは、めちゃくちゃ本気で臨むことだった。本の制作も宣伝も手を一切、抜かなかった。やれることはとにかく本気で全部やった。やり切った。
それが礼儀だと思ったのだ。
当日は、思っていた以上にたくさんの人が来てくれて、私が文フリのために作った『全く知らない女から送られてきた〈ある動画の考察〉を読む』を買ってくれた。直接読者の顔が見える体験はかけがえのないもので、それは本当にあの場でしか得られない報酬だ。文フリに出る意義のひとつとはこれなのだ、とひしひしと実感した。
そして、終了三十分前。
余裕ができた私は各ブースを見て回ることにした。終わったら、来てくれた人達のブースを回ろう。そう思っていたのに、実際、目の前の純文学のコーナーを通る時、私はまともに顔を上げることができなかった。
ここにいる人達に、「やっぱり自分が邪魔者だと思われているかもしれない。よそ者だと思われてるかもしれない」と、ふと、そんな緊張と不安がよぎったのだ。
ようやくひとりの出店者と話すことができて、ホッとした。放心状態で財布すら忘れてしまっていた私に、彼は親切に接してくれた。
話を聞くと、彼は文フリに何度も出ており、今回を最後に何年も書き続けてきた小説というものに区切りをつけるとのことだった。
売るために、読んでもらうために、これからはエッセイに絞るのだと。
「僕の書いた小説です。読んで下さい」
今日一冊も売れなかったという冊子を渡されながら、やはり、彼も人生を賭けてここに来ているのだと思った。
同じかもしれない。
その時、私の方こそ、どこかで彼らに「距離を取っていた側」だったことに、ようやく思い至った。
「お互い、頑張ろう」。
そう言って、私はそのブースを離れた。
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今回を経て、また文学フリマに出るかどうかは正直わからない。
自分がやったことは、彼らが大事にしている場所を土足で踏み躙るようなことだったのだろうかと、今も答えは出ないままだ。
けれど文章を書く限り、私はやはりあそこにいる人達と、本質的に同根だと思っている。
常に一緒である必要はない。基本バラバラでいい。でも、どこか根っこのところでは緩やかに繋がっていたい。
だって今のこの世界で、
〈自分だけが信じる文学〉を持ち続けることは、本当に大変なことだから。
頑張ろう。
私も頑張るから。
お互い頑張って、いい文章、書こう。
