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【社会】ウェディングドレス炎上で、尊いものが確かに見える

今日もツイッターでは炎上が起きる。
いつもあそこは燃えている。最前線だ。
あわせて俺のnote記事も燃やそうとしているが、なかなかうまくいかない。
そんな中、今日も読みに来てくれた君に感謝したい。

今ホットな話題は、元AV女優の「三上悠亜」さんが、ボートレースのイベントでウェディングドレスを着たことについて、ある女性が苦言を呈したことだ。

その女性は、三上悠亜さんが来たドレスと同じものを、結婚式の後撮りで着る予定だったという。
しかし、元AV女優である三上悠亜さんがそれを着たことがとても不快であり、もう着る気にはなれない、といったお気持ちを表明されていた。

もちろん明らかなことだが、「○○が着たから、そのドレスをもう着たくない」というのは直球で差別、バリバリ差別、どうしようもなく差別である。
○○に何が入ろうとも差別である。
「○○ちゃんが触った消しゴム、もう使えない~」みたいな、小学生のいじめを思い出させる。

だがしかし、差別する自由はあるのだ。
内心の自由、表現の自由は保障されているので、「元AV女優が着たドレスはもう着れない」と思うのも、言うのも自由である。

ただ、それをツイッターという場所に堂々と書き、10万以上のいいねがついている状況に俺は悲しみを覚える。
ああ、差別はなくならない。なくならないのだ。

多様性の時代を、個人の生き方を尊重する時代を生きている俺たちは、できる限り差別をなくしたい、という方向で進んでいたのではなかったか。
「全ての差別に反対する」と言っていた人や、「女性差別反対」を唱えていたはずの人が、何やかや理屈をこねて「AV女優に対する差別は正当」とか言う光景が、グロテスクすぎて仕方がないのだった。

これは、俺の個人的な悲しみである。
だが、この記事の本旨はそこではない。

さて急に、「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」の話をするぞ。

この話は、差別を描いた名作として名高い。
具体的なあらすじ等は、各自調べてほしいとして。

この話では、町中から差別を受ける少年が登場する。
汚い身なりをした少年は、河原に老人と住んでおり、町の人から暴力を受けたり、物を売ってもらえなかったり、辛い扱いを受けている。
その少年が、パン屋にパンを買いに来る。
しかし、パン屋も少年にパンを売ってくれない。
とぼとぼと帰る少年。
その姿を追って、パン屋の娘が駆けてくるのだ。
手に、食パンをもって。

「同情なんて、いらないよ」

そう言う少年に、パン屋の娘はなんでもないことのように言う。

「同情なんかじゃないわ。
売ってあげるだけよ。
だってうち、パン屋だもん!
はい、120円ね」

そう言って、少年にパンを渡すのだった。
「ありがとう」と何度も言って帰る少年を、パン屋の娘は笑顔で見送るのだ。

このシーンは、ひどい目に逢い続ける少年の、わずかな救いのシーンであり、人間の善性を信じる、希望の祈りである。
誰が見ても、このシーンにおいて、パン屋の少女の行為は尊いものだとわかるはずだ。
もしかしたら、「あのパン屋、あの汚い子供にパンを渡してたわよ」などの噂が広がり、商売に影響が出るかも知れない。
それでも、その上で、差別を超えて、人として正しいことをした彼女の行為は、とても美しいと感じた。

さて、ウェディングドレス炎上の話に戻ろう。

先の、帰ってきたウルトラマンの話で何が言いたかったか。
それは、この炎上で見るべきは、醜い差別を振りまく人々の姿ではなく。

差別をしなかったドレス屋さんの、尊い在り方だと。

八島 里さんが代表を務める「COMEL」という会社である。

正直、わかっていたはずだ。
「元AV女優」と「ウェディングドレス」の組み合わせに、嫌悪感を覚える人もいるだろう、というのは。
それは、八島さんもCOMELとしてもわかっていたはずだ。
もしかしたら、会社のイメージダウンになるかもしれない。

しかしそれでも、この会社は差別をしなかった。
借りる人の属性によって、貸さない選択肢をとらなかった。

「貸してあげるだけよ。
だってうち、貸衣装屋だもん!」

この会社は、逆に信頼できる。
差別をしない、フェアな会社だと。
俺はその、当たり前の、それでも難しい尊さが、この現実世界にあってくれてありがとう、と思ったのだ。

だから俺は、この記事を書いた。

ドレスを貸した「COMEL」さんが。
ウェブで検索した際に、貴方たちの行為は素晴らしいことだ、という意見が目に入りますように。

これが、弱小note書きの俺にできる、せめてもの差別への抵抗である。

差別のない社会を。
俺も頑張る。
みんなでがんばろう。
わしからもたのむ。

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