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YMOがくれたもの①偉大なる教授よ永遠に~坂本龍一氏

ゲーム音楽が影も形もなかった時代、電子音楽の伝道師であったY.M.O.イエロー・マジック・オーケストラ。僕は直撃世代ではありませんでしたがパソコン少年として特別な思い入れがあります。
今回はその一人である坂本龍一教授の偉大な足跡を、回想を交えて紹介します。


教授と伝説のアナログシンセサイザー「プロフェット5」。さらにハンドヘルドコンピュータ「HC-20」というカッコよすぎる一枚。しかも掲載された雑誌が「テクノポリス」という点が神懸っています。

①Y.M.O.との出会い・マイクロコンピューターショウ84

ナイコン時代・・・MSXを入手する前の僕はパソコン放つ光に引き寄せられる蛾の如く、各種イベント会場を彷徨っていました。
そんな折1983年にMSX規格が発表。松下・ソニー・三洋・東芝・日立・ヤマハ・三菱・ビクター・キャノン他、錚々たる顔ぶれが一堂に会したイベントが開催されました。1984年5月23日に東京流通センターでのマイクロコンピューターショウ84の開幕です。


東京流通センターはトラックが行きかう喧噪の中でしたが会場内は別世界でした。

そこはまさに異様な熱気に包まれた空間でした。昭和と言うアナログな時代に巨大なテクノポリスが突如出現したような光景です。当時のパソコンは未来を連想させる科学的ガジェットという位置づけだったので、自社ブランドのイメージアップのため採算度外視で豪華絢爛なブースを出展していたのでした。 


翌年のマイクロコンピューターショウ85。やはりミニライブが行われていました。

その中でひときわ異彩を放っていたのはヤマハの展示。MSXと共にキーボードやシンセ・MIDIと言った音楽機器がずらりと並んでいたのです。その光景はSF映画で見た宇宙船の司令塔を連想させました。ゲームの効果音ですら碌にない時代、シンセサイザーサウンドを小学生が想像するのは不可能だったと思ってください。以下はTwitterに投稿した当時の感想です。


最新型MSX・CX5と人気シンセDX7はカラーやデザインが統一されていました。


MIDIを理解するようになったのは大分後になりますが、ただただ圧倒されました。

宇宙船の司令塔に宇宙服を連想させる銀ラメの服を着こんだ人物が現れた。一体何ががはじまるのだろう。固唾をのんで見守っていると今までに聞いたことがない全く異質な『何か』が、まるで津波のように襲い掛かってきた。最新型MSX・CX5と人気シンセDX7の奏でるY.M.O.のライディーン。それは確かに未来へと繋がる道に見えたのだった。

会場は完全にY.M.O.にジャックされ、全てが非現実的なデジタル空間へと変貌していった。僕はそこで初めて気が付いたのだ。とてつもない『何か』がMSXによって生み出されようとしていることを。たとえそれが幻想であったとしても人はそれに限りなく魅了される。その幻想こそがMSXの本質であったのかもしれない。

Y.M.O.はパソコン音源でも数多くカバーされましたが、その中でも白眉なのがこのMSXバージョン。
OPLL+SCC+PSGというMSXで使える音源全てを使い切っており、さらに原作へのリスペクトが溢れる素晴らしい一曲です。冒頭はライディーンですがトリの東風も必聴ですよ!

②王立宇宙軍・オネアミスの翼


僕の次なる体験は1987年王立宇宙軍・オネアミスの翼。モノローグが永遠に続くようなオープニング曲に圧倒されたことを覚えています。ガラガラの映画館でタダ券で鑑賞していた僕は異常な興奮に包まれていました。若さだけが頼りのおちこぼれであった主人公が奇跡を起こす光景を、自分に重ね合わせていたのです。


当時のチラシの裏。スタッフでただ一人教授が写真入りで掲載されています。

若き熱意溢れる天才集団ガイナックスと坂本先生には意見の齟齬や衝突があったにせよ、完成した作品はアニメ史上に残る傑作としてファンの記憶に刻まれていきました。教授がまだマイナーだったオタクの分野で音楽を創ってくれたことが嬉しかったです。


ガイナックスは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作を目的として設立されました。
後にパソコンゲームとも深いかかわりを持つのですが、その話はいずれ。


当時のPC雑誌の記事

③全日本プロレス・カクトウギのテーマ

プロレス少年時代好きだった全日本プロレス次期シリーズ予告BGMカクトウギのテーマ。僕はこの頃ジャンボ鶴田を世界最強と思っていました。
通常のプロレステーマのような激しい曲調ではないのですが、個性的な外人レスラーへの憧れとプロレスのロマンと哀愁を掻き立てる切ない旋律がEDにマッチしていました。後に教授の作品と知りビックリ。

④天外魔境ZIRIA


1989年、新世代機の象徴とも言えたPCエンジンCD-ROM2での天外魔境ZIRIA。まさに映画その物の幻想的なオープニング曲に度肝抜かれました。通常のアルバムと違い坂本先生のこのような創作物はあまり報道されません。だからこそゲーマーの僕達が次の世代に語り継ぐことが大切だと思うんです。
すぎやまこういち先生が坂本龍一氏がゲーム音楽に参加したことを感慨深くコメントされていました。以下から読めます


マニュアルには教授のコメントが


⑤暗黒の時代に差し込んだ一筋の光・energy Flow


人々の欲望がはじけ、暗黒の時代を迎えていた1999年。僕はパワハラを受けていた某写真館を飛び出しムエタイ戦士の道を選びます。その大一番に無残に敗北して自分を見失っていた時、名も知れぬ人物が作製したMIDI編曲energy Flowがパソコンから流れてきました。「全ての疲れている人へ」と題されたその旋律は、再び立ち上がる勇気を与えてくれたのです。

⑥終わりに‥‥

2023年、高橋幸宏氏の追悼直後のお別れは悲しすぎました。しかしゲームと同じく音楽も語り継ぐことで、その感動の連鎖は永遠に続いて行くのだと思います。
坂本龍一教授の曲は恐らく1000年後も多くに人に感動を与えるに違いありません。


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