YMOがくれたもの②PC88ユーザー高橋幸宏氏とゲーム
ゲーム音楽が影も形もなかった時代、電子音楽の伝道師であったY.M.O.イエロー・マジック・オーケストラ。
メンバーの一人である高橋幸宏氏は古くからのパソコンユーザーでもあり、ゲーム音楽も多数作曲されています。2023年に惜しくも天界に旅立たれた高橋氏の音楽世界を辿りたいと思います。
①1986年のインタビュー
「パソコンをいじっている少年のあのエネルギーの中から、新しい音楽が生まれてくるような気がしますね」
まだPCに偏見のあった時代に高橋幸宏氏の言葉にどんなに勇気づけられたでしょうか。YMOは音楽でパソコン少年を応援してくれたんです。
高橋氏は古くからシンセサイザーやコンピューターを作曲に使用していましたが、1978年のソロ活動開始時期に後の盟友坂本龍一教授の影響からだと述べています。ゲーム音楽どころか電子音を音楽に取り入れることさえ認められず「無機質な音楽」と批判された時代でした。そう言った偏見を高橋氏達が乗り越えて行ってくれたからこそ、僕達の時代は多様な音楽を享受できたと思います。
高橋氏はコンピューターによって
「イマジネーションさえあれば音楽が作れるようになった」
とコメントしています。経済力や肉体が乏しくても想像力さえあれば無限の音楽を生み出せると。
現実問題として1986年当時音楽活動をするにはとてつもないお金が必要でした。例えばバンド活動でもかなりの資金が必要で、プロを目指していた友人は練習よりバイトが忙しいとボヤいていました。デモテープを作るにも機材やスタジオを用意できずに学校の音楽室を借用したり…
パソコンを作曲に使用することが一般化すると音楽創作する若者が爆発的に増加しました。高橋氏やY.M.O.はその先駆者的存在だったと思います。
また体力的な指摘については肉体を酷使するドラマーの高橋氏らしい視点です。僕の嫁さんは特別支援学校の教員なのですが、体の不自由な子供たちが電子楽器やタブレットで楽しそうに演奏している光景を見ると、高橋氏の先見の明を感じずにはいられません。
②CASIO SUPER SOUND '85
1985年10月18日東京日本武道館でのライブの写真。日本シンセサイザー音楽家の草分けであった冨田勲さんや盟友細野晴臣氏も参加した豪華なステージ。しかし「シンセ奏者のジャイアント馬場こと御大冨田勲」には笑ってしまいました。マニアなら涎が出そうな音楽機器が満載です。
③銀河の三人 1987年12月
エニックスの傑作パソコンゲーム『地球戦士ライーザ』のファミコン移植版。キャラデザが永井豪先生になって雰囲気が変わってしまいましたが、ゲーム自体は面白かったです。
僕のMSXの師匠がY.M.O.の大ファンで、戦闘シーンの曲を聞いた時
😡「こりゃライディーンじゃねえか。任天堂訴えられるぞ!」
と怒っていました。高橋氏の貴重なファミコン音源セルフアレンジとも言えるので、知らない方は是非聞いてください。ちなみにボス戦のBGMは同じ曲を短調に転調しています。
原作の『地球戦士ライーザ』については以下のnoteで触れています
④三国志英傑 天下に臨む 1991年3月
新世代機の象徴とも言えたPCエンジンCD-ROM2はゲーム音楽の制限から解放された革命的機種でした。坂本龍一教授が天外魔境ZIRIAを担当した2年後に発売された三国志英傑は高橋幸宏氏の隠れた名曲なんですよ。中古屋で100円で売っていたのでサントラ代わりにして聞いていました。
⑤ノイギーア〜海と風の鼓動〜 1993年
高橋氏がサウンドプロデュース及び全作曲を行っている貴重な作品。ボス戦BGMの曲は必聴です。操作性も良くて面白いんですが、内容が短すぎるという日本テレネットらしくないゲームです。
⑥終わりに…天界に旅立たれた二人に感謝を
2023年に坂本龍一教授と高橋幸宏氏が立て続けに天界に旅立たれた時は大きな喪失感がありました。追悼でY.M.O.を一日中流していた時、初めて聞いたマイクロコンピューターショウ84でのヤマハMSXブースの光景が鮮明に浮かび上がってきました。脳裏の奥底に刻まれた記憶を呼び覚ます魔法、それこそがイエロー・マジック・オーケストラの偉大さだと思うのです。