都議「裏金」収支報告書訂正は“所得税逃れの虚偽記入”、「都議会自民党」は一層窮地に!

「自民党派閥政治資金パーティー裏金問題」に政治が大きく揺れた2024年が終わり、年が明けた早々、東京都議会の自民党会派で、政治団体の「都議会自民党」が政治資金パーティー収入など計約3500万円を会派の政治資金収支報告書に記載しなかったとして、会派の経理担当職員が政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で略式起訴されたことで、「裏金問題」が、今年6月に都議会議員選挙を控える自民党都議会議員に「飛び火」したことが明らかになった。

【都議会自民党「裏金問題」、所得税納税をうやむやにしてはならない!】でも述べたように、国会議員の場合は、公設秘書、私設秘書等が複数いて事務所で政治資金の会計処理が行われているので、派閥から「還付金」「留保金」として供与された金銭を、政治資金として管理していたとして(実際に、そうであったかどうかは別として)、その金銭は「政治資金」であったと説明することは一応可能だが、都議会議員の場合、秘書の数も議員によって異なり、事務所による政治資金の収支管理がどの程度行われていたのかも不明であり、政治団体側からは「自由に使ってよい金」と説明されていたとされており、派閥から都議への「政治資金の寄附」というより、パーティー券販売に応じた報酬の性格が強かったと考えられる。しかも、安倍派の政治資金パーティーのように、いったん派閥に納入した上で国会議員側に「還流」していたのではなく、すべて都議側が留保していたもので、実際に、都議個人が、政治資金パーティー券の売上の一部を個人の金と混同させていた場合が多かったと考えられる。このような資金の性格から考えて、個人所得に当たることは明白であり、納税をするのが当然だ。

会派の経理担当者の略式起訴以降、所属都議の方が、裏金についてどのような処理を行うのか注目していたが、政治資金パーティーで得た裏金の所得税の納税を行わないどころか、政党支部に入った政治資金であるように、政党支部の収支報告書を訂正し、所得税を免れようとしていたことが明らかになった。

2025年3月2日付け「しんぶん赤旗日曜版」が、「柴崎都議 取材後コッソリ削除」と題して、都議会自民党の裏金事件を受け、政治資金収支報告書を訂正した柴崎幹男都議の訂正が虚偽である疑いを報じた。これを受け、上脇博之教授は、3月3日に、柴崎氏のほか、都議会自民党の幹事長らを、政治資金規正法で東京地検に告発した。

都議会自民党の発表によると、柴崎氏は、2019年に131万円、22年に110万円の計241万円を、都議会自民党の政治資金パーティーでの売上の一部を手元に留保する「中抜き」の方法によって取得し、それについて、政治資金収支報告書には全く記載していなかった。

それを、柴崎氏が代表の「自民党東京都練馬区第11支部」(以下、「練馬区11支部」)では、1月23日付で収支報告書(22年分)を訂正し、都議会自民党から練馬区11支部に110万円の寄付があったと収入に追記し、その全額を、領収書の提出が不要な「経常経費」として使い切ったと訂正していた。

経常経費の内訳は、人件費が71万4000円、備品・消耗品費が8万7264円、事務所費が29万8736円。これらを足し合わせると、22年の裏金額110万円と完全に一致する。

そのような支出の記載について、しんぶん赤旗編集部から質問書の送付を受けた柴崎氏は、2月12日付で、収支報告書(21~23年分)を再び訂正。22年分の再訂正では、計110万円を支出したとする1月23日の訂正を削除し、23年分の収支報告書で、裏金の全額241万円を翌24年に繰り越す処理をしていた。裏金分を「経常経費」として使い切ったと「訂正」したはずが、その訂正自体を「削除」し、実際は1円も使わずに保管していたと再訂正したものである。まさに、「語るに落ちた」と言うほかない。

柴崎氏は、「中抜き」で得ていた裏金を、すべて個人の懐に入れていたのに、都議会自民党の政治資金パーティーの裏金問題が露見したことから、練馬区11支部への寄附として受け取って、経常経費として支出したように虚偽の訂正をし、質問状を受けて合理的な説明ができないことから、再訂正して全額翌年度に繰り越していたように説明した。余りに不自然不合理な柴崎氏の訂正の経過は、柴崎氏が得ていた裏金が政治家個人宛であったのに、それを隠そうとして、一連の虚偽の訂正を行ったとしか考えられない。

上脇氏の告発状では、政治家個人宛の違法寄附にも該当するとされている。

確かに、「政治活動に関する寄附」であるとすれば、政治家である柴崎都議個人に宛てた寄附であることは明らかだ。しかし、果たして「中抜き」で得ていた裏金が、本当に政治資金に関する寄附であったのかどうかも疑わしい。「中抜き」で入ってきた裏金をすべて個人の懐に入れていたのであれば、むしろ、「政治家個人宛寄附」ですらなく、単なるパーティー券販売の謝礼であった可能性もある。

この場合は、「政治家個人宛の違法寄附」の問題は生じないが、柴崎氏の個人所得ということになり、所得税の申告をして納税する義務がある。それを、練馬区11支部への寄附として受け取って、経常経費として支出したように同支部の収支報告書を訂正したのは、収支報告書の虚偽記入の政治資金規正法違反に当たる。

元参議院議員の丸川珠代氏が安倍派から受け取った裏金の問題と同様に、所得税の課税逃れのための悪質な政治資金収支報告書虚偽記入罪の事案として、処罰を免れる余地はない。

上脇氏は、「都議会自由民主党」が寄附した相手方は“柴崎幹男個人”であり、131万円(2019年)及び110万円(2022年)はそれぞれ全額またはその一部を、同人の所得として確定申告する必要があるのではないかとして、刑事告発と併せて、管轄の練馬西税務署に情報提供も行っている。

このような柴崎氏の収支報告書の訂正と符合する政治団体都議会自民党の収支報告書の訂正が行われているのであるから、他の都議会自民党の都議も同様の方法で訂正を行った可能性が高い。実際には、裏金が個人の懐に入っていたのに、それを政党支部宛の寄附であったように収支報告書の虚偽の訂正をして、所得税の修正申告も行わないで済まそうとしているとすれば、そのような「都議による悪質な所得税逃れ」は、東京都民にとって、到底許されるものではない。

今年6月の都議会議員選挙において、自民党が、昨年の衆議院議員選挙以上の大逆風を受けることは確実だ。

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文春記事訂正で混迷を深める「フジテレビ問題」、第三者委員会をめぐる疑問と今後の展開

フジテレビは、2023年6月に番組出演タレントの中居正広氏と同社社員だった女性との間で生じた事案に関連する報道を受けて、1月17日に、港浩一社長(当時)ら経営陣が最初の記者会見(以下、「17日会見」)を開いたものの、テレビカメラを入れず、会見参加者も質問者も限定する、会見時間も制限するという、あまりにクローズなものだったこと、設置する調査委員会が、第三者委員会であるか否かも不明確だったことが猛烈な批判を受け、会見後、大手企業のスポンサーの間にフジテレビでの広告を見合わせる動きが拡がった。

そこで、23日に、事実関係の調査・事後対応やグループガバナンスの有効性を、客観的かつ独立した立場から調査・検証するための第三者委員会の設置を公表した。

この委員会については、日本弁護士連合会が策定した「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(以下、「日弁連ガイドライン」)に準拠するもので、委員長の竹内朗弁護士ら3名の委員を選任し、調査報告書を3月末に会社に提出し、その後速やかに公表する予定であり、調査委嘱事項は、以下のとおりとされている。

  • 1) 本事案への当社及びフジ・メディア・ホールディングスの関わり
  • 2) 本事案と類似する事案の有無
  • 3) 当社が本事案を認識してから現在までの当社及びフジ・メディア・ホールディングスの事後対応
  • 4) 当社及びフジ・メディア・ホールディングスの内部統制・グループガバナンス・人権への取組み
  • 5) 判明した問題に関する原因分析、再発防止に向けた提言
  • 6)その他第三者委員会が必要と認めた事項

そして、27日に、親会社のフジ・メディアホールディングズ(以下、「フジHD」)の会長・社長も含めた記者会見(以下、「27日会見」)を開き、「取引先、視聴者など皆様方に多大なるご心配とご迷惑をおかけした」として謝罪して嘉納修治会長と港浩一社長が引責辞任することを明らかにした。

記者会見は、テレビカメラを入れ、参加者を制限せず完全オープン、フリー記者、ユーチューバーなども含め400人が参加して行われたが、10時間超にわたった会見は、一方的かつ執拗な追及、的外れな質問なども多く、それらを会見主催者が制御できない「無秩序会見」となった。

27日会見の直後、今回の問題の発端となった週刊文春の報道に関して、週刊文春側が

《【訂正】本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について「X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた」としていましたが、その後の取材により「X子さんは中居に誘われた」「A氏がセッティングしている会の”延長”と認識していた」ということがわかりました。お詫びして訂正いたします。また、続報の#2記事(1月8日発売号掲載)以降はその後の取材成果を踏まえた内容を報じています。》

として記事の訂正を行った。

この文春記事の訂正に対してフジテレビ内部では強い反発が生じていると報じられており、港社長の辞任を受けて急遽就任した清水賢治新社長も、文春への訴訟提起も選択肢の一つであるように述べている。

17日会見の失敗を受けての27日会見で経営陣が10時間超の糾弾を受けるまでの間、一方的に批判に晒されていたフジテレビ側が、文春の記事訂正で、一部「反撃」に転じたような雰囲気も感じられた。しかし、世の中やマスコミの論調の大半は、

「不正確な記事でフジテレビ批判を炎上させた後に訂正に至った文春側も問題だが、それによって、フジテレビ側の中居氏と社員間のトラブルへの対応や女性の人権への配慮の欠如などの問題がなくなるわけではない」

というもので、フジテレビへの批判は基本的に変わらない。スポンサー離れは全く解消されておらず、混迷はますます深まっている。

このようなフジテレビをめぐる問題の経緯の中で不可解なのが、「第三者委員会の設置の経緯」である。それは、問題の発端となった文春記事が訂正されたことによって、謎が一層深まったと言える。

企業不祥事としての特異性

日弁連ガイドラインでも述べているように、第三者委員会は「不祥事によって失墜してしまった社会的信頼を回復すること」を目的とし、「企業等から独立した委員のみをもって構成され、徹底した調査を実施した上で、専門家としての知見と経験に基づいて原因を分析し、必要に応じて具体的な再発防止策等を提言するために設置」されるものである。

私は、企業の外部者の専門家だけで組成する「第三者委員会」の草分けとなった不二家消費期限切れ原料使用問題での「信頼回復対策会議」の議長を務めたほか、多くの企業等での第三者委員会委員長を務めてきた(【第三者委員会は企業を変えられるか 九州電力やらせメール問題の深層】毎日新聞社:2012)。

そして2016年から2020年に日経bizgateに掲載された《郷原弁護士のコンプライアンス指南塾》では、【企業の不祥事対応における第三者委員会の活用】を3回にわたって連載した。

その連載の冒頭で、

昨年来、日産自動車、スバルの完成検査をめぐる問題、神戸製鋼所をめぐる問題を発端とする品質データ改ざん問題、スルガ銀行のシェアハウス融資をめぐる問題など、企業不祥事が相次いで表面化している。不祥事の事実関係の調査・原因究明、再発防止策の策定を求められる不祥事企業にとって、内部調査で対応するのか、外部弁護士を含めた調査を行うのか、第三者委員会を設置するのかは難しい判断である。また、委員会を設置する場合に、委員長・委員をどのように選任するのか、調査体制をどう構築するのかが重要となる。

と述べている。

一般的な企業不祥事では、問題となる事実の中身は明確であり、そのような問題について企業側が認めて謝罪した上で、その問題事実の詳細を明らかにし原因分析等の調査を行うために第三者委員会が設置される。

フジテレビの問題は、それとは異なる。週刊文春の報道を発端に疑惑が発生し、それに対するフジテレビ側の対応が批判の対象とされ、会長・社長が引責辞任に追い込まれるという「重大不祥事」に発展した。

発端となった文春記事で会社側の問題として指摘された事実(A氏の関与)については、フジテレビ側は明確に否定するコメントを公表していた。その文春記事が訂正されたのであるから、通常であれば、それによってフジテレビ側の主張が裏付けられ、信頼が回復するようにも思える。しかし、問題は、それほど単純なものではなかった。

第三者委員会設置の経緯をめぐる謎

上記のとおり、フジテレビの問題は、第三者委員会が設置されるまでの経過が、一般的な企業不祥事とはかなり異なる。その経緯にはいったい何があったのか。

1月24日にフジテレビで開かれた社員説明会で、17日会見の時点で「第三者委員会を設置する」と説明せず「第三者の弁護士を中心とする調査委員会」という曖昧な言い方になったことについて、嘉納会長が、

「17日の港社長らの記者会見の前から第三者委員会設置を検討しており、フジテレビ側が竹内朗弁護士に第三者委員会を作るために相談した際、『取締役会で正式に決議する前は第三者委員会という言葉は一切表に出さないように、第三者委員会の《だ》の字も出してはいけない』と言われた。17日の会見の際に石原常務が、幅を持たせて、第三者委員会に限りなく近い、という言い方をしたのは、第三者委員会という言葉を使えないから、調査委員会っていう説明になってしまった」

などと述べていた。

その点について、27日会見で、「フジテレビ側が第三者委員会委員長に就任した弁護士と、委員会設置が決定される前に接触して綿密な打合せをし、その指示に基づいて動いていたことは、第三者委員会の独立性・中立性を害していて問題なのではないか」と質問された嘉納会長は、

「事務方で交渉して調べて、竹内弁護士に依頼することが決まり、挨拶にお伺いした時に取締役会で第三者委員会の設置を決定する前には第三者委員会とは言わないでくれと言われた。」

との趣旨の説明を行った。さらに、フジHDの金光修社長が、

「日弁連のガイドラインに従った第三者委員会を選択肢に入れながら、過去に付き合いがある弁護士事務所を除外し、過去の実績を調べて、結果的に竹内弁護士を選任した。1月17日の記者会見以降緊急監査等委員会で承認を受け、発表する前に、リリースの手続を聞いたところ、第三者委員会を開くことを取締役会の承認がない時点で発表したらその任は受けられないということだった」

などと説明した。

竹内弁護士への依頼の経緯に関する疑問

しかし、このような嘉納氏、金光氏の説明には疑問がある。

嘉納氏の社員説明会での発言内容から、フジテレビ側が、17日会見の前に竹内弁護士と接触していることは明らかだ。その時点では、昨年12月26日に最初の文春記事が出されたことを受け、翌日に、「事実でないことが含まれ、当該社員は会の設定を含め一切関与していない」と否定コメントを出すなど、基本的に、フジテレビとしては、同社が責任を負うべき問題であることを否定していた。ところが、年明けの週刊文春の続報などを受け、フジテレビへの世の中の批判が高まった。

この局面では、その週刊文春が報道した問題というのは、フジテレビ側にとっての「企業不祥事」とは認識しておらず、それにもかかわらず批判が高まっていることに対して、社内調査も含めた調査の在り方や会見の設定、そこでの説明の仕方などの「危機対応」が重要な課題となっている状況だったはずだ。

竹内弁護士は、不祥事調査と危機管理を専門とする弁護士であり、17日会見の前の時点で同弁護士と接触したのであれば、まずは、文春報道での急激な批判の高まりを受けての危機対応について相談し、その中で、弁護士中心の調査委員会、あるいは第三者委員会の設置等も選択肢として対応を検討するのが自然な流れだ。

そのような相談が行われていたとすると、その後、第三者委員会が設置され、竹内氏が委員長に選任されたことに関しても疑問が生じる。

文春報道の変更」へのフジテレビの無反応

中居氏と社員との問題でフジテレビが社会から批判された原因は文春報道だった。それだけに、同社にとって、危機対応として最も重要だったのは、その文春報道の中身を正確に見極めることだった。

昨年12月26日に発売号の記事(以下、「当初記事」)を前提にすれば、A氏の関与というのは「中居氏と女性社員の会食を設定し、ドタキャンして二人きりにしたこと」によって、意図的に、中居氏と女性社員の二人きりの場を作ったというものだったが、1月8日発売号の記事(以下、「修正記事」)では、「X子さんは中居に誘われた」と、当日のA氏の関与の形態が変更されていた。

批判を受けている当事者であるフジテレビ側が、この記事内容の変更に気づいていなかったはずはない。ここでの危機対応においては、最新の文春報道の内容(修正記事)を前提に、記者会見での説明を行う必要があった。

ところが、17日会見では、港氏らは文春記事の内容の変更に全く言及せず、

「当該社員の聞き取りのほか、通信履歴などを含めて調査、確認を行った結果を受け、弊社HPにおいて見解をお伝えしました。中居氏が出した声明文においても、当事者以外のもの、すなわち、中居氏と女性以外の第三者が関与した事実を否定しています。ただ、この点につきましても、調査委員会の調査に委ねたい」

と述べるだけだった。

12月27日にフジテレビが出した「当該社員は会の設定を含め一切関与していない」と同趣旨のことを繰り返し、文春報道が当初記事のとおり「A氏が、会食を設定し、ドタキャンした」という事実であることを前提に、「A氏の関与」を否定していたのである。

文春の当初記事は、A氏が中居氏と女性社員との二人きりの場を意図的に作ったことを強く印象づけるもので、それにより、フジテレビの「上納文化」が問題にされるなどして、フジテレビの「女性の人権」軽視の姿勢が厳しく批判されることにつながった。

記者会見でも、質問者の多くは当初記事を前提として港氏らに「A氏の関与」の有無を問い質していた。それは、17日会見だけではなく、10時間超に及んだ27日会見の時点でも同様だった。

その会見後に、「A氏の関与」について記事の訂正・謝罪が行われ、それまでの世の中の誤解や会見での質問者の誤解は、週刊文春側の訂正・謝罪が遅れたことによるものだとして、文春側が批判されている。

しかし、17日会見の時点でも、既に続報で報道内容の変更は行われていたのであり、フジテレビ側も当然認識していたはずである。それについて、文春側に訂正を求めることもできたはずだ。少なくとも、文春の当初報道を前提に「上納文化」などの批判が拡がっていることについて、フジテレビのHPで文春の記事の内容が変更されていることを指摘すること、記者会見で誤解に基づく質問を受けた際に、文春報道の内容が既に修正されてることを指摘することもできたはずだ。

ところが、27日会見でも、「当該日についてのA氏の直接的関与」を前提とする質問が行われたのに対して、港氏らは、文春の記事が変更されていることに言及することなく、「当該日の関与はない」と繰り返した。

フジテレビは、「文春記事の変更」をなぜ指摘しなかったのか

なぜ、フジテレビ側は、文春の当初記事の内容が変更されたことを指摘し、世の中や質問者の認識を改めようとしなかったのか。

一つには、フジテレビという企業の危機管理能力の欠如が原因だとする見方がある。同社は、経営陣・上層部が制作局出身者で占められ、報道部門が軽視されてきたため、事実を突き詰め、誤っていれば正すという能力が欠如していたという見方である。それは、結局のところ、長年にわたって日枝久氏が絶対権力者として君臨してきた同社のガバナンスの構造的な歪みによる弊害とみることになる【YouTube《郷原信郎の日本の権力を斬る!》での週刊朝日元編集長山口一臣氏の見解】。

しかし、「危機管理能力の欠如」ということであれば、フジテレビ側が17日会見の前に危機管理の専門家である竹内弁護士と接触し、調査を依頼しようとした際、委員会を設置する原因となった文春報道についても説明したはずだ。調査受託の可否を検討するに当たって、文春報道が変更されているのに誤った前提で批判非難を受けているという事態は、その時点での危機管理において無視できない事情であり、その点は話題になったはずだ。それは、「第三者委員会」という言葉を出すか出さないかなどということよりはるかに重要な問題だ。

そのように考えると、フジテレビ側が、文春報道の変更を指摘しようとしなかったことが、単なる危機管理能力の欠如によるものとは考えにくい。

もう一つの可能性として考えられるのが、フジテレビ側が、文春報道の内容の変更を認識した上で、それが世の中に十分に認識されていないこと、会見でも、当初報道を前提とする追及が行われている状況を、意図的に放置した可能性だ。

当初記事では、「A氏の関与」を、「会食を設定しドタキャンした」として報じていた。それを、17日会見では、港氏が「当事者の話も聞き通信履歴も確認して調査した結果」に基づいて否定していた。

そのような当初記事前提に第三者委員会の調査を行うとすれば、まず、上記のような「A氏の関与」を否定した会社側の調査結果が正しかったのか、それを覆す証拠や事実がないのかを確かめることが調査の中心となる。

しかし、実は、その事実は、既に文春報道が修正記事に変更されており、実質的に否定されている。当然、第三者委員会の調査の結果も、フジテレビの調査が正しかったとされることになる。

一方、変更後の修正記事は、「X子さんは中居に誘われた」「A氏がセッティングしている会の”延長”と認識していた」としている。そこで書かれているとおりだとすると、第三者委員会の調査では、女性社員が「A氏がセッティングする会の延長」となぜ認識したのか、その認識したことの背景に何があるのか、そのような女性社員の認識につながるどのようなA氏の言動があったのかを調査することとなる。A氏の女性社員に対する言動を全体的に把握することに加えて、そのようなA氏の言動の背景に、フジテレビの「上納文化」と言われるような企業体質があるのかどうかも調査対象になり、それは、フジテレビにとっての「問題の本質」に調査が及ぶことになりかねない。

フジテレビ側としては、そのような事態になるより、当初記事に基づいて「A氏が会食を設定し、ドタキャンした」との事実が調査の対象になっていた方が、当日のA氏の言動などに問題を絞ることができ、好都合だったはずだ。そこで、文春報道の変更に気づきながら、敢えて、世の中や会見での質問者の誤解を放置した可能性もある。文春記事について、橋下徹氏が明示的な訂正・謝罪を要求したことは、フジテレビ側にとっては「ありがた迷惑」な話だったのかもしれない。

もし、そのような理由で、文春記事の変更を放置したのだとすると、フジテレビ側の今回の問題への対応姿勢そのものに疑問が生じることになるが、嘉納氏が社員説明会で述べたように、17日会見の前にフジテレビ側が竹内弁護士と面談したことを前提にすると、その面談の中で、文春報道の変更への対応についても話し合われた可能性もあることになる。

竹内弁護士が、「第三者委員会の言葉は取締役会決定までは出さない」との条件の下で調査の委託を受けた際、どのような調査事項が想定されていたのか。文春報道の変更を認識していたのかどうか、第三者委員会側にも説明責任が生じる。

この点は、フジテレビの問題の今後の展開にとって重大な問題になりかねない。

17日会見の前の時点では、フジテレビの危機対応として、第三者委員会の設置、ましてや「日弁連ガイドライン準拠」というのは、現実的な可能性として想定されておらず、だからこそ、第三者委員会の「だ」の字も出してはいけない、という話だったのではないか。それが、17日会見の大失敗によって、フジテレビは猛烈な社会的批判とスポンサー離れの事態に直面し、急遽第三者委員会を設置することが不可避となった。第三者委員会委員長として、他に選択肢がなく、竹内弁護士が受託せざるを得なかったのではなかろうか。23日の社員説明会で、嘉納会長が、第三者委員会の設置前の委員長との接触状況を暴露し、その発言内容がネットで公開されることなど、全く想定外だったはずだ。

設置時に委員全員が会見に臨んだジャニーズ「第三者委員会」との比較

今回のフジテレビの第三者委員会の設置の経緯に疑問が生じかねないことは、27日会見に第三者委員会側がどのように関与するのか、委員長などが会見に登壇するのかなどの判断にも影響している可能性がある。

17日会見で、フジテレビ経営陣の信頼は大きく損なわれ、自力での信頼回復は困難な状況に追い込まれていた。だからこそ、「日弁連ガイドライン準拠の第三者委員会」の設置という選択を敢えて行わざるを得なかったのであろう。そうであれば、27日会見において、経営陣やその支配下にある内部者に代わって、第三者委員会側が積極的に表に出ることで信頼回復の第一歩とすることが重要だった。

フジテレビとフジHDの経営陣5人による記者会見を3~4時間程度でとりあえず打ち切って、第三者委員会の委員長が登壇し、フジテレビとは一切利害関係がない、独立かつ中立的な立場で調査を行い、調査結果をとりまとめて報告書を公表すること、フジテレビ社員や関係者に対しては、調査への協力によって一切不利益を受けることはないことのメッセージを発したりすることで、「第三者委員会の調査」を主題として提示することができ、会見の追及的な雰囲気も相当程度変えることができたのではなかろうか。

一昨年に表面化し、大きな社会問題になった「ジャニー喜多川氏の性加害問題」が、イギリスのBBCで取り上げられ、日本でも大きな問題となった時点で、ジャニーズ事務所は、「外部専門家による再発防止特別チーム」を設置し、その時点で、林真琴弁護士(元検事総長)などのメンバーが記者会見を行った。その後公表された同チームの報告書も、経営責任を厳しく問うものとなり、概ね評価された。その後の記者会見で「NG記者リスト」問題などの失態があり混乱を生じたが、少なくとも「第三者委員会」の設置と報告書公表までの対応には特に問題はなかった。

フジテレビの今回の問題は、日本の報道では「中居氏と女性社員とのトラブル」とされているが、海外メディア等の報道では、このトラブルについて「性加害問題」とされており、ジャニーズ事務所の問題と同種事例ととらえることも可能な案件だ。

しかし、フジテレビの第三者委員会に関しては、設置時に記者会見を行うことは全く考えていなかったようだ。1月23日の第三者委員会設置のリリースの最後に第三者委員会委員長に就任した竹内弁護士のメッセージが掲載されていることからも明らかだ。それは、既に述べたような第三者委員会の設置の経緯に関係しているのかもしれない。

企業不祥事としての「特異性」と第三者委員会調査の困難性

本件は、フジテレビ経営陣が、文春報道によってにわかに高まった社会的批判への危機対応に失敗したことで、会長、社長が引責辞任し、その後に、その文春報道が訂正されたこともあって、その「不祥事の具体的な内容」自体が茫漠とした中で第三者委員会が設置されたという事案であり、しかも、その大きな問題がある危機対応の経過に第三者委員会側が関与した疑いがあるという面においても、極めて特異な企業不祥事である。

それだけに、第三者委員会側としては、調査報告書の内容でそのような疑念を解消すべく、「日枝支配によって歪められたガバナンス」などについても積極的に調査に取り組むことになるだろう。しかし、本件は、そもそも企業不祥事として特異であり、第三者委員会調査も決して容易ではない。

一般的に、第三者委員会の調査の手法は、(ア)社員(退職者)などの関係者のヒアリング、(イ)社内資料の分析、(ウ)フォレンジック調査、(エ)社員などへのアンケート調査、(オ)情報提供窓口での情報提供の募集等である。

(ア)のヒアリングによって直接の供述で事実を具体的に把握するのが基本であるが、本件の場合、中心となる調査事項1)の「本事案へのフジテレビ社員の関わり」も、文春の記事訂正により、《女性社員の「A氏がセッティングしている会の”延長”との認識」を生じさせた事実》、という漠然としたものになっており、それを裏付ける関係者を特定することも容易ではない。そのため調査事項の2)の「本事案と類似する事案の有無」についても、関係者を特定するのは容易ではない。

そうなると、(ウ)のフォレンジック調査、(エ)の社員全体を対象とするアンケート調査が有力な手段となる可能性が高い。既に、第三者委員会委員長から社員全員にアンケート調査への協力要請が行われているようだ。しかし、完全匿名のアンケート回答の場合、内容の真実性が確認できない。回答者のヒアリングへの協力が得られるかどうかが鍵となる。

今回の問題の本質が、「40年以上にわたる日枝久氏の支配によるガバナンスの歪み」にあるというのが、衆目の一致するところだろう。しかし、そのガバナンス問題を、「本件事案」とどう結び付けることができるのか。3月末の報告書提出の期限までに、具体的事実を明らかにする調査を行うことは、決して容易ではない。

民放キー局を含む巨大メディア企業を襲った「フジテレビ問題」、その巨大不祥事の今後の展開は、全く予断を許さない。

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立花氏の竹内元県議に対する「死者の名誉毀損罪」の成否を考える

1月18日、兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑に関し兵庫県議会が設置した百条委員会のメンバーだった元県議の竹内英明氏が亡くなり、自死とみられている。その直後、死亡の原因について、政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、自身のユーチューブチャンネルで、

「(竹内氏を)逮捕すると県警は考えていたそうだが、それを苦に命を絶ったという情報が入っている。もうこれがほぼ間違いないと思います」

などと発言した。これについて、兵庫県警の捜査関係者が、各紙の取材に「任意聴取」「逮捕の予定」を否定したことを受け、立花氏は、

《警察の捜査妨害になる可能性があるので、竹内元県議の刑事事件に関する発信は削除させて頂きました!》

と投稿。一部書き込みや動画を削除した。

その後、20日に行われた兵庫県議会の警察常任委員会で、村井紀之県警本部長が質問に答えて、

「被疑者として任意の調べをしたことはありません、まして逮捕するという話は全くございません。全くの事実無根であり、明白な虚偽がSNSで拡散されているのは、極めて遺憾だと受け止めている」

と述べた。

これにより、立花氏のYouTube動画での「竹内氏が警察に逮捕されることを苦に命を絶った」という発言が虚偽であったことは確定的となった。

問題は、既に「死者」となっている竹内氏の名誉を毀損する立花氏の発言について、「死者の名誉毀損」の犯罪が成立するのか否かだ。

「生者に対する名誉毀損」と「死者に対する名誉毀損」

刑法230条は、1項では「名誉」、いわゆる外部的名誉を毀損する行為、人に対する社会的評価を低下させる行為を名誉棄損罪として処罰することとしている。ここでは、摘示した「事実の有無にかかわらず」処罰される。そのため、1項の故意は、「公然と」「人」の「社会的評価を低下させるような具体的な事実」を「摘示する」ということの認識が要求されるだけであり、そうした摘示をすることについて「未必の故意」(「~かもしれないが、そうであっても構わない」との意思)があれば犯罪が成立する。

そして、そのような犯意をもって名誉毀損行為を行えば、それだけで犯罪の構成要件は充足するが、その目的が専ら公益を図ることにあった場合、「事実が真実であることの証明があったとき」は、違法性阻却事由となる。真実性の証明ができない場合であっても、行為者がその事実を真実であると誤信し、誤信したことについて確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないとされている(最高裁昭和44年6月25日判決)。

つまり、摘示した事実が真実であっても名誉毀損罪は成立するが、公益を図る目的で、なおかつ行為者側が、「真実であること」、「真実と誤信したこと」について相当の理由がある場合には、犯罪の成立が否定される。

一方、同条2項の「死者」 に関する場合は、「虚偽の事実の摘示」のみが処罰される規定となっており、単に、死者の社会的評価を低下させる事実を摘示しただけでは名誉毀損罪は成立しない。摘示する事実の虚偽性の認識も必要になる。

問題は、死者の名誉毀損罪についての「虚偽の事実の摘示」の犯意について、未必の故意で足りるのか、確定的故意(確定的認識)を要するのか、である。

この点について、判例はなく、学説は分かれている。

まずは確定的認識が必要、という見解があり、『大コンメンタール刑法』などでは「伝統的な通説的見解」とされている。未必の故意で処罰されると、死者に対する歴史的評論が困難になる、という問題意識を背景としていると思われる。

一方で、通常の故意犯と同様、未必の故意で足りるとする見解も少なくない。例えば『条解刑法』では、

「誤って虚偽の事実を摘示して名誉を侵害しても本罪は成立しないが、虚偽性の認識は確定的なものである必要はなく、一般の故意犯におけると同様に未必的な認識でも足りると解される」

と述べられている。

いずれも明確な論拠はあまり示されておらず、対立する見解の間で議論が深まっているとは言い難い。

虚偽告訴罪についての「確定的故意」の要否をめぐる議論との比較

230条2項の「故意」に関する議論の参考にすべきと考えられるのが、172条の虚偽告訴罪についての議論である。「死者の名誉毀損」と同様に、未必の故意では足りず確定的故意を要するのかが問題となっており、判例もある。

「未必の故意」で足りるとする説の根拠は、告訴・告発をする場合に、犯罪事実を犯したか否かについてあやふやな状態で、その者が犯人ではないかもしれないと思いつつ告訴・告発をすることを許すならば、悪用の余地が大きく、正当な告訴・告発は刑法35条によって正当化されれば足りる、というものであり、故意の一般論において未必の故意で足りるとされている以上、虚偽告訴罪においてもこれを排除する必然性に欠けるとしている。

これに対し、確定的認識が必要とする見解も、有力に主張されている。

未必の故意で虚偽告訴罪が成立するとなれば、正当な告訴・告発を行う場合でも、真実と確信しなければならなくなるが、犯罪の嫌疑の段階では虚偽であるかもしれないという未必的認識を有するのが一般的なので、未必の故意で処罰されるとすると正当な告訴・告発の不当な制限になる、というのが主たる論拠である。

判例は「未必の故意で足りる」とする見解をとっており(最高裁判例昭和28年1月23日)、これに続く下級審の裁判例(福岡高判昭和32年4月30日)もあって、故意の一般理論にも沿うものとなっている。

つまり、虚偽告訴罪については、「正当な告訴・告発の不当な制限になってしまう」との論拠も相応に説得的であり、確定的故意を要すると解すべきとする学説も有力だが、それにもかかわらず、判例は不要説に立っており、実務も、未必的故意で足りるとの前提で運用されているのである。

「死者の名誉毀損罪」での「虚偽の事実の摘示」についての確定的犯意の要否

では、230条2項の死者の名誉毀損はどうか。

この点について判例はなく、実際に、死者の名誉毀損罪で起訴された例は、少なくとも公刊物上は存在しない。

本罪では、保護法益についても争いがある。「遺族の名誉」とする見解、「死者に対する遺族の敬愛ないし敬慕の情」とする見解、「死者の歴史的、社会的評価の保護」とする見解、「死者自身の名誉ではあるが、それは個人的法益ではなく、公共の利益である」とする見解等に分かれている。

保護法益を「死者の歴史的、社会的評価の保護」とする見解からは、死者に対する歴史的評論が困難になるという点が重視されるので、正当な歴史的評論のためには、故意の一般理論を排除して「確定的認識を必要と解すべき」とする見解につながる。もっとも、正当な歴史的論評であれば、刑法35条の「正当業務行為」として違法性が阻却され、結局のところ、犯罪の成立は否定されるので、いずれにしても、歴史的論評について「死者の名誉毀損」が問題になる余地はほとんどない。

本罪が親告罪とされ、死者に親族および子孫がいない場合には処罰はあり得ないことからしても、遺族感情が法益に含まれないと解することは困難であり、保護法益を「死者に対する遺族の敬愛ないし敬慕の情」ととらえるのが妥当だと考えられる。

故意の一般理論を排除し確定的認識が必要だとする見解は、歴史的論評について表現の自由に配慮したものと考えらえるが、上記のような保護法益の捉え方からは、通常、犯罪として問題となるのは、死亡と近接した時期に遺族感情を侵害するような行為が中心であり、歴史的な論評などとは性格が異なる。もし、死亡から時間が経過した後の歴史的論評が問題になった場合にも、「正当な論評」であれば刑法35条によって正当化され得るので、未必の故意で足りると考えても、表現の自由を委縮させることにはならない。

172条の虚偽告訴罪については、故意の一般理論を排除すべき論拠にも相応の合理性が認められるのに、それでも判例は未必の故意で足りるとしていることとの比較からしても、「死者の名誉毀損」について、摘示事実が虚偽であることの確定的認識は不要であり、一般の犯罪と同様に、「未必的故意」で足りると解するべきである。

 

「虚偽の事実の摘示」についての「未必の故意」とは

以上述べたことを前提に、どのような場合に、「死者の名誉毀損罪」が成立するのかを検討する。

まず、虚偽だと認識した上で公然と故人の名誉を毀損したと自白している場合、或いは、虚偽であることの確定的認識をもって発言したことを行為者が認める言動を行っていた証拠がある場合に犯罪が成立することに問題はない。

前記のとおり、「未必の故意」でも足りるとの前提に立った場合でも、「虚偽の事実の摘示」を行った時点におけるその「未必の故意」が、どのような事実によって認められるかが問題となる。

行為者が「虚偽であるかもしれないが、虚偽であってもいいと考えて発言しました」と自白していれば「未必の故意」が認められることは明らかであるが、問題は、その点について自白をせず、「虚偽だとわかっていたら、そのような摘示はしなかった」と弁解している場合に、どのような事実や証拠によって「未必の故意」が認定されるかである。

「殺人罪」における「未必の殺意の認定」との比較で考えてみよう。

故意というのは主観的要素であり、行為者自身が行為時にどのような認識であったのかという問題なので、「未必の殺意」は、行為者が「死んでも構わないと思ってやりました」と認める「自白」がある場合にのみ認められるという考え方があった。

しかし、未必の殺意による殺人というのは、大半が「衝動的殺人」である。口論の末、激高して、憤激のあまりその場にあった刃物で相手を突き刺してしまった、という場合、その間に、「死んでも構わないと思う」時間的な余裕がないのが大半である。そのような場合にも、「未必的殺意の自白」がないと殺人未遂罪で処罰できない、というのは、常識的にもおかしい。

そこで、「死んでも構わないと思った」という自白がなくても、

  • (a)「動機」(「その場での憤激の程度」も含む)
  • (b)手段(使用した凶器の殺傷能力)
  • (c)行為態様(身体の枢要部分めがけて行ったものか)
  • (d)犯行後の救命行動の有無

などを総合的に勘案して、行為者が死亡の結果が生じることが予想されることを認識しつつ行為に及んだと認められる場合には、「未必の故意」による殺人罪の立証が可能との考え方で殺人罪の起訴が行われる事例も多く、有罪判決も得られてきた。

それと同様に考えた場合、「死者の名誉棄損罪」の「未必の故意」についても、「虚偽であっても構わないと思って摘示しました」という「自白」がなくても、虚偽の事実と認識した上で敢えて摘示を行ったことが合理的に推認できる場合には、未必の故意があったことの立証は可能だと考えられる。

具体的には、

  • (ⅰ)虚偽の事実を摘示する動機
  • (ⅱ)摘示した事実が虚偽であることの明白性(その内容から、虚偽としか考えられないこと)
  • (ⅲ)摘示した事実が虚偽であったことが判明した後の行動

などの要素を総合的に勘案して、「虚偽の事実の摘示」についての「未必の故意」の存否を判断することになる。

立花氏の「虚偽の事実の摘示」についての死者の名誉毀損罪の成否の検討

以上述べたことを前提に、立花氏が竹内元県議の死亡の直後に、「竹内氏が警察に逮捕されることを苦に命を絶った」などとYouTubeで発言したことについての「死者の名誉毀損罪」による処罰の可能性について検討する。

まず、名誉毀損罪は親告罪であり、1項の犯罪については、その行為によって社会的評価を低下させられた被害者の告訴が処罰の要件とされている。2項の「死者の名誉毀損罪」については、遺族・子孫の告訴がなければ処罰できない。したがって、竹内氏の遺族による告訴がなければ、そもそも、死者の名誉毀損罪による処罰は問題にならない。

立花氏の投稿の内容は、「竹内元県議が、犯罪の疑いで警察の任意取調べを受け、近く逮捕される」という事実を摘示するものであり、竹内元県議の社会的評価を低下させるものであることは明らかであり、「名誉毀損」に該当する。

最大の問題は、「虚偽の事実の摘示」の故意が認められるかどうかである。

この点に関連する経緯を、時系列的に整理する。

  • (ア)竹内元県議は、斎藤元彦氏のパワハラ問題等に関する百条委員会の委員として、斎藤氏を追及していた。
  • (イ)11月1日、兵庫県知事選挙が告示され、立花氏が、当選を目的としないで立候補し、斎藤元彦候補を支援することを表明した。
  • (ウ)立花氏は、街頭演説で、竹内氏について、「元県民局長の告発文書の作成に関わった」などと批判。「でっちあげをしていた。元県民局長の奥様に代わって、百条委員会あてにメールを送った」「姫路市のゆかた祭りについて、パワハラについてのデマをまき散らした」などと述べたり、SNSで投稿したりした。
  • (エ)兵庫県知事選挙で、斎藤氏が当選、同日、竹内元県議は、家族への誹謗中傷等を理由に議員辞職。
  • (オ)議員辞職後も、竹内氏側への誹謗中傷は継続。
  • (カ)18日、竹内氏が自宅で死亡。
  • (キ)19日、立花氏は、「明日県警に逮捕される予定だった。それを苦に命を絶った。」と投稿。
  • (ク)新聞各紙が、「県警関係者が竹内氏の任意取調べも逮捕の予定も全面否定」と報道。同日、立花氏が上記投稿を削除。
  • (ケ)20日、村井県警本部長が県議会で、竹内氏の任意取調べや逮捕の予定を否定。
  • (コ)同日、立花氏は、YouTubeで「竹内県議会議員が自ら命を絶った理由が、警察の逮捕が近づいていて、それを苦に命を絶ったことは間違いでした。これについては訂正させていただきます。そして謝罪させていただきます」と発言。
  • (サ)立花氏は、投稿削除後も、「竹内氏は、警察の捜査を受けるのが当然だった。警察が捜査していなかったとすれば警察の怠慢」「メディアは相変わらず誹謗中傷が原因とか。誹謗中傷で何で死ぬねんって話じゃないですか」などと述べて、誹謗中傷による自殺を否定。

立花氏に「未必の故意」は認められるか

そこで、前記の判断要素(ⅰ)~(ⅲ)に照らして、立花氏に「虚偽の事実の摘示」についての「未必の故意」が認められるかどうかを検討する。

まず(ⅰ)の「虚偽の事実を摘示する動機」についてであるが、立花氏は、知事選の期間中に、街頭演説で竹内氏について、あたかも斎藤氏のパワハラ問題をでっちあげたかのような批判を行い、それが、立花氏の支持者によってネット上で大量に拡散され、竹内氏に誹謗中傷が集中した(ウ)。その誹謗中傷が竹内氏の家族にまで及び、それに耐えかねた竹内氏は知事選の直後に議員辞職をしたが(エ)、その後も、竹内氏に対する誹謗中傷が続いた(オ)。

これらの経過から、竹内氏の死亡について、立花氏側の竹内氏に対する攻撃とそれに呼応する立花氏の支持者によるネット上での誹謗中傷の拡散が起因しているのではないかと疑われる。竹内氏の死亡について、立花氏がその責任を問われかねない立場にあったことは間違いない。立花氏には、そのような自己の責任を回避するために、死亡の原因が別の問題にあったかのような話を作り上げる動機は十分にあった。

次に、(ⅱ)の「摘示した事実が虚偽であることの明白性」であるが、立花氏が摘示した事実は、もし、事実であったとすれば、警察が捜査遂行上、本来厳重に秘密が守られるはずの「特定人の逮捕の予定」である。警察の捜査予定が、マスコミにリークされ、いわゆる「前打ち報道」が行われることもあり得ないわけではないが、それが、もしあったとしても、情報提供先はマスコミである。別の刑事事件で警察の任意の取調べを受けている立場にある立花氏に、捜査機関側が他人の逮捕の予定という捜査情報を提供する理由は全く考えられない。立花氏が、警察の逮捕予定について正確に情報把握できたとは全く考えられない。

一方で、立花氏は、竹内氏に関する投稿削除後も、 (サ)の「竹内氏は、犯罪に当たるようなことをやっていたので、警察の任意取調べや、逮捕の対象となるのが当然だった」などと発言している。もし、それが事実だとすれば、「竹内氏が任意取調べを受け、逮捕される予定だったこと」の現実的可能性があったことになるが、立花氏が、選挙期間中に行った「竹内氏に対する攻撃」がほとんど根拠に基づかないものであり、竹内氏が、「犯罪に当たるようなことをやっていた」という事実も、警察から取調べを受けていたことも考えらえない。

この点は、1月25日のTBS報道特集によっても明らかにされている(《追い詰められていた元兵庫県議の竹内英明さん 「でっち上げ」と発言した立花孝志氏は【報道特集】》)。同番組でインタビュー取材に応じた立花氏も、それらが根拠に基づかない「疑惑」に過ぎなかったことを認めている。

「竹内氏が警察に逮捕されることを苦に命を絶った」との事実摘示が全くの虚偽であることは、その内容からして明らかである。

最後に、(ⅲ)の「摘示した事実が虚偽であったことが判明した後の行動」である。殺人の「未必の故意」の場合であれば、「喧嘩の末にカッとなって刃物で人を刺したが、その後すぐに我に返り、すぐに救急車を呼ぶなど懸命の救命措置を行った」というような場合、「未必の殺意」を否定する方向に働くのと同様に、立花氏が、虚偽の事実の摘示を行った後に、それが虚偽だとわかって、それによる死者の名誉毀損、社会的評価の低下の程度を最小限にとどめるような行動を行っている事実があれば、「未必の故意」を否定する方向に働く。しかし、実際には、立花氏は、投稿後、警察関係者が全面否定する記事が出た時点で、投稿を削除し、訂正・謝罪をしたものの、その後も、竹内氏の社会的評価を低下させる(サ)の言動を継続している。虚偽の事実の摘示による死者の名誉毀損の影響を最小限にとどめようする姿勢は全く見受けられない。

以上のとおり、立花氏が竹内元県議の死亡の直後に、「竹内氏が警察に逮捕されることを苦に命を絶った」などとYouTubeで発言したことについて、「虚偽の事実の摘示」についての「未必的な故意」は十分に認められると考えられる。

竹内氏の死亡についての立花氏のYouTubeでの発言は、人が亡くなった直後に、死亡原因について社会的評価をおとしめる虚偽の事実を発信し、そのような名誉毀損発言が、SNSで大量に拡散したものであり、死者の名誉毀損として、遺族感情という保護法益を害する程度がもっとも大きい態様の行為だと言える。

捜査機関、検察官には、竹内元県議の死亡直後に立花氏が行った故人に対する名誉毀損行為に対して、遺族の意向を十分に尊重しつつ、法解釈上の問題や立証上の問題を十分に検討した上、適切な対応を行うことが求められる。

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都議会自民党「裏金問題」、所得税納税をうやむやにしてはならない!

東京都議会の自民党会派で、政治団体の「都議会自民党」が政治資金パーティー収入など計約3500万円を会派の政治資金収支報告書に記載しなかったとして、会派の経理担当職員が政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で略式起訴された。

同団体の政治資金パーティーでは、都議1人あたり50枚、金額にして100万円分の販売ノルマがあり、それを超えて100枚目までは全額を、101枚以上については半額を会派に納めずに手元に残すいわゆる「中抜き」が行われ、会派と都議側の収支報告書に収入として記載されていなかったということだ。

また6年前の政治資金パーティーでは、パーティー券を配る際、ノルマを超えた分のパーティー券の扱いについては、都議などが集まる総会の場で「ノルマを超えた分はお好きにどうぞ」などと説明されていたということだ。(『都議会自民党 会計担当者を略式起訴 政治資金パーティー実態は』NHK記事 2025年1月17日)

都議会自民党幹事長の小松大祐都議は、記者会見を開き、今回の政治資金パーティーの問題について、

「長年にわたって続き、会派全体の責任と重く受け止めている」

として、政治団体「都議会自民党」を解散する考えを表明し、近く収支報告書を訂正する考えも示した。

記載していなかった都議の人数や名前、それぞれの不記載額については、収支報告書の訂正が確定したあとに会見を開いて公表するとのことである。

政治団体を解散するとしても、その政治団体が開催した政治資金パーティーについて、政治資金規正法違反が問題になっているのであるから、当然、それについて必要な措置をとった上で解散するべきだ。

その際重要なことは、都議会議員が手にしていた裏金の「納税の問題」について、ケジメをつけることである。

昨年10月27日投開票の衆議院議員総選挙では、自民党は56議席を失い、自公でも215議席と、過半数を大きく割り込む結果に終わった。その大惨敗の原因の大半が、自民党派閥政治資金パーティーをめぐる「裏金問題」にある。

自民党派閥の政治資金パーティーをめぐって、ノルマを超えた売上が「収支報告書に記載不要の金」として派閥側から所属議員側に「還付金」ないし「留保金」として供与され、実際に、所属議員側では、政治資金収支報告書に記載していなかった。

総選挙では、野党側が、

「『裏金議員』は『脱税』『泥棒』」

と批判したのに対して、自民党側では、当事者の議員などが

「裏金ではなく不記載であり、記載義務違反という形式的な問題に過ぎない」

と主張したが、そのような「言い分」はほとんど無視された。

「裏金議員がほとんど処罰も受けず、裏金について所得税も課税されず、納税も全く行っていないこと」「裏金問題の事実解明がほとんど行われていないこと」について、自民党に対する国民の強烈な反発不満が生じ、自民党の惨敗につながったのである。(【「裏金問題」という“ブラックホール”に落ちた自民党】

「裏金議員」のほとんどが刑事処罰を受けなかったのは、検察の刑事処分の判断によるものであり、議員側の責任ではない。しかし、政治資金収支報告書の訂正と、裏金についての所得税の納税は、議員本人が判断すべきことである。

国会議員の場合は、公設秘書、私設秘書等が複数いて事務所で政治資金の会計処理が行われているので、派閥から「還付金」「留保金」として供与された金銭を、政治資金として管理していたとして(実際に、そうであったかどうかは別として)、その金銭は「政治資金」であったと説明することは一応可能だ。

すべての「裏金議員」が、検察の示唆を受けて、派閥側収支報告書の訂正に合わせて、所属議員も政治団体の収支報告書の不記載だったとして訂正し、所得税の課税を免れる結果になった。

一方、都議会議員の場合、秘書の数も議員によって異なり、事務所による政治資金の収支管理がどの程度行われていたのかも不明だ。

しかも、安倍派の政治資金パーティーのように、いったん派閥に納入した上で国会議員側に「還流」していたのではなく、すべて都議側が留保していたもので、その金額も、ノルマ超の売上のすべてが都議側に入るわけではない。派閥から都議への「政治資金の寄附」というより、パーティー券販売に応じた報酬の性格が強かったと考えられる。

都議個人が、政治資金パーティー券の売上の一部を個人の金と混同させていた場合、それは「政治資金」ではなく個人所得であり、所得税の納税をするのが当然だ、

自民党派閥政治資金パーティー問題では、裏金の処理の時期が、昨年3月の確定申告の時期と重なったこともあって、国民の激しい怒りを招き、確定申告を拒否しようという動きにまでつながったことは記憶に新しい。

今年も、これから確定申告の時期を迎える。

都議会自民党の各議員が、個人の手元に入っていた裏金を、今回、政治団体の収支報告書の訂正をして、所得税の修正申告も行わない、という態度をとった場合、都内の各税務署では、昨年の確定申告と同様の事態が起き、それが、今年7月の都議会議員選挙での自民党への猛烈な逆風につながることは必至だ。

都議会自民党幹事長は、不記載があったとされる都議について、手元に留保していたパーティー券の売上の一部を、どのように管理していたのか(個人の資金と混同していたのか、政治資金として別途管理していたのか)、その使途等について自主申告を求めた上、個人に帰属していたと認められる都議については、収支報告書の訂正ではなく、所得税の修正申告を行うように指導すべきであろう。

自民党都議会議員にとっては、今年の最大のイベントと言える都議会議員選挙に向けて正念場である。

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兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える(1)~虚偽事項公表罪の成立範囲

11月17日投開票の兵庫県知事選挙は、選挙前の予想を覆し、不信任決議案の可決で失職した前知事の斎藤元彦氏が当選したが、その選挙をめぐって、公職選挙法違反等の問題が表面化し、捜査機関の動きも本格化しつつある。

今年12月2日に、弁護士の私と神戸学院大学教授の上脇博之とで提出した、斎藤知事らを被告発人とする公選法違反の告発状は、同月16日、神戸地方検察庁と兵庫県警察本部に受理された。

20日には、同選挙で落選した稲村和美氏の後援会が提出した、選挙期間中に稲村陣営のX(旧ツイッター)の公式アカウントが2回凍結された問題で「虚偽の風説を流布して業務を妨害された」とする偽計業務妨害の疑いと稲村候補に関して大量のデマ投稿が行われたことについての公職選挙法違反の虚偽事項公表罪の疑いについての告発状が兵庫県警に受理された。

告発事実が特定され、犯罪の嫌疑について相応の根拠が示されている以上、告発受理は当然であり、本来、それ自体に格別の意味があるわけではないが、最近、とりわけ政治家を被告発人とする告発については、捜査当局が慎重な姿勢であり、東京地検特捜部等では、刑事処分の直前に受理するのが通例になっており、また、警察は、告発の受理に難色を示し、説得して引き取らせようとする事例が多い。そのような実務の一般的傾向からすれば、今回、斎藤知事らの告発状の到達から2週間で告発受理に至ったのは異例の取扱いであり、しかも、我々の告発が検察、警察双方でほぼ同時に受理されたこと、稲村氏の後援会の告訴・告発も県警が早期受理したことをも併せて考えると、兵庫知事選挙をめぐる一連の問題について検察・警察の捜査への積極姿勢が表れていると思われる。

今回の兵庫県知事選挙をめぐっては、斎藤氏のパワハラや公益通報者保護法への対応に関連して100条委員会が設置され、その後、県議会が不信任決議案を全員一致で可決し、それを受け斎藤氏が失職した後の選挙だったこともあり、選挙後も、斎藤知事派と反知事派との対立状況が続いており、公選法違反の成否についても意見が対立している。

公職選挙法の罰則適用については、一般には理解されていない解釈問題や運用上の問題があり、弁護士等でも、必ずしも正確に認識理解しているとは限らない。また、意図的に誤った見解をSNS等で拡散する弁護士もおり、公選法についての誤った認識が拡散することが懸念される。

そこで、兵庫知事選挙に関連する公選法の問題について、3回に分け、

(1)虚偽事項公表罪の成否に関する問題

(2)選挙運動の対価にかかる買収罪の成否に関する問題

についての基本的事項も含む解説を行った上、

(3)今回の選挙をめぐる問題を受けての公選法の改正の方向性

について私見を述べることとしたい。

本稿では、まず、(1)について述べ、その後、(2)(3)について順次、投稿していく。

前提として、公選法という法律の一般的な傾向として、まず述べておきたいのは、同法には、選挙運動の自由、表現の自由の保障との関係から、選挙に関する発言や表現の内容自体に対しては基本的に寛大である一方、選挙に関する金銭、利益のやり取り、すなわち、買収や利害誘導等に対しては、投票買収・運動買収を問わず厳しい態度で臨むという一般的な傾向があり、判例・実務も、それに沿うものとなっていることである。

選挙に関する発言・表現の内容が選挙結果を左右するというのは、民主主義にとって望ましいことであるが、旧来の公職選挙においては、選挙に関する発言・表現が選挙結果に影響する程度は低いのが現実であったので、それをもっと積極的に行わせることが公選法の目的に沿うとの認識があったと考えられる。

その状況を大きく変えたのがSNS選挙である。SNSを活用すると、発言・表現が選挙において爆発的な威力を発揮する。「選挙運動の自由」を極力尊重しようとする公選法の規定だけで、SNSの威力から「選挙の公正」が守ることができない現実がある。

「選挙運動ボランティアの原則」との関係で言えば、従来は、選挙において不可欠なものとして、ポスター掲示、選挙カー運転のような機械的労務とウグイス嬢等だけについて例外的に対価支払が認められてきた。選挙で業務としてSNS運用に関わることが合法的に行える余地は小さい。しかし、選挙運動におけるSNS活用の重要性が急速に増大する中で、SNS活用は候補者にとって不可欠になりつつあり、それに関連する業務についても一定の範囲で対価支払を認めるルール変更も検討する必要がある、それを、「選挙運動ボランティアの原則」とどう整合させていくのかが重要な論点となる。

虚偽事項公表罪の適用範囲

選挙に関する発言・表現に対する罰則適用の典型例が公職選挙法235条の虚偽事項公表罪である。

1項で、「(特定候補を)当選させる目的」の虚偽事項公表については、身分・経歴・政党の所属等に関するものに限定して処罰の対象とされているが、2項では、「(特定候補を)落選させる目的」の場合について、あらゆる虚偽事項の公表に加え、事実をゆがめて公表することでも処罰の対象とされている。しかも、法定刑が、1項については「2年以下の禁錮又は30万円以下の罰金」であるのに対して、2項の犯罪については、「4年以下の禁錮又は100万円以下の罰金」とされている。

つまり、「落選目的の虚偽事項公表罪」は、「当選目的の虚偽事項公表罪」より、犯罪成立のハードルが低く、処罰は重く設定されているのである。

235条の1項は、誰かを当選させようとする通常の「選挙運動」についての規定で、場合には「口が滑る」ということもありがちなので,選挙への影響力が極めて強い「身分、経歴、政党の所属等の事項」等について虚偽の事項を公表した場合に限って処罰することとされている一方、2項は、特定の候補の当選を目的とせず、誰かを落選させるだけの目的の「落選運動」の場合であり、本来の選挙運動ではないから,そのような限定を外しても「選挙運動の自由」に対する制約は少ないということで、広い範囲が処罰の対象になっている。

そこで問題になるのが、「特定候補を当選させる目的で、他の有力候補を落選させることにつながる虚偽事項公表」が2項の適用対象になるのかという点である。

上記のように1項と2項を区別している趣旨からすれば、2項は、「特定候補の当選を目的としない、特定候補の落選だけを目的とする『純粋落選運動』」の場合に限定されるというのが素直な解釈だ。

私自身、2021年10月衆院選での「政治とカネ」問題での説明責任を理由とする甘利明氏の落選運動、2024年7月の東京都知事選挙での「カイロ大学卒」の学歴詐称問題を理由とする小池百合子氏落選運動、同年10月衆院選での「裏金問題」を理由とする丸川珠代氏の落選運動などで、「誰を当選させたい」ということは全く考えず、それぞれの理由で、各候補を落選させるための活動を行ってきた。この場合、ビラ、チラシの配布等について制限は受けないので、「落選運動チラシ」を公開するなどしてきたが、その際、落選運動としての発言や配布する印刷物の内容について、落選目的の虚偽事項公表罪の適用があることを当然の前提として、「虚偽」「事実歪曲」などにならないよう細心の注意を払ってきた。そのような2項の規定を特定候補の当選目的の発言にまで適用することは慎重に考えるべきだろう。

しかし、「特定候補を当選させる目的」であっても、そのための手段として「他の候補者を落選させる目的で、その候補者に関する虚偽の事項を公にする」というのは、正当な選挙運動から逸脱しているとみることもできる。そのような目的が明確な場合、「選挙運動の自由」として保護の対象にすべきではなく、広範囲に「虚偽事項」を処罰する2項の対象となる、と解釈する余地もある。

235条2項の適用対象が、このような「純粋落選運動」に限られるのか、今回の選挙で問題になっているような、斎藤氏という特定の候補を当選させる目的でで、対立候補の落選を意図して虚偽の事項を公表する行為も含まれるのか、この点は、本件について虚偽事項公表罪による処罰を求める場合の、大きな問題点である。

  

「稲村候補に関して虚偽事項を公表した」投稿・発言に関する問題

稲村後援会による公選法違反による告発の対象とされているのは、稲村氏に関して「外国人参政権を進めている」「県庁建て替えに1千億円をかけようとしている」などの「虚偽事項」がSNSで投稿され拡散されたというものだ。

選挙期間中の街頭演説で行われた同様の発言が、虚偽事項公表罪に当たるのではないかがSNS上で問題にされている。そのうちの一つが「NHK党」の斎藤健一郎参議院議員(以下、「斎藤議員」)の街頭演説での以下の発言だ。

友達に「斎藤候補以外の人になったら、稲村候補になったら1000億円かけて県庁舎を建て直すって言ってるよ。それでもよいのなら他の候補でもいいのかもしれないけど、それではダメだというのなら斉藤候補でいいんじゃない」という話をシンプルにしてあげてください。

稲村後援会の告発の内容からすると、稲村氏は1000億円かけて県庁舎を建て直す方針を示しておらず、「稲村候補が1000億円かけて県庁舎を建て直す方針を示している」と発言したとすれば、それが虚偽であることは明らかであろう。

しかし、斎藤議員の発言については、2項の虚偽事項公表罪の該当性には問題がある。まず、「稲村候補に関する虚偽事項」と言えるのかどうかだ。「言ってるよ。」というのが、「稲村候補が言っている」という意味であれば虚偽と言えるが、誰が言っているのかははっきりしない。誰かのいい加減な発言、あるいは予測であれば、稲村候補についての虚偽事項とは言いにくい。

そして、より根本的な問題は、「稲村候補を落選させる目的」と言えるかどうかだ。

演説の中では斎藤候補への投票を呼び掛けており、「斎藤候補に当選を得させる目的」の演説の中で、対立候補である稲村候補が「1000億円かけて県庁舎を建て直す方針」であるかのように発言しており、直接的に「稲村候補の落選を目的とする発言」と言えるかどうかは微妙だ。

この場合、2項の虚偽事項公表罪の適用に関して法解釈上の問題があることは、前述したとおりである。

本件で問題となっている稲村候補に関するデマ拡散行為の多くは、斎藤候補の応援・支援を目的とするものである。純粋に稲村候補の落選だけを目的とするものにしか2項の虚偽事項公表罪が適用できないとなると、処罰の対象はかなり限られたものとなる。この場合、既に受理されている稲村氏側からの告発は、アカウント凍結に関する偽計業務妨害罪の方が中心ということになるだろう。

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兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える(3) ~SNS選挙に対応する法改正

11月17日投開票の兵庫県知事選挙をめぐって、斎藤知事らを被告発人とする買収罪についての告発状が、12月16日、神戸地方検察庁と兵庫県警察本部に受理され、20日には、稲村候補に関して大量のデマ投稿が行われたことについての虚偽事項公表罪等の告発状が兵庫県警に受理された。

本件選挙を機に、公職選挙においてSNSが選挙に大きな影響を与えることが認識され、その実態に即して公選法のルールを改めるべく、法改正に向けての議論が始められている。かかる意味において、本件選挙における適切な捜査と刑事処分は、本件事案の適切な法的処理のみならず、今後の公選法に関しても、重要な意味を持つものとなる

公選法改正の議論を適切に進めていくためには、選挙で実際に何が起きていたのか、現行法の罰則ではどの範囲が処罰の対象になり、どのような行為が処罰の対象ではないのか、現行法と現状との間にどのように乖離が生じているのかを把握すること、その前提として、本件の現行の公選法の解釈を正しく理解することが不可欠である。

そこで、【兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える】と題して、3部作で解説と提案を行うこととし、12月23日に1作目の【(1)~虚偽事項公表罪の成立範囲】、25日に2作目の【(2)~選挙運動の対価支払いと買収】を投稿した。

3作目の本稿では、上記【(1)】【(2)】を踏まえ、SNSが公職選挙において極めて重要な手段となった現状に即して、公職選挙法をどのように改正すべきかについて私見を述べたいと思う。

 

「選挙運動」を正しく理解すること

公選法は、選挙運動の自由、表現の自由の保障との関係から、選挙に関する発言や表現の内容自体に対しては基本的に寛大である一方、選挙運動に関する金銭、利益のやり取りに対しては、「選挙運動ボランティアの原則」から厳しい態度で臨んでいる。

本来、選挙運動は、候補者本人と、その候補者を支持・支援する選挙運動者によって行われるものである。選挙運動にとって不可欠なポスター、チラシの制作等が公費負担の対象とされ、選挙カーの運転、ポスターの掲示等の機械的労務や、車上運動員(ウグイス嬢、手話通訳者)に対する所定の金額の範囲内での報酬支払が認められているが、それ以外は、選挙運動はボランティアで行うのが原則である。

判例上、買収罪との関係において、「選挙運動」は、「当選を得しめるため投票を得若しくは得しめる目的を以て、直接または間接に必要かつ有利な周施、勧誘若しくは誘導その他諸般の行為をなすこと」とされている。

その定義によれば、特定の候補者の当選を目的として主体的・裁量的に行う行為はすべて「選挙運動」であり、それに対して報酬を支払えば、告示の前後を問わず、上記例外を除いて、すべて、買収罪が成立する。

もっとも、選挙運動は立候補届出前に行ってはならないという「事前運動」の規制との関係では、立候補予定者等が選挙準備として行う行為は、それを行わなければ立候補すること自体が困難なので、主体的裁量的に行う行為であっても、「事前運動」の規制の対象にはならない(逐条解説公職選挙法改訂版(中)第129条(事前運動の禁止))。

このように、選挙運動に対する対価の支払に対しては、現行法は極めて厳格であり、現行法上は、選挙コンサルタントやPR会社などが、有償で「業務として選挙に関わること」は、その実態が明らかになれば、大半が違法ということにならざるを得ない。

今回の兵庫県知事選挙での斎藤氏と折田氏の関係については、斎藤氏がmerchuを訪問した9月29日以降、同社の社長の折田氏が個人のボランティアとして選挙に関わっていたことは斎藤氏側も認めており、

「選挙運動者や労務者というのは一種の人的属性であるから、選挙運動者が選挙運動と併せて選挙カーの運転等の労務者のなし得る行為をした場合に労務者となり、報酬の支給ができるものと解することはできない。」

とする判例の趣旨からも、同社にポスター、チラシのデザインの対価として支払われた71万5000円について買収罪が成立は否定できないように思われる。

しかも、一般的には、業者が行うポスター、チラシ等のデザインは、機械的労務であり、特定候補者の当選のための主体的裁量的行為ではないが、【(1)】で詳述したように、折田氏及びmerchuは、メイン・ビジュアルを起点とし、有権者向け訴求力を高めるための「公約スライド」作成とも相俟って、斎藤氏の選挙に向けてのデザイン戦略を担っていたのであるから、そのようなデザイン自体が、主体性・裁量性をもって行われた選挙運動と解される可能性が高い。

これまでも、選挙コンサルタントなどによる「業務としての選挙への関与」が、公選法上の問題になることはあったが、関与の実態が表面化することは少なかった。今回の選挙については、折田氏がnote投稿で選挙運動に主体的裁量的に関わっていることを自ら公言し、斎藤氏側が折田氏側への報酬支払の事実を明らかにした。そして、その後公開された斎藤氏の選挙運動費用収支報告書の内容により、「業務としての選挙への関与」と報酬の支払の実態が相当程度明らかになった。

このところ急激に高まっている「SNSの選挙に対する影響力」からすれば、公職選挙でSNS選挙戦略が有償の業務として行われることを放置すれば、今後の公職選挙において、ネット選挙戦略の付加価値が高まり、そのノウハウ・スキルを持つ業者に対する報酬が高額化し、「ネット金権選挙による腐敗」を招く危険性も否定できない。一方で、2014年にインターネット選挙が解禁されてから10年が経過し、選挙運動におけるSNS運用などのネット選挙戦略のウェイトが高まっている現状において、現行の公職選挙法のルールが、多くの面において実態に適合しなくなっていることも事実であり、今後、抜本的な見直しが必要になっていることは否定できない。

SNS選挙の実態に即した公選法改正の論点

そこで、今回の兵庫県知事選挙に関連して公選法改正の論点になると考えられるのが、「SNS上のデマ投稿の拡散」と「業務として行われるSNS運用に対する報酬の支払い」である。

まず、2014年のネット選挙解禁の公選法改正において、SNSがどのように位置づけられていたのかを確認しておきたい。

同改正では、ウェブサイト等における誹謗中傷等について一義的にはプロバイダ責任制限法に基づくプロバイダの対応に委ね、他方で密室性が高いので誹謗中傷やなりすましに悪用されやすい電子メールについては,第三者による送信を禁止し,誹謗中傷等の発生を防止することにした。改正の議論の時点ではまだ現在程影響力が大きくはなかったSNSは、「ウェブサイト等」に含むものとし、規制の強い電子メールには含まれない、という整理でスタートした。しかし、電子メール同様に多数人に情報の送信も可能で、誹謗中傷やなりすましのリスクが高いSNSは、改正後すぐにコミュニケーションツールの主役となり、電子メールだけ規制を強くした意味はなくなり、現状のようなSNSによるデマ拡散等の弊害が生じている。

このようなSNS上のデマ投稿に対して、現行法では、公選法142条の5で、Webサイト及びメールによる「当選を得させないための活動」、つまり「落選運動」について、責任ある情報発信を促す趣旨でメールアドレス等の表示が義務づけられ、一部の違反には罰則も定められている。ところが、「当選を得させる目的によるSNSを使用した選挙運動」には同義務について罰則がまったくないし、SNSは投稿時点で自動的に投稿者が表示され、返信も可能性となるので、投稿者は何もせずに表示義務を果たすことになると解されており、表示義務の規定は形骸化している。

もっとも、現行法上の特例として、選挙運動の期間中に頒布された「特定文書図画」が上記表示義務に違反している場合に、自己の名誉を侵害された候補者等の申出を受けてプロバイダ等が当該情報を削除しても民事上の賠償責任は負わないとされていることや、ネット掲示板やSNSにより自己の名誉を侵害された候補者・政党等からプロバイダ等に情報削除の申出があった場合、情報発信者に削除同意照会をし、2日リアクションがなければ削除が可能となるなど、選挙における表示義務を果たさない掲示板の書き込みや、表示義務は果たしているが候補者の名誉を棄損するSNSの投稿は、通常よりは削除が容易にできるようになっている(「プロバイダ責任制限法」第4条)。

しかし、この特例により削除の申し出ができるのは候補者・政党等に限られ、期間も選挙運動の期間中に限られる。選挙の最中の大事な時期に表示義務違反がないかを漏れなくチェックしたり、名誉棄損の投稿者に連絡して2日間待つ、といったことはなかなかできることではなく、しかも、削除の申し出先は、現在は、立法当時想定していた国内の大手プロバイダが中心ではなく、SNSの運営会社や、ネット掲示板運営会社であり、これらは海外事業者も多く、通信の秘密などを盾にすぐには応じない事業者も多いものと思われる。

諸外国でも、選挙におけるSNSの規制は問題になっており、欧州各国では、インターネットにおける虚偽情報・情報操作への対策として、虚偽情報やヘイトスピーチなどの削除、ネット配信停止や放送停止が可能な仕組みを導入する動きもあるようだが、そこには表現の自由との兼ね合いがあり、東南アジアなどでは、「虚偽」の恣意的な解釈などにより野党排除に悪用されている事例も少なくない。一方で、イギリス・アメリカは表現の自由を尊重し、基本的に対策はとられていないようである。

SNS上での虚偽情報・デマ投稿への対策

上記のとおり、SNS上での虚偽情報・デマの拡散に対して、現行法によるメールアドレス表示義務と投稿削除要請では有効な対策を行うことが困難だと考えられる。

では、デマ投稿を罰則の適用の方向で抑止することはできないか。

【(1)】で述べたように、当選目的の虚偽事項公表罪の対象の「虚偽」が限定されているため、SNSにデマを投稿する行為自体を公選法の虚偽事項公表罪によって処罰することは容易ではない。兵庫県知事選挙での斎藤健一郎参議院議員の街頭演説のように、「斎藤元彦候補の当選を得させる目的」を明示した上で、稲村候補が県庁舎建設に1000億円をかけようとしていると「政策に関する虚偽」を述べても、「虚偽事項公表罪」が成立すると解することは困難である。

 斎藤参議院議員のような発言を禁止しようと思えば、「当選目的による虚偽事項公表罪」の「虚偽事項」に「政策」を含めることも考えられるが、この場合の「政策」というのが、いつどの時点で候補者が掲げた政策とするのかを明確にする必要がある。少なくとも、候補者が選挙公約に記載している「政策」についての虚偽事項公表は、当選目的であっても処罰の対象とすべきであろう。

デマ投稿の「拡散」への対策

結局のところ、デマ投稿そのものを速やかに削除することが容易ではなく、立法上の措置にも限界がある。そこで、検討する必要があるのが、デマ投稿の「拡散」を防止ないし抑制する方向での対策である。

SNSのデマ投稿の問題は、それが大量に拡散され、多くの有権者の目に触れることにある。その大量拡散の原動力になっていると言われるのが、SNSを運営するプラットフォーム事業者の動画投稿等による収益の支払いだ。YouTube動画やその切り取り動画が拡散されて多く視聴されればされる程、広告料収入が増えるので、収益獲得を目的として、内容の真偽を問わず有権者の目を引く刺激的な投稿が拡散されやすい。

そもそも、公職選挙は民主主義の基盤であり、選挙権・被選挙権を有する国民が無償で権利を行使する場である。選挙に関わることで利益を得ようとすること自体が、公選法の目的に反するものである。選挙に関する発言・演説の動画を配信して利益を得ようとする行為の規制を躊躇する必要はないと考えられる。

「業務としてSNS選挙に関わること」への対策

次に、選挙運動ボランティアの原則、すなわち報酬支払の禁止と、SNS選挙との関係である。

もとより、選挙コンサルタントなどが、高額の報酬を得て、「当選請負人」のような業務を行うことが公選法の目的に照らし許されないのは当然だが、一方で、SNS運用が選挙で不可欠のツールになりつつある現実の下で、業務としてのサポートを厳格に禁止すれば、候補者自身或いは陣営のSNS活用のノウハウ・スキルの程度で選挙の当落が決まることにもなりかねない。それも公職選挙の在り方として望ましいとは言い難い。

これまで公職選挙法上、選挙運動に対する報酬支払が、車上運動員に対してしか認められていなかったこと、ポスター、チラシ制作等が公費で賄われていたことなど、現行の公選法の枠組みを、SNS運用が重要な手段となったネット選挙に適合するように見直していく必要があるのではなかろうか。

第一に、ポスター掲示板に紙の選挙ポスターを貼る、という従来の手法は、まさに「紙の時代」のやり方の典型である。しかも、選挙区が広く、有権者が多ければ多いほど、貼付のために膨大な労力を要し、そこに多額の「機械的労務費」も発生する。それが、選挙に金がかかる大きな要因になっていた。さらに、最近では、「表現の自由」を逆手にとって、ポスター掲示板に、公序良俗に反するような画像のポスターを掲示するという問題も発生している。

それを、可能な限りネットによる方法に改めていくことで、「金のかからない選挙」にしていくことを考えるべきではなかろうか。

具体的には、公費によるネット上での立候補者の紹介及び情報提供のための場を大幅に拡充し、動画なども含めて提供できるようにする。ポスターの掲示板も、デジタルサイネージによる電子掲示板を街頭への設置に変更することを検討すべきである。それによって、ポスター制作についての公費負担の費用を削減することができる。

このようにして選挙に関する開示情報のネット公開が中心になれば、各候補者は、そのような基本情報に関連づけてSNS等による広報戦略を立案し、実行していくことになるが、候補者間の公平が図れるよう、具体的なルールを定める必要がある。

そして、ルールに従ったSNS運用を行っていくことについて、「業務として選挙に関わること」に公的な位置付けを与え、候補者間の公平を図りつつ活用していくことが考えられる。

「公職選挙SNS運用管理者」制度を導入し、SNSを含む選挙戦略の企画立案・運用の方法や公選法の規定、ルール等について数日間の研修を義務づけ、それらを十分に理解していることが確認できた者にその資格を付与する。そして、候補者には、立候補の届出に当たって、同管理者の選任を義務づける。この「管理者」には、候補者側が主体的に行うSNS運用全体を把握し、それがルールに則ったものであるかをチェックするとともに、候補者の周辺でのルール違反行為を認知した場合の当局への通報を義務づける。そのように、法令遵守のための公的役割を担うだけに、車上運動員より高額の報酬の支払を認め、その一部を、公費負担の対象とする。その費用は、ポスター掲示板をデジタルサイネージに変更し、印刷代の公費負担を廃止することによる節減によって賄うことが可能である。

法改正のためにも真相解明と適正な刑事処分が不可欠

このようなネット時代に即した公選法の抜本改正を検討していくためにも、まずは、今回の選挙をめぐって、何が起きていたのか、それらが現行の公選法に照らして違反と認定し得るのかについて、捜査による真相解明と刑事処分が適正に行われることが必要である。

とりわけ、今回の兵庫県知事選挙においては、各候補者の動きについてネット上にも様々な情報が存在し、それによって、従来ではあり得ないほど選挙運動の実態が具体的に明らかになっている。そして、そのような選挙運動のやり方の評価についてもネット上での議論が行われている。捜査機関は、そういった情報を幅広く活用し、慎重かつ冷静に捜査を遂げ、その結果に基づく適正な刑事処分が行われることが望まれる。

今年は、7月には東京都議会議員選挙、参議院議員選挙が予定されているほか、少数与党となった石破政権の下ではいつ衆院選が行われるかも不明だ。

「紙から電子データ」「SNSによる情報拡散」が一層顕著になった時代における公職選挙を考えていく上で、今回の兵庫県知事選挙における公選法違反に関する捜査・刑事処分は、極めて重要な意味を持つものと言える。

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兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える(2) ~選挙運動の対価支払いと買収

【兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える】3部作の(2)は、「選挙運動の対価にかかる買収罪の成否に関する問題」である。選挙においてSNS活用が不可欠となった時代において、この問題を「法律の基本」に遡って考えてみたい。

公職選挙法は、選挙に関する発言や表現の内容自体に対しては基本的に寛大であるのと対照的に、選挙に関する金銭、利益のやり取りに対しては、投票買収、運動買収を問わず、厳しい態度で臨んでいる。

それに関して、「選挙運動ボランティアの原則」の下で、特定の選挙における特定の候補者の選挙に関する行為で、対価の支払が許されるのはどういう行為なのかを理解する必要がある。 

「選挙運動のボランティアの原則」と運動買収

個人の選挙への関わりという面で言えば、まず基本的には、選挙区内の有権者であれば、①「投票人」

の立場がある。誰に投票したかについて、「投票の秘密」が守られ、公務員が投票の秘密を害する行為は公選法違反の犯罪となる。どの候補者を支持しているかについても明らかにする義務はない。

次に、

②「選挙運動者」

という立場がある。選挙運動というのは「特定の候補者を当選させるための一切の行為」であり、選挙運動に直接関わることによって、外部に支持を表明することになる場合もある。特定の候補を支持する活動を行うことも、国民の重要な権利である。それが国民にとっての「権利行使」である以上、無償でなければならない。そこで、選挙運動はボランティアが原則ということになる。

そして、

③「選挙事務員」「機械的労務者」

などのように、「決定権、裁量権を持たず、候補者側の指示に基づいて機械的労務・事務を行うという選挙に関わる立場がある。

この3つのうち、候補者側が選挙に関わる者に対して報酬を支払うことができるのは、基本的に③の「機械的労務者・事務員」に限られる。②の選挙運動者には、例外的に選挙管理委員会へ届け出た上で報酬支払が行えるのが、ウグイス嬢、手話通訳者以外には報酬を支払ってはならない。

公職選挙に立候補し、公職に就くことをめざす候補者の立場から見れば、当選を得るための活動、すなわち「選挙運動」は、基本的に候補者自身が行うものであり、それを、その候補者を当選させたいと思う支持者・支援者のボランティアによる活動で支えてもらう、というのが公職選挙法の原則である。候補者が、①の投票行動に対して報酬を支払う行為は「投票買収」として、②の選挙運動に対して報酬を支払う行為は「運動買収」として公職選挙法違反となり、処罰されるのである。

「選挙運動を行う者」に合法的に報酬を支払うことができるのは「ウグイス嬢」「手話通訳者」のみである。それ以外で報酬を支払うことができる「機械的労務者」「選挙事務員」は、特定候補を当選させることを目的として主体的・裁量的に行う「選挙運動者」ではないので、報酬を支払っても買収とはならないのである。

すなわち、選挙に関する金銭等の授受についての公選法のルールは、極めて単純で、かつ厳格である。「ウグイス嬢」等の例外を除いて「選挙運動」を行う者に報酬を支払えば、すべて買収罪が成立するのである。

この点に関して、多くの人が誤解しているのが、選挙の告示との関係である。特定の選挙で特定の候補者の当選を目的として行う行為は、告示の前後を問わず「選挙運動」であり、告示の前に行えば、「事前運動」として違法となる。ただ、「事前運動」だけであれば、軽微な違反なので処罰されることは殆どない。しかし、その「事前運動」について対価の支払が行われれば、「選挙運動の対価」について買収罪が成立し、事前運動の違反と併せて処罰されることになる。

また、選挙運動費用収支報告書の区分上「選挙運動」ではなく、例えば「選挙準備」の区分とされているからと言って、「選挙運動の対価」であることが否定されるわけではない。支出区分は、報告書の記載における形式上の区別である。選挙準備行為とされていても、「機械的労務・選挙事務」に該当しない「特定の候補者の当選を目的とする主体的・裁量的行為」に対する対価支払は買収となる。

告示前の行為は、「政治活動」との主張ができるので、その対価を支払っても、政治資金収支報告書に記載すれば、公選法上も合法、というような認識もあったが、「政治活動」であっても、「特定の選挙で特定の候補者の当選を目的とする行為」であれば「選挙運動」に該当するというのが判例である。かつては、捜査機関側が「当選を得させる目的」の立証上の問題を考慮して「政治活動」の弁解が予想される事案の摘発に消極的だったに過ぎない。

近年、河井克行氏からの受供与者の事件の判決、柿沢未途氏に対する判決等では、行為者が、政治活動であることを理由に、選挙運動であることを否定する弁解がなされた場合でも、ことごとく有罪となっている。河井事件の受供与者の判決は既に最高裁で確定しているので、現在では、「特定の候補者を当選させる目的」が否定されない限り、「政治活動の言い訳」は、通る余地はない。

以上述べたことを前提に、斎藤知事らを被告発人とする告発にかかる公選法違反(買収罪)の問題について考えてみたい。

斎藤氏側から折田氏への供与と買収罪の成否

12月2日に提出した告発状で、斎藤氏らについて公選法違反(買収罪)の嫌疑の根拠としたのは、

  • (1)11 月 20 日に、株式会社merchu(以下、「merchu」) の代表取締役折田楓氏が、インターネットのブログサイト note に行った投稿(以下、「note 記事」)の内容によれば、折田氏はmerchuの社長として、同社の社員ともに、斎藤氏の知事選挙においてSNS広報戦略を全面的に任せられてその運用を行ったものと認められること
  • (2)折田氏のnote 記事の信用性が、投稿前後に斎藤氏の選対の主要メンバーであった森けんと氏、高見千咲氏らのX投稿によって裏付けられていること
  • (3)11 月 27 日兵庫県知事定例会見において斎藤氏に代わって行われた斎藤氏の代理人の奥見司弁護士がmerchuに対する71万5000円の支払を認めた上で行った「merchuにはポスター制作等を依頼しただけでSNS運用を任せておらず、折田氏は斎藤氏のmerchu社訪問後、個人のボランティアとして選挙に関わっていたとする説明」が不合理であり信用できないこと

の3点であった。

これらにより、奥見弁護士が支払を認めた71万5000円は、merchuへのSNS運用という選挙運動に対する対価を含むものだと結論づけたものだ。

このような告発状を提出したことを、オンライン会見を行って公表し、告発状をネットで公表したところ、告発人の私の下に兵庫県民から様々な資料、情報が提供された。それらを逐次、神戸地検、兵庫県警側に提供するなどしていたところ、12月16日に、神戸地検・兵庫県警が同時に、告発状を受理した。

告発事実が特定され、犯罪の嫌疑について相応の根拠が示されている以上、告発受理は当然であり、本来は受理自体に格別の意味はないが、最近、とりわけ政治家を被告発人とする告発については、捜査当局が慎重な姿勢であり、刑事処分の直前に受理するのが通例になっていることからすれば、今回、告発状の到達から2週間で、しかも、検察、警察双方で告発受理に至ったのは、異例の取扱いだった。

当初の告発状の内容に加え、兵庫県民からの様々な資料、情報の提供により、(1)について、折田氏が、単なる一ボランティアではなくSNS運用を主体的に行っていたことが、提供された折田氏の発言や活動内容についての情報資料から明らかになり、 (2)の森氏、高見氏のXでの投稿や他のSNSでの発言等についても多くの情報提供が行われ、それらによってnote記事の信用性が一層強く裏付けられた。それらに加えて、12月2日付けで提出された斎藤氏の選挙運動費用収支報告書中に71万5000円のmerchuに対する支払に関連する記載があり、奥見弁護士の説明を併せて考えると、支払の名目とされた「ボスター、チラシのデザイン」が選挙運動であり、それ対する対価の支払は買収と判断できることもで、地検・県警の早期告発受理の一因になったものと考えられる。

斎藤氏・代理人の説明が逆に犯罪を裏付ける結果に

斎藤氏の代理人の奥見弁護士の説明は、告発状の買収の嫌疑を否定するためのものであるのに、逆に、それによって買収の嫌疑が裏付けられる、というのは奇異に思えるかもしれない。しかし、前記の「選挙運動の対価の支払と買収」についての「法律の基本」が理解されていないとそのようなことも起こり得るのである。

そもそも、折田氏のnote記事投稿で買収疑惑が表面化した時点での斎藤氏自身の説明は、「選挙運動に対する対価の支払」を否定する説明になっていない。

斎藤氏は、当初から、

「PR会社には法律で認められているポスター制作などの費用として70万円ほどを支払った」

と説明していた(11月25日付けNHK等)。しかし、そもそも「法律で認められているポスターの制作費」として支払ったということだけでは、その支払が買収に当たらない説明にならない。

「ポスター制作」について法律が認めているのは、ポスターのデザイン・印刷という機械的労務の費用を選挙管理委員会に請求すれば、公費で賄われるということである。それ以外に、候補者自身がポスターのデザインの制作を委託して対価を支払った場合、それが買収に当たるかどうかは、そのデザイン制作という行為が、「当選を得させるための主体的・裁量的なものか否か」による。それが肯定されれば選挙運動に該当し、その対価の支払いは買収罪に該当する。それが否定され「機械的労務」だとすれば、買収罪は成立しないことになる。

斎藤氏は、「ポスターの制作代が公費で支払われる」ということを、「ポスター制作に関する支払は、主体性・裁量性を問わず、無条件に買収罪が否定される」と誤解していた可能性が高い。

そのため、そのような斎藤氏の主張を受けて行われた代理人の奥見弁護士が「ポスター、チラシ等によるデザインの対価の支払である」と説明したことで、結果的に買収罪の嫌疑が裏付けられることになったのである。

前述の「買収罪についての基本」が正しく理解されていれば、斎藤氏側が提出した選挙運動費用収支報告書と、奥見司弁護士の説明により、merchuに対する71万5000円の支払の名目とされているポスター、チラシ等のデザイン等の業務が選挙運動であることが認識できたはずであり、そのような説明で買収罪を否定するような対応が行われることはなかったはずだ。

そして、「買収罪についての基本的理解」を欠いたまま、斎藤知事の公選法違反の嫌疑を否定しようとするネット上の議論も行われている。

今後、選挙におけるSNS運用が不可欠になっている状況に対応して、公選法改正の議論を進めていく上でも「買収罪についての基本的理解」が進むことは重要だと思われる。

選挙運動費用収支報告書の記載や奥見弁護士の説明を前提に、買収罪が成立すると考えられることについて、具体的に解説しておこうと思う。

選挙運動費用収支報告書の記載内容

12月2日に斎藤氏側が提出した選挙運動費用収支報告書において、2024年11月4日に斎藤氏側からmerchuに支払われた71万5000円のうち、

  • 「メインビジュアル企画制作 11万円」
  • 「チラシデザイン制作16万5000円」
  • 「ボスターデザイン制作5万5000円」
  • 「選挙広報デザイン 5万5000円」

については、「支出の部」に、「選挙運動」の「区分」で、「さいとう元彦後援会」宛ての支払として記載されているが、

  • 「公約スライド制作 30万円(税別)」

は記載されていない。

斎藤氏の代理人の奥見弁護士は、

「(merche)社長ご夫妻は、斎藤氏が PR 会社を訪れた日以降、斎藤氏の考えに賛同してくださり、斎藤氏の応援活動をしてくださっている。」

と述べ、被告発人折田が、個人のボランティアで斎藤の選挙運動を行っていたことを認めた上、PR 会社からの提案に対して斎藤氏サイドが依頼したのが、請求書記載の5項目であり、これらは「選挙運動の対価の支払ではない」旨説明している。

しかし、前述したとおり、選挙に関する金銭等の授受についての公選法のルールは、極めて単純かつ厳格であり、「ウグイス嬢」等の例外を除いて、選挙運動者に対して報酬を支払うと、すべて買収罪が成立する。成立しないのは、「選挙運動者ではない機械的労務者・事務員」に対する支払だけである。

選挙運動費用収支報告書では、「メインビジュアル企画制作」「チラシデザイン制作」、「ポスターデザイン制作」「選挙広報デザイン」の支出を「選挙運動」についての支出と認めている。そして、その支出先は、報告書上は「さいとう元彦後援会」と記載されているが、それが、同日、後援会からmerchuに支払われたことは、奥見弁護士も認めている。

以下に述べるとおり、これら各項目は、すべて「主体的・裁量的に行った選挙運動であり、「機械的労務」に該当しないことは明らかである。

メインビジュアル

メインビジュアルとは、「ファーストビュー(最初に表示される画面領域)に含まれる大きな画像」である。

選挙運動費用収支報告書では、「メインビジュアル企画制作」として11万円が支払われている。支出先は「さいとう元彦後援会」だが、実質的には、mercheからの請求を受け、斎藤側が同社に支払ったものである。

note記事の中に貼り付けられている画像は、以下である。

   

下部に作成されたメインビジュアルの作成の意図について、その上で説明が加えられている。この説明からも明らかなように、メインビジュアルは、有権者への訴求力を最大限に高めるための選挙運動の基本的なコンセプトを表現したものである。主体的・裁量的に行われた選挙運動であることは明らかである。

note記事では、こうしてできあがったメインビジュアルについて、「デザインガイドブック」を作成して、選挙カーや看板を制作する業者にも配布し統一を図ったと述べている。

「チラシ作成費」「ポスター作成費」

選挙運動費用収支報告書によれば、「チラシ作成費」「ポスター作成費」については、mercheへの「ポスターデザイン制作5万5000円」「チラシデザイン制作16万5000円」のほかに、公費負担で「セイコープロセス株式会社」に、チラシについて98万5500円、ポスターについて150万2550円が支払われている。

同社のHPには、「チラシのデザインについて」と題して、以下の記載がある(https://www.seikoprocess.co.jp/printing/flyer/

《掲載したい内容がリストアップできたら、何を一番知らせたいか、の順番を決めてください。その上で、イメージしているものに近い資料や色柄、雰囲気などお伝えいただければ、弊社デザイナーが効果的なデザインに仕上げさせていただきます。》

つまり、同社で、「弊社デザイナーが効果的なデザインに仕上げる」というのであるから、斎藤氏側は、mercheが作成したメイン・ビジュアルに基づいて、ポスター・選挙ビラの「デザイン」を同社に委ねることもできた。しかも、その場合は、費用を一括して選管に請求することで、公費負担とすることも可能だった。 

チラシとポスターについては、(ア)実際に、上記HPの案内のようなやり方で、セイコープロセス社にデザインも含めて発注していた可能性と、(イ)note記事に書かれているように、折田氏が「紙媒体も既存の型にははめず、斎藤さんのことを分かりやすく様々な年代の県民の皆さまに届けるためにはどうしたら良いのか、仕様やサイズの異なるそれぞれの媒体でのベストをデザインチームと日夜追求した」可能性の二つがある。

(ア)であれば、mercheが「デザイン制作を行った」とは言えない。この点、note記事は少し「盛っていた」ということになり、「ポスター」「チラシ」のデザイン料の請求は実質的に架空請求だったことになる。

一方、(イ)の場合は、セイコープロセス社に「機械的労務としてのデザイン」を含めて公費で頼むことが可能であったのに、それを行わず、印刷だけ発注し、「ポスター」「チラシ」のデザインを、敢えてmercheに依頼し、有権者に届ける効果的なデザインを追求したということになる。この場合は、mercheがこれらのデザインを「当選を得させる目的」をもって主体的・裁量的に行ったことになる。

すなわち、(ア)であれば、デザイン料の名目で、実質的に斎藤氏に当選を得させる目的で行ったSNS運用等の他の選挙運動の対価だったことになるし、(イ)であれば、デザイン料の支払いが主体的・裁量的な選挙運動の対価だったことになる。

いずれにしても選挙運動の対価であったことは否定できない。

「公約スライド作成」が選挙運動であること   

斎藤氏は、10月23日に、知事選への出馬表明を行い、その際の記者会見で印刷配布する「知事選候補としての政策」のスライド化を折田氏に依頼し、公約の内容をワードファイルで提供した。

同スライドは、10月23日の記者会見で使用された後、1頁目が斎藤氏のYouTubeライブの際に背後に映る壁に掲示されているほか、全体が、斎藤氏の公式ホームページに「さいとう元彦の政策」として掲載されている。

この時点での斎藤氏は、9月19日に不信任決議案が可決されて失職した前知事であり、スライド制作を折田氏に依頼した10月上旬の時点では、無所属で立候補する意思を表明していたものの、当時、当選の可能性は低いと考えられていた。

公約スライドは、斎藤氏の公式ホームページに掲載され、斎藤氏が知事選挙で当選して再度知事の職に就いた後も、同氏の政治活動にも継続して使われていることは事実であるが、少なくとも、10月上旬の時点では、知事選に当選しなければ、同人が公約スライドを政治活動に使用する余地はほとんどなかった。だからこそ、選挙運動に使用するために、少しでも効果的な公約のスライド化は、まさに知事選において当選するために、有権者への訴求力を最大限に高める必要があり、そのために、30万円という高額の費用を支払ってでもPR会社社長というプロに依頼したものと考えられる。

このような依頼時の状況からしても、知事選挙で当選する目的をもって、政策スライドの作成を依頼したことは明らかである。

スライド制作の依頼を受けた折田氏は、note記事において、

「ワードファイルの内容を読み解き、どのような方でも見やすいデザインを意識したスライドに仕上げるため、記者会見の直前まで手直しをし、何とか間に合わせた」

と述べている。この「どのような方でも」というのが、「知事選での有権者である兵庫県民に広く」という意味であることは明らかだ。そして、そのような目的に沿うよう、公約スライド全体が構造化されており、細部に至るまで様々な工夫が加えられている。 

斎藤氏の前回知事選での公約スライドが今回とほぼ同じ枚数(11枚)であるものの、グラフもイラストも写真もなく、有権者への訴求力を追求して構造化されている今回の公約スライドとは全く異なっている。

奥見弁護士は、「公約の中身ではなく、あくまでデザインの委託費」と説明しているが、折田氏自身のnote記事によれば、その「デザインの委託」というのは、斎藤氏が提供した公約内容のワードファイルを基に、公約スライドを作成することを折田氏に全面的に委ねたのであり、折田氏は、その構成、文字の大きさ、色使いなどにより、有権者への訴求力を高めるために、様々な創意工夫を行って公約スライドを完成させた。

公約スライド制作に、斎藤氏を当選させるための活動としての主体性・裁量性があったことは明白である。

同様に、「選挙公報デザイン」も、公約スライドの2~4頁を、有権者への訴求力を最大限に高めるようにデザインしたものであり、当選を得させる目的の主体的、裁量的行為であることは明らかである。

各支払の「選挙運動の報酬」該当性

上記の通り、政治資金収支報告書にあるmercheへの「チラシデザイン制作」「ポスターデザイン制作」の合計22万円は、セイコープロセス社にデザインも含めて発注したのであれば、架空請求だったことになり、実際には、他に同社が行った斎藤氏の選挙のための業務の対価だった可能性がある。そうでない場合は、デザイン制作が主体的・裁量的に行われたことになる。

また、「公約スライド制作」「メインビジュアル企画制作」「選挙広報デザイン制作」は、いずれも「機械的労務」ではなく、斎藤を当選させることを目的として主体的・裁量的に行っているものであるから、選挙運動に該当する。

したがって、11月4日に斎藤氏側がmercheに支払った71万5000円は、いずれも選挙運動の報酬であり、斎藤氏について買収罪、折田氏について被買収罪が成立することになる。

斎藤氏、代理人奥見弁護士、いずれの説明も「買収罪の否定」になっていない 

奥見弁護士は、9月29日に斎藤氏がmercheの事務所を訪問して以降、折田氏は個人としてボランティアで選挙運動を行っていたこと、すなわち、同日以降、折田氏が「選挙運動者」であったことを認めている。

《選挙運動者(選挙民に対し直接に投票を勧誘する行為又は自らの判断に基づいて積極的に投票を得又は得させるために直接、間接に必要、有利なことをするような行為を行う者)や労務者(上記括弧内の行為を行うことなく、専らそれ以外の労務に従事する者)というのは一種の人的属性であるから、選挙カーの運転行為のみを行う者が労務者であるからといって、選挙運動者が選挙運動と併せて選挙カーの運転等の労務者のなし得る行為をした場合に労務者となり、報酬の支給ができるものと解することはできない。》

との判例例(東京地判平15・8・28、同旨2事案:東京高判昭47・3・27、大阪高判昭36・12・20)に照らせば、折田氏がmercheの社長として行った「ポスター・チラシのデザイン、スライド制作等」が、仮に「機械的労務」であったとしても、それについて折田氏に対価を支払えば買収罪が成立する。(支払先はmercheであるが、同社は折田氏が代表を務める小規模企業であり、同社への支払は折田氏への支払と同視できる可能性が高い。)

さらに、mercheについては、12月20日付けの読売新聞記事で

《10月5日、斎藤氏と広報担当者に対し、SNSを使った選挙中の情報発信で協力できると提案した。翌6日、広報担当者からこの支援者のスマートフォンに「SNS監修はPR会社にお願いする形になりました」などと、提案を断る趣旨のメッセージが届いた。」》

と報じられており、同記事のとおりであれば、斎藤氏側は、他の支援者から情報発信への協力を申出られても不要として断る程度に、mercheにSNS運用を全面的に委ねていたことになる。

結局のところ、斎藤氏の代理人として奥見弁護士が行った説明自体が、買収罪を否定する弁解として成り立たないのである。

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「立花暴露発言」に誘発された「折田ブログ投稿」で、斎藤知事は絶体絶命か

パワハラ問題などで県議会の全会一致の不信任決議を受け、兵庫県知事を失職した斎藤元彦氏が、11月17日投開票の「出直し知事選挙」で圧勝し、知事に再選された。兵庫県民は、県議会の不信任を否定し、斎藤氏を知事に信任したわけだが、斎藤氏に対する批判の契機となった同県の西播磨県民局長の自殺の原因、同局長が作成した告発文書の真偽、兵庫県側のその告発文書の取扱いに関する公益通報者保護法の問題などをめぐって、見方が分かれており、斎藤氏が知事に復帰した後も兵庫県の混乱は容易におさまりそうにない。

この問題については、今年9月初め、兵庫県議会で不信任案が提出され、それまで斎藤知事を擁護していた維新の会が一転して辞職を求めた時点で、YouTubeチャンネル《郷原信郎の「日本の権力を斬る!」》で取り上げ、その問題を、パワハラ、公益通報者保護の問題としてではなく、むしろ「維新の会が進めてきた改革路線をめぐる対立の問題」ととらえるべきという意見を述べた。一方で、マスコミや世の中は、「斎藤知事パワハラ批判」「公益通報者保護法違反批判」一色となり、単純化していったことに違和感を覚えた私は、その後、斎藤知事問題は、YouTubeでもXでも全く取り上げず静観してきた。

今回の知事選で斎藤氏が再選されたことを受け、これまでに明らかになっている事実を整理し、改めて問題を整理しようと考えていたところ、11月20日に、ネット上で、折田楓という女性が、斎藤知事のネットを中心とする選挙広報を、自身が経営する会社ですべて任されて実行したことを吹聴するブログ記事が発出され、ネット選挙の運動買収に当たるのではないかと、ネット上で騒ぎが拡大している。

斉藤知事問題は、その表面化から現在まで、想定外の事象の発生の連続だった。出直し知事選挙での斎藤知事の勝利で決着がついたかと言えば決してそうではない。大逆転の鍵を握ったとされるネット選挙問題に関して買収の公選法違反の疑いが表面化したことで、再度の逆転の可能性も出てきた。これまでの経過を踏まえ、現状で問題点を整理し分析してみたいと思う。

「パワハラと自殺」問題としての斎藤知事問題

斎藤知事をめぐる問題が、混乱に次ぐ混乱を重ね、さらに、今回の兵庫県知事選挙で、事前の予想に反して、終盤での大逆転で、斎藤知事が当選するという結果になった要因として、まず指摘できるのは、そもそも「斎藤知事問題」というのが、いったいどういう問題なのか、メディアの報道で、問題が単純化されていたため、兵庫県民には、極めて曖昧かつ不正確にしか理解されていなかったことである。

もう一つは、選挙戦の中で、主としてネット上で、そのような斎藤知事問題への従前の曖昧な認識理解を決定的に覆す「斎藤知事に有利な断定的な発言・発信」が行われ、それがネット上でSNS等を通して一気に拡散されたことである。そこには、そのような急速な情報拡散を可能にする「ネット選挙運動の仕組み」が用いられた。それが斎藤氏側に有利になったことである。そのネット選挙について公選法違反の重大な嫌疑が生じている。

斎藤知事の問題が大きく取り上げられる契機になったのは、3月に、マスコミや県議会関係者に、斎藤知事について、「パワーハラスメント」を含む7つの問題についての「匿名の告発文書」を送付し、その作成者と特定されていた西播磨県民局長が、7月に自殺したことだった。

匿名の告発文書については、斎藤知事の指示による県の調査で告発者が元県民局長であることが特定され、3月末の退職予定が取り消され、懲戒処分が行われた。それが、県議会で設置された百条委員会で「斎藤知事のパワハラ問題」として取り上げられ、元県民局長の証人尋問が予定されていたが、その直前に自殺したものだった。

元県民局長の匿名文書への外部への告発が「公益通報」に該当するのであれば、兵庫県の対応は「匿名通報の犯人捜し」「通報者の不利益処分」に該当し公益通報者保護法に違反する疑いが問題とされた。

百条委員会などで「元県民局長の自殺」と「斎藤知事のパワハラ」の二つがクローズアップされたため、世の中には、「パワハラと自殺」の問題のように受け止められ、「パワハラによって人が亡くなっている」かのような誤った認識が生じた。

「パワハラと自殺」をめぐる過去の問題

「パワハラと自殺」をめぐる問題は、過去にも多く発生している。

電通過労死問題」は、電通の違法残業問題として大きな注目を集め、労働基準法違反の刑事事件に発展し、厳しい社会的批判を受けたが、そこには上司のパワハラの問題と、長時間労働を強いる「パワハラ的職場環境」の問題があった。女性新入社員は 2015 年 4 月入社。10 月から担当業務が大幅に増加。これに新入社員の研修や懇親会幹事などの雑務が加わり、11 月上旬にはうつ病を発症していたと推測されている。このような中、自ら SNS で長時間労働を訴える内容や上司などのパワハラ・セクハラを疑わせる内容も発信していた。10 月の月間所定時間外労働は入退館データとの突き合わせにより約 130 時間に達していた。そのような長時間労働が基本的に変わらない状況で、12 月 25 日に、女性社員が投身自殺したものだった。

2023年に宝塚歌劇団の劇団員が自殺した問題でも、遺族側がいじめ・ハラスメントが自殺の原因だとして真相解明を強く求め、劇団員の死亡について事実関係や原因を把握するため、外部の弁護士による調査チームを設置することが発表された。

11月14日、劇団の理事長らが記者会見を開き、弁護士チームによる調査報告書を公表したが、その調査報告書では、長時間労働は認めたものの、遺族側が強く訴えていた「いじめ・ハラスメント」の事実は「確認できなかった」とし、「業務以外」「個体側の脆弱性」などという表現で、自殺の原因が、劇団側の問題以外にあった可能性を示唆していた。それに対して、遺族側代理人が猛反発し、ただちに記者会見を開いて調査報告書を批判し、調査のやり直しを求め、最終的には、歌劇団は、遺族から求められていた謝罪と補償について合意し、阪急阪神ホールディングスの角和夫会長らが遺族に対して謝罪した

上記の2つの事例は、いずれも「パワハラと自殺」という問題だった。

自殺の場合、当事者が亡くなっている以上、信用できる遺書で自殺の理由が明確に綴られているなどの場合を除いて、本当の原因を確定することは困難だが、電通や宝塚歌劇団の場合のように、当該組織の側にパワハラやパワハラ的職場環境の問題が指摘されている場合は、自殺を契機に、そのような組織的な問題に焦点が当たる場合が多い。

それに対して、問題とされる組織の側が、自殺の原因が他にある可能性を示唆する、ということがよくある。宝塚歌劇団の場合が典型例であり、弁護士による調査報告書でそのような言及をしたことで遺族側の大きな反発を受けた。電通過労死問題でも、当初、電通が裏で、高橋さんの自殺が会社の責任ではなく「失恋」などの個人的な問題だという情報を流布していた疑いもあった。しかし、電通の過酷な長時間勤務の実態が明らかになり、厚労省の調査が刑事事件に発展し、社会の厳しい批判を受けたこともあり、電通側から自殺の原因に関する話などが出てくる余地はなかった。

公益通報者保護法上の「通報対象事実」

兵庫県の問題では、元県民局長は、「斎藤知事のパワハラ等を匿名告発した」のであり、その自殺の問題は、斎藤知事のパワハラの被害を受けたことが原因ではなかった。しかし、上記のような電通や宝塚歌劇団など、過去に多くの問題で、「パワハラと自殺」が世の中に印象づけられていることもあり、「パワハラによって人が亡くなった」という問題のように誤解する人も少なくなかった。さらに問題を複雑にしたのは、「パワハラと自殺」の問題と関連づけられる形で、公益通報者保護法違反の問題が論じられたことだった。

3月12日に元県民局長が行った匿名の告発文書の送付は、県の通報窓口への「正式な通報」として行われたものではなく、マスコミや県議会関係者に送付されたものであった。正式な通報であれば、県の通報処理のルールでセクハラ、パワハラなども含め幅広く対象にしているが、組織の外部に対して行われたものであれば、そのような通報窓口の処理の対象とはならない。それが、「通報対象事実」に該当し、「外部通報」の要件に該当する場合に限り、公益通報者保護法による保護の対象となり、その場合は、「匿名通報の犯人捜し」「通報者の不利益処分」は違法となる。(元県民局長は、4月に兵庫県の通報窓口に正式に通報を行ったが、それは告発者として特定され、懲戒処分を受けた後のことである。)

公益通報者保護法は、「通報対象事実」について、

この法律及び個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律として別表に掲げるもの(これらの法律に基づく命令を含む。以下この項において同じ。)に規定する罪の犯罪行為の事実又はこの法律及び同表に掲げる法律に規定する過料の理由とされている事実

としている。つまり、「通報対象事実」は、限定列挙されている法律に違反する行為、又は犯罪であることが要件なのである。

上記の「外部通報」が、「通報対象事実」の要件に該当するものであれば、公益通報者保護法の保護の対象となるが、いずれかの要件に該当しない場合は、同法上の保護の対象とはならず法的義務は発生しない。

元県民局長の匿名の告発文書で取り上げている事実は、以下の7項目だった。

1. 五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯

令和6年3月6日にひょうご震災記念21世紀研究機構の五百旗頭真理事長が急逝したのは、その前日に、齋藤知事の命を受けた片山安孝副知事が五百旗頭先生を訪問。副理事長の御厨貴氏、河田惠昭氏の解任を通告したことによる精神的負担が原因ではないか

2. 知事選挙に際しての違法行為

2021年知事選挙の際、兵庫県職員が、選挙期間以前から斎藤元彦立候補予定者について、 知人等に対する投票依頼などの事前運動を行った

3. 選挙投票依頼行脚

斎藤知事が、2024年2月に、但馬地域の商工会、2月16日に龍野商工会議所に出向き、2025年に予定される知事選挙での自分への投票依頼をした

4. 贈答品の山

斎藤知事が、視察先で贈答を受け、貰い物は全て独り占めにしている。出張先では地元の、 首長や利害関係人を陪席させて支払いをつけ回す。

5. 政治資金パーティ関係

齋藤知事の政治資金パーティ実施に際して、県下の商工会議所、商工会に対して経営指導員の定数削減 (県からの補助金カット)を仄めかせて圧力をかけ、バー券を大量購入させた。

6. 優勝パレードの陰で

プロ野球阪神・オリックスの優勝パレードは県費をかけないという方針の下で、企業から寄附を募ったが、必要額を大きく下回ったので、信用金庫への県補助金を増額し、それを募金としてキックバックさせることで補った。パレード担当課長が不正行為と大阪府との難しい調整に精神が持たず、うつ病を発症した。

7. パワーハラスメント

自分の気に入らないことがあれば関係職員を怒鳴りつける。例えば、出張先の施設のエントランスが自動車進入禁止のため、20m程手前で公用車を降りて歩かされただけで、出迎えた職員・関係者を怒鳴り散らし、その後は一言も口を利かなかった。自分が知らないことがテレビで取り上げられ評判になったら、「聞いていない」と担当者を呼びつけて執拗に責めたてる。知事レクの際に、気に入らないことがあると机を叩いて激怒する。

幹部に対するチャットによる夜中、休日など時間おかまいなしの指示が矢のようにやってくる。日頃から気に入らない職員の場合、対応が遅れると「やる気ないのか」と非難され、一方では、すぐにレスすると「こんなことで僕の貴重な休み時問を邪魔するのか」と文句を言う。

この告発文書の7項目については、公益通報者保護法の「通報対象事実」に該当する可能性があるとすれば、6だけである。

2,3,5は、斎藤知事の政治活動や選挙運動に関する公選法違反等の指摘であり、通報対象事実ではない。そのような違反があると思料するのであれば、捜査機関に告発すべき事項だ。1も外郭団体の人事に関して「配慮が足りなかった」という話であり、違法行為の指摘ではない。4も「知事としてのふるまい」の話であり、違法行為ではない。7のパワハラは、通報窓口への通報の対象として重要な事項だが、公益通報者保護法の「通報対象事実」には該当しない。

6の事項は、仮に、企業からの寄附が補助金と紐付けられていたとすれば、兵庫県側が、不正な目的で補助金を支出したとして刑法の背任罪に該当する可能性があるので、「通報対象事実」になり得る。

公益通報者保護法は、マスコミ等への「外部通報」について、「そのような事実があることを信じるに足りる相当な理由があること」(真実相当性)に加えて、

(ⅰ)内部通報では証拠隠滅のおそれがあること

(ⅱ)通報者を特定させる情報が洩れる可能性が高いこと

(ⅲ)内部通報後一定期間調査の通知がないこと

(ⅳ)生命身体への危害等の急迫した危険があること

のいずれかに当たることを要件としている。6の事項については、上記の(ⅰ)(ⅱ)のいずれか又は両方の要件は認められる可能性が高いので、「真実相当性」の要件を充たせば「外部通報」に該当する可能性はある。

しかし、少なくとも元県民局長の告発文書の内容は、上記6の事項以外は、斎藤知事のパワハラ問題も含め「通報対象事実」には該当しないものがほとんどであった。

斎藤知事の対応の問題とその背景

しかし、だからと言って、この問題に対する斎藤知事の対応に問題がなかったわけでは決してない。

元県民局長の告発文書には、県の公金支出の在り方についての重大な問題である前記6の事項や、県のトップとしての適格性にも関わる前記7の斎藤知事のパワハラ問題などが含まれていた。そのような文書が、県の内部者によってマスコミや県議会関係者にばら撒かれたのであるから、公益通報者保護法との関係は別として、そのような問題を指摘されたことに対して、県のトップである知事として、しっかり向き合い、事実の有無と評価を客観的に明らかにし、県民に対して、或いは県議会に対して説明するコンプライアンス上の義務があった。

ところが、斎藤知事は、自身の問題についての「県の内部者によると思われる匿名告発」を、「怪文書」のように扱い、事実の指摘に全く向き合おうとせず、そのような文書を外部に拡散したことを問題にした。県執行部に告発者を特定する調査を行わせ、それが元県民局長であることを突き止めると、知事定例会見で「嘘八百を含む文書を作って流す行為は公務員として失格」などと批判し、元県民局長の懲戒処分を行った。そして、この告発文書のことが県議会で取り上げられ、百条委員会の調査の対象とされ、元県民局長も証人喚問されることが決まっていたが、その直前に自殺したのである。

このような斎藤知事側の対応や、それに対する県議会側の追及、それに対する知事側の反発の背景に、3年前の知事選から尾を引く県議会の一部勢力との対立の構図があった。

2021年の兵庫県知事選挙では、自民党が井戸前知事派の県議会議員が、前副知事の金沢和夫氏を擁立したのに対して、国会議員団は、一部の自民党県議は、元大阪府財政課長で維新の会が擁立した斎藤氏を支持し、自民党の分裂選挙となった。その結果、斎藤氏が金沢氏を破って知事に就任したのだが、その対立は今も尾を引いているようだ。

反斎藤知事派の県議にとっては、この元県民局長の自殺の問題を、斎藤知事を辞任に追い込むネタにしたいという思惑があり、斎藤知事を守ろうとする片山安孝副知事、維新の会、自民党の県議の政治的対立の中で、県議会での不信任案可決、斎藤知事失職、出直し知事選挙、選挙最終盤での大逆転と展開していった。

「斉藤知事のパワハラ」「公益通報者保護法違反」が百条委員会の中心論点に 

元県民局長の自殺に関して問題になり得るのは、匿名の告発文書については、斎藤知事の指示による県の調査で告発者が元県民局長であることが特定され、3月末の退職予定が取り消され、懲戒処分が行われるなどの不利益処分が行われたことが「パワハラ的行為」であり、それが、元県民局長が追い込まれ、自殺に至った原因ではないか、ということだった。

ところが、県議会の百条委員会では、「斎藤知事のパワハラ」の有無と、それに対する斎藤知事側の対応の公益通報者保護法違反の問題が中心的な論点として扱われた。

それに対して、斎藤知事側は、「告発文書には真実相当性がないので懲戒処分は公益通報者保護法違反にならないというのが県の顧問弁護士の意見だった」と説明した。前記の斎藤知事の定例会見での「嘘八百」という発言も、「真実相当性」を意識したものだったと思える。

しかし、「真実相当性」の問題は、「犯人捜し」「不利益処分」を正当化する根拠になるものではない。本人が、いかなる根拠によって、それが真実であると信じたのか、信じるに足りる相当な理由があったのかどうかは、その不利益処分について訴訟が提起された場合に、裁判所の司法判断によって決せられるべきことで、「不利益処分」を正当化する理由にはならない。「真実相当性」は、元県民局長への斎藤知事側の対応が公益通報者保護法に違反しないことの理由になるものではなかった。

ところが、斎藤知事側が、「真実相当性」の問題を持ち出したことで、県議会の百条委員会の側は、「斎藤知事のパワハラ」の真実性を見極めるための手段として、県職員への匿名アンケート調査という、(最近、企業不祥事の第三者委員会の調査等で多用されるが)極めて問題がある調査手法を用いた。

組織の不祥事が表面化した時点での構成員への匿名アンケートは、回答内容が他人の言動に影響されやすく、自己の体験と伝聞とが区別できないことなど、信用性に非常に問題がある。アンケート回答の内容は、誇張や歪曲も多い(実際に、アンケート調査の回答を多用したスルガ銀行の「カボチャの馬車」問題の第三者委員会報告書の内容は、その後、提起された民事訴訟で一部信用性が否定されている)。

公益通報者保護法に関して問題なのは「斎藤知事のパワハラ」ではないのに、それが法違反に当たるかどうかの最大の問題であるかのように扱われ、しかも、斎藤知事側が不利益処分を行った弁解になるものではない「真実相当性」が論点とされ、それに関して匿名アンケートなどという信用性に疑問がある方法がとられたことで、議論は、「斎藤知事問題の本質」とは全く異なった方向に向かっていった。

片山前副知事が持ち出そうとした「不倫問題」

このような中で、斎藤知事側が、元県民局長の告発文書の信憑性を否定するため、そして、その自殺の原因が、斎藤知事側の問題ではないことの主張の根拠として持ち出したのが、元県民局長の「不倫問題」だった。

7月に辞任した片山安孝前副知事は、百条委員会の証人尋問で、告発者の特定のための兵庫県の調査の過程で、元県民局長の公用パソコンの中から、個人情報の漏洩や庁内の女性との不倫問題に関する文書が発見されていた事実があることを持ち出そうとした。元県民局長の自殺の原因は、百条委員会の証人尋問で、その「不倫問題」が表に出ることを恐れたことが原因である可能性を示すことで、自殺の原因が、斎藤知事側の「犯人捜し」「不利益処分」ではなく、百条委員会側が証人尋問で元県民局長が追い込まれたと主張する意図だった。

これは、ある意味では、「パワハラと自殺」の問題で、社会的批判を受けた宝塚歌劇団等に見られたような、自殺原因が別の個人的問題にあると主張することに等しい。

百条委員会では、その不倫問題を取り上げることに消極的だったため、片山氏は、マスコミからの取材に対して、不倫の事実について公言しようとしたが、担当記者は、取り上げようとしなかった。

「騙されていた」「真実がわかった」有権者の反応がSNSで拡散

自殺した元県民局長に庁内不倫の問題があったとしても、それは告発文書の信憑性とは関係がない。斎藤知事の問題を調査する百条委員会の場で持ち出すこと自体がおかしい。自殺した元県民局長の死者の名誉に対する配慮からも、そのような発言を取り上げないようにしたことは間違ってはいない。

しかし、「元県民局長の不倫問題が自殺の原因に関連する」とする片山前副知事の発言が表に出ていなかったこと、それが、世の中に認識されないままになっていたことは確かである。

それを、知事選挙の期間中に、当選する目的ではなく、斎藤候補を支援する目的で立候補した立花孝志氏が、街頭演説、YouTube動画等で明らかにした。「百条委員会側やマスコミが元県民局長の不倫問題を隠蔽し、斎藤知事問題の真実を覆い隠していた」と立花氏が暴露したことによって、有権者に「騙されていた」「ようやく真実がわかった」などと受け止められた。それが、選挙終盤にSNS、YouTube動画等で拡散され、選挙結果に大きな影響を及ぼすことになった。

有権者の斎藤知事問題に対する認識理解がもともと曖昧であったため、「斎藤知事のパワハラによって自殺者が出た」「パワハラ告発に対する斎藤知事の対応が公益通報者保護法違反」などと単純に思い込んでいるも多かった。そのような人にとっては、初めて、この問題に関して「明確な事実」が示されたことが、それまでの斎藤知事に対するイメージを劇的に変える効果を持ったものだった。もともとの認識が曖昧で不正確だったからこそ、本筋とは関係ない事柄なのに、それによって、斎藤知事問題に対する見方を大きく変える力を発揮した。

こうして、出直し知事選挙は、斎藤知事の圧勝に終わり、世の中に、特に、それまでの斎藤知事の追及一辺倒だったマスコミに衝撃を与えたのである。

選挙後の「ネット選挙運動買収疑惑」の浮上と斎藤知事失職の可能性

しかし、この問題は、それでは終わらなかった。

知事選挙の投開票日の3日後の11月20日に、西宮市にあるPR会社『merchu』の代表取締役の折田楓氏が、ブログ上で、選挙におけるSNS発信やチラシ、政策パンフレットや選挙公報などに、PRの専門家としてさまざまな助言を与えていたことを公表した。

折田氏の会社の会議室で斎藤知事をまじえておこなうミーティング風景や、選挙やSNSで使う写真素材の撮影風景などもブログに掲載している。実質的に斎藤陣営における広報PR活動のほぼ全てに主体的に関わっていることを自ら公表する内容だった。

折田氏が、斎藤知事に直接依頼されてネット選挙運動を、会社の業務として全面的に仕切っていたとすれば、それは選挙運動そのものであり、しかも、無償で行われていたとは考えられない。斎藤氏がその対価を払ったということであれば、「当選を得しめる目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益を供与した」ということで斎藤氏は公選法221条1項違反の買収罪に該当する可能性が高い。

斎藤知事は22日、マスコミの取材に対し

「法に抵触する事実はない」

とコメント。さらに代理人弁護士は

「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません。あくまでポスター制作等法で認められたものであり相当な対価をお支払いしております。公職選挙法に抵触する事実はございません」

とコメントしているが、斎藤氏が折田氏の会社にSNS戦略の企画立案などについて依頼をした事実は、折田氏が明確にブログで述べており(その後、斎藤知事に関する記述などを削除)、折田氏がブログで公表した事実を否定することは困難だと思われる。

仮に、斎藤氏側が、「折田氏のブログの内容が事実に反する」と主張するのであれば、折田氏は、妄想によって虚偽の内容をブログに記載したことになる。折田氏は、斎藤県政の下で兵庫県地方創生戦略委員や、兵庫県eスポーツ検討会委員などを務めており、今回の選挙で斎藤知事に当確が出た直後に、自身のSNSアカウントの投稿に、斎藤知事と撮った写真とともに

「また、一緒に仕事ができる日を楽しみにしています」

と書き込んでいるが、そのような「妄想」をネット上で公言するような人物に対して、今後県の公職を務めさせることができないことはもちろん、そのような虚偽のブログの記載で斎藤知事に重大な公選法違反の疑惑を生じさせたことについて、不法行為による損害賠償請求を行うことも当然ということになる。

折田氏が、軽率にも、SNSを活用したネット選挙運動での活躍を自慢するブログを書いてしまったことが、せっかく大逆転勝利を収めた斎藤氏を再び奈落の底に落とすことになっている。

なぜ、折田氏がそのようなブログ投稿を行ったのか。そこには、立花氏が、「当選を目的としない候補」として、知事選に乱入し、「元県民局長の不倫問題の隠蔽」を暴露したこと、それがSNS、YouTube動画等で拡散されて、選挙結果に多大な影響を与えたことで、立花氏が斎藤氏逆転勝利の立役者のようにもてはやされていることに我慢がならなかったようだ。

投稿直後のブログの記載によると、折田氏の会社は、1か月近くにわたって斎藤氏のネット選挙運動を全面的に仕切り、それによって作ったイメージが逆転勝利に大きく貢献したとのことであり、その手柄を立花氏に横取りされたことへの不満が、折田氏を、絶対に行ってはならない「会社としての選挙運動の告白」に駆り立ててしまった。

しかし、それも、冷静になって振り返ってみれば、「斎藤知事のパワハラによって自殺者が出た」「パワハラ告発に対する斎藤知事の対応が公益通報者保護法違反」などとの誤った思い込みもあり、有権者の斎藤知事問題に対する認識理解がもともと曖昧であったことで、立花氏が断定的に示した「元県民局長の不倫問題が告発と自殺の真相だ」という話で、有権者が過剰に反応したということであり、もともと、この斎藤知事問題をめぐる経過が異常だったということに他ならないのである。

斎藤知事が公選法違反で処罰され、当選無効・公民権停止となって失職する可能性は相当程度高いと言わざるを得ない。このような問題を抱えて、しかも、全会一致で不信任案を可決している県議会と対峙して県政の安定が実現できるとは思えない。斎藤知事は、冷静に事態を受け止め、辞任を検討すべきだろう。

それによって、混乱と衝撃が続いた「斎藤知事劇場」に終止符が打たれ、信頼できる健全な兵庫県政を担える知事が選び直されるべきであろう。

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「裏金問題」という“ブラックホール”に落ちた自民党~石破首相の最重要課題となった法務大臣人事

10月27日投開票の衆議院議員総選挙は、自民党が56議席を失い、自公でも215議席と過半数を大きく割り込む結果に終わった。その大惨敗の原因の大半が、自民党派閥政治資金パーティーをめぐる「裏金問題」にある。

昨年12月に検察捜査で表面化した「裏金問題」で、自民党に対する批判が高まり、その問題への対応でも厳しい批判を受けた結果、自民党は4月の衆院3補選で全敗、その後も内閣支持率下落が続いたことを受け、岸田文雄前首相は、9月の総裁選への不出馬・退陣を表明した。

9候補が乱立して争われた総裁選では、「裏金議員」への厳正な対応も、「裏金問題」への抜本的対策も示せないまま、結局のところ、従来の自民党的な「党内力学」で石破茂氏が総裁に選任されたが、石破氏は、新総裁就任直後、国会で新首相に指名される前に、総裁選で示していた「予算委員会での議論を経て総選挙での審判を受ける」との方針をあっさり撤回、首班指名直後に衆議院を解散して10月27日投開票で衆院選を行うことを宣言した。総裁と言えども、「裏金問題での国会追及回避最優先」という自民党内論理に抗えないことを露呈したものだった。

それにより、石破新首相に対する国民の期待は裏切られ、石破内閣は、新内閣発足時としては最低の内閣支持率から出発することになった。そして、情勢調査の結果が、裏金問題批判のために厳しいものであることを知った自民党執行部が、「裏金議員」合計12人を衆院選で非公認とすることを発表したが、それが、党内から反発を受ける一方で、国民からは「裏金議員への厳正な対応」としては評価されず、公示後の選挙情勢は自民党にとって一層厳しいものとなった。

そして、選挙期間終盤で「非公認議員への2000万円提供問題」を日本共産党の機関紙『赤旗』にスクープされ、「裏金議員への裏公認料」との批判が一気に燃え上がり、それに対し、石破首相が

「党支部に党勢拡大のための活動費として提供したもので、候補者に対するものではない。選挙のためには使わない」

などと反論したことで批判はさらに炎上、自公両党の大惨敗につながった。

一方の野党側では、野党第一党の立憲民主党は、50議席も議席を伸ばして大躍進したが、野田佳彦代表をはじめ、「裏金問題」を徹底批判したに過ぎず、「年収の壁打破」等の政策を掲げ若年層の支持を集め議席を4倍増させた国民民主党以外に、与党側との対立軸となる政策が支持されたわけではなく、また、政策遂行能力を示したわけでもなかった。少なくとも、「裏金問題」の追及によって、野党に対する国民の期待や信頼が高まったわけではない。

政党間のイデオロギー対立が希薄となり、政策面でも、積極財政・消極財政、消費税減税の可否、憲法改正の是非なども、政党内での意見も統一されていない状況にあり、政党選択と政策選択とは必ずしも直結しない。それだけに、有権者の選択においては、政策面の違いより、「政党・政治家への信頼」が選挙における選択の大きな要因になっていることが示されたのが今回の選挙だったと言える。

総選挙後、少数与党となった自民党の石破首相は、28議席となった国民民主党に政権運営への協力を要請するなど、国会での多数派工作を行っているが、いずれにしても、自民党の大惨敗と野党第一党の立憲民主党の大躍進の原因となった「裏金問題」は、与野党勢力が伯仲する今後の政治状況や国政選挙に向けて、引き続き重大な問題となっていくことは避けられない。

「裏金問題」とは、どういう問題なのか

では、今回の総選挙の結果に決定的な影響を与えた「裏金問題」というのは、いったい、どういう問題なのか。

明らかになったのは、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐって、ノルマを超えた売上が「収支報告書に記載不要の金」として派閥側から所属議員側に「還付金」ないし「留保金」として供与され、実際に、所属議員側では、政治資金収支報告書への記載は行っていなかった。その金額が、清和政策研究会(安倍派)では5年間で総額5億円以上に上っていた事実である。

総選挙では、野党側が、

「『裏金議員』は『脱税』『泥棒』」

と批判したのに対して、自民党側では、当事者の議員などが

「裏金ではなく不記載であり、記載義務違反という形式的な問題に過ぎない」

と主張したが、そのような「言い分」はほとんど無視された。

しかし、「裏金問題」が、なぜ「脱税」なのか、「泥棒」なのか、問題の中身も、責任の所在も、問題解消のための方策も、全く明らかになっていない。それゆえ、「裏金議員がほとんど処罰も受けず、裏金について所得税も課税されず、納税も全く行っていないこと」「裏金問題の事実解明がほとんど行われていないこと」について、自民党に対する国民の強烈な反発不満が生じている。

自民党にとっては、「裏金問題」は“正体不明の巨大なブラックホール”であり、衆院選では、その中に、次々と吞み込まれ、成す術なく惨敗したのである。

なぜ「裏金問題」が“ブラックホール”になってしまったのか、その経緯と原因を明らかにしなければ、この問題を解決することはできない。

『赤旗』報道が契機となった「裏金問題」

昨年12月、「自民党政治資金パーティーをめぐる問題」が表面化し、閣僚クラスの議員を含め、多額の裏金を得ていたことが報じられると、当初は、「東京地検特捜部による捜査」が大きな注目を集め、どれだけの自民党政治家が、どれ程厳しく処罰されるかに関心が集中した。急遽、全国の地検から応援検事の派遣を受けて異例の大規模捜査体制で捜査が行われた。

今年1月19日に検察の捜査は一応決着したが、国会議員で起訴されたのは、大野泰正参院議員と池田佳隆衆院議員の二人と、谷川弥一衆院議員が罰金の略式命令を受けただけだった。4000万円を超える「裏金」を供与されていた谷川氏は、議員辞職をした際の記者会見で開き直り、記者に悪態をつくなどして、国民に不快感を与えた。大野、池田両氏は、全く非を認めず、公判では全面的に争う姿勢を示しており、その後、公判に向けての動きは、全く報道されず、公判予定も明らかになっていない。それ以外で起訴されたのは、派閥の事務担当者や議員の会計責任者だけであった。

政治資金規正法上は、「政治資金の収支の公開」が義務づけられているのに、派閥から「収支報告書に記載しない金」の供与を受けて、実際に記載もしていなかった国会議員の処罰がほとんど行われなかったことに対して国民には大きな不満が生じた。

それ以上に、国民の強烈な反発の原因になったのが、「課税に対する不公平感」だった。

国会議員が、政治資金パーティーの売上の中から自由に使っていい「裏金」を受け取り、それについて税金の支払も免れていることに対して、国民は激しく怒った。国民は、事業者も、サラリーマンも、汗水流して働いたお金を報酬・給与として得る。それについては、法人の事業を行って得たお金であれば「法人税」等を、個人の収入として得たお金であれば「所得税」等を支払わなければいけない。その上で、残ったお金を自由に使うことができる。

この事件が注目を集め、検察の捜査、刑事処分が決着した時期は、個人事業主などは、払いたくもない税金を納めるために、確定申告に向けて気の滅入るような作業を強いられている時期だった。しかも、前年10月にはインボイス制度が導入され、「会計処理の透明化」の動きが中小企業や個人事業主にも及び、多くの国民が負担を強いられた。

それなのに、政治家の世界では、自由に使えて税金もかからない「裏金」という、「領収書不要の金のやり取り」が行われていたこと、大規模な政治資金パーティーで巨額の収入を得て、その一部を裏金で所属議員に分配し、彼らは税金も支払わず自由に使っている。そのことに対して国民は怒りを爆発させた。

それに加えて、この問題の事実解明がほとんど行われていないことも、自民党側への厳しい批判の理由とされた。

要するに、裏金問題に対する国民の不満が爆発したのは、

  • (1) 所属議員側は政治資金収支報告書不記載という違法行為を行っているのに、ほとんどの議員が処罰をされていない。
  • (2) 「領収書不要の裏金」を受け取っていたのに、使途が具体的に明らかにされず、所得税の納税をしていない。
  • (3) 派閥から所属議員に「裏金」として供与されていた経緯・理由等の事実解明が全く行われていない。

の3つが要因だったのである。

このうち、(1)の「裏金議員の処罰」の現状は、すべて検察当局が捜査を行い、その結果、刑事処分を行ったものであり、検察の判断の結果である。(2)の所得税の納税についても、「還付金」「留保金」を「政治資金収支報告書に記載しない」前提で受領し、そのまま議員個人が保管していた事例もあったことが自民党のアンケート調査で明らかになっており、常識的に考えれば個人所得で、税務の専門家は「個人的な費消の有無に関わりなく、政治資金収支報告書に記載しない金として派閥からの供与された金は、全額納税が当然」との意見であるが(【政治資金パーティー裏金は「個人所得」、脱税処理で決着を!~検察は何を反省すべきか。】)、議員側には納税に向けての動きはなく、国税当局の税務調査も行われていない。

それは、検察当局が、派閥から所属議員に供与された金は政治団体(政党支部)に帰属する政治資金であり、政治資金収支報告書に記載すべきであったとして、収支報告書の訂正を行わせることで事件を決着させたからだ。それによって、原則として議員個人には帰属しなかったことになり、それを個人的な用途に使った事実が具体的に明らかにならない限り(議員個人が保管していても)、所得税の課税の対象にならない。しかも、原則として所得税の納税義務も申告義務もない、ということであれば、「政治活動に使った」とだけ説明すれば済み、使途を明らかにする必要もないということになる。実際に、殆どの「裏金議員」の説明は、その程度のもので済まされてしまった。

もし、議員側が所得税の納税を行えば、検察の認定に反する対応ということになる。検察OBの高井康行弁護士がBS番組で

「仮に、キックバックされた、政治団体にキックバックされたものを私はこれ個人的に全部雑所得として申告しますなんていうことをやったら、検察に喧嘩を売るのかと。検察は、政治団体に帰属していると言っているにもかかわらず、これは個人所得だということだから検察の認定を争うことになる。」

と述べているとおりである(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】)。検察の認定に従う限り、個々の「裏金議員」にとって所得税の納税をする選択肢はなかったのである。

(2)について個々の「裏金議員」についての裏金の使途等について説明責任が果たされなかったことも確かだ。自民党が、還付金等の保管状況・使途等について報告を求めるなどして個々の「裏金議員」について責任の程度を評価し、処分のレベルや衆院選での公認非公認を判断することは、党として行い得ることであり、岸田総裁時代からの自民党の対応が極めて不十分であっただけでなく、石破総裁になった後も基本的に変わらなかった。

その点は、「裏金議員」個人というより、自民党本部側に責任がある。しかし、それも根本的には、検察当局が、派閥からの還付金等が政治団体に帰属するもので、その収支報告書に記載すべきであった、として、収支報告書の訂正を行わせることで事件を決着させたからである。議員個人宛の寄附と認定され所得税の課税の対象とされていたら、この点について議員側は説明を免れなかったはずだ。

このような個別の「裏金議員」の説明の問題とは異なり、(3)の派閥レベルでの裏金問題の経緯・理由という問題の根本に関わる事実解明は、検察捜査によらなければ困難だった。ところが、派閥の事務担当者が政治資金規正法違反で起訴されたが、その公判でも、検察が明らかにしたのは「かねて、ノルマを超えてパーティー券を販売した場合の『還付金』『留保金』に相当する金額を除いた金額を清和会の政治資金収支報告書に記載していた」と述べるだけで、「裏金問題」の経緯、意思決定のプロセス等の具体的な事実関係は何一つ明らかにされず、事務担当者から所属議員側に「収支報告書に記載不要」と説明していたことの具体的事実も明らかにされなかった。

要するに、国民の不満反発の原因となった、(1)の刑事処罰、(2)の納税の問題は、いずれも検察の捜査と刑事処分の判断の結果であり、しかも、(3)の事実解明も、検察にしか行い得ないことが大半であった。しかし、国民の認識や期待と事件の結末との間に著しい乖離が生じたことに対する不満や批判の大半は、裏金議員や自民党に集中し、それが総選挙での惨敗につながった。一方の検察に対しては、SNS上などで捜査処分が自民党議員に生ぬるい、政権に忖度したなどとして批判する声もあったが、ごく一部にとどまった。

1月19日に行われた刑事処分で捜査が終結して以降、通常国会予算委員会等で、野党側は、裏金問題の事実解明がほとんど行われていないこと、裏金議員が全く納税を行っていないことなどについて、政府、自民党側を厳しく追及した。それに対して、岸田首相は、

「検察当局が厳正な捜査をした結果」

であることを強調した。つまり、岸田政権は、「検察の捜査」を「盾」にとって批判をかわそうとしたのである。しかし、批判は一向に収まらなかった。「検察捜査」は盾になるどころか、「裏金議員が処罰されず納税もしない」という結果を招いたことで、批判に燃料を投下し続けることになっただけであった。

問題は、岸田前首相など、政府与党側が全面的に依拠していた「検察の捜査処分」とそれに基づく所得税納税についての対応が正しかったのかどうかである。

裏金議員は「収支報告書不記載・虚偽記入罪」では処罰困難だった

私は、かねてから、政治資金規正法には、「政治家個人が受領する裏金」の処罰が困難だという、「ザル法の真ん中に空いた大穴」の問題があることを、2021年2月の当欄の記事【政治資金規正法、「ザル法」の真ん中に“大穴”が空いたままで良いのか】、2023年の拙著【“歪んだ法”に壊される日本 ~事件・事故の裏側にある「闇」】などでも指摘してきた。

今回の「派閥政治資金パーティー裏金問題」についても、派閥から所属議員にわたった「裏金」について、国会議員の資金管理団体や政党支部の政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪を適用する方向での捜査自体が間違いであることを繰り返し指摘してきた(【「ザル法の真ん中に空いた大穴」で処罰を免れた“裏金受領議員”は議員辞職!民間主導で政治資金改革を!】)。

政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪で処罰するためには、どの政治団体の収支報告書の不記載・虚偽記入かを特定する必要がある。収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されて渡されたのであれば、所属議員側は、どの政治団体の政治資金収支報告書にも記載しない前提で現金で受け取り、実際にどの収支報告書にも記載しなかったのであり、そのままでは、資金管理団体・政党支部などの複数の「国会議員の政治資金の財布」のうちいずれの政治団体に帰属し、どの収支報告書に記載すべきだったのかを特定することができない。もともと「収支報告書に記載しない前提の金」なので、不記載・虚偽記入の対象となる政治資金収支報告書が特定できず、処罰は困難ということにならざるを得ない。

「派閥政治資金パーティー裏金問題」について政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪を適用することは、国会議員側が、敢えて帰属先を特定する供述をし、犯罪の成否を争わない姿勢にならない限り、もともと困難だったのである。略式起訴された谷川氏のふてぶてしい態度は「認めてやった」という認識の表れであり、全面的に争っている池田・大野氏について公判の予定すら明らかになっていないのも、還付金等の帰属についての立証上の問題に関係していると考えられる。

つまり、ノルマ超の売上の還付金等に政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪を適用しようとした検察の捜査処理の方針自体が「無理筋」だったのであり、上記のような捜査処分の結末は、当然予想されたことだった。

独自のヒアリング等の調査の結果明らかになったこと

このように、「裏金問題」について何一つ事実解明が行われていないことを受け、私は独自にいくつかのルートを通じて「裏金議員」側に接触を図り、ヒアリングを行うなどして、「政治資金パーティーでの裏金提供の背景と経緯」「パーティー券販売ノルマは、誰がどのように設定したのか」「裏金の帰属」等を中心に事実解明に取り組んできた。

その結果から、安倍派(清和会)の裏金問題については、以下のような事実が把握できた(【「政治資金パーティー裏金問題の核心」に迫る~始まりは“マネロン”だった】)。

(ア)所属議員のノルマ達成のためのインセンティブとして導入されたのが、「還付金」「留保金」であり、その販売実績が、派閥内での評価につながっていた。実績に応じてノルマをどの程度に設定するかは、派閥会長を中心とする派閥幹部の匙加減によって行われていた。

(イ)派閥から所属議員に対するノルマ超の売上の供与については、かつては、派閥から一度自民党本部へ上納し、党本部から合法的に「収支報告書への記載も領収書も不要な政策活動費」として所属議員側に供与する「マネーロンダリング」が行われ、その後マネロンのプロセスは省略されるようになった。

これらの事実は、「裏金問題」の本質に関わるものであり、今後、この問題の解決、制度の是正を考えていく上でも極めて重要である。

まず、(ア)は、ノルマの設定が、派閥幹部の匙加減によるものであり、それが、派閥幹部の権力維持にもつながっていたということであり、だからこそ、ノルマの金額や、その設定の結果としての還付金等の金額は公表しないこととされていたと考えられる。そして、そのような還付金等の所属議員への供与が不透明な裏金として行い得たのは、「政策活動費」という形で政治資金の収支報告書による公開の例外が設けられていたためであり、それが、巨額の裏金処理の源流になっていたということなのである。

つまり、議員個人に関わる金の流れの不透明性と、それが派閥幹部等の権力の源泉にもなっていたことが、問題の本質なのである。

「政治家個人宛の違法寄附」ととらえる方向で捜査処理すべきだった

そもそも、「収支報告書に記載不要」との説明は、「収入について収支報告書への記載が義務づけられている資金管理団体・政党支部・国会議員関係団体等に対する寄附ではない」という趣旨を含むものであり、「収支報告書への記載義務がない議員本人に対する寄附」と解するのが合理的である。

それに加え、派閥の「政策活動費なので収支報告書に記載しないでよい」という説明は、「政治家個人宛の供与」の趣旨を含むものと解する根拠になる。「政策活動費」は、「政党から政治家個人」に対する「寄附」ないし「支出」であり、一般的には政治家個人への寄附が禁止されていることの「例外」として「政党から政治家個人への寄附」が認められている(政治資金規正法21条の2第2項)規定を利用しているためである。

さらに、上記(イ)の事実から、還付金等は、もともと自民党本部を経由した政策活動費という形で合法的に議員個人に供与され、その後、「党を経由する」というマネロンスキームが省略された経緯があるとすれば、「政策活動費だから収支報告書への記載は不要」という説明が、議員個人宛の寄附として供与する趣旨であったことは明らかだ。

このように、還付金等が、派閥から所属議員個人宛だったとすると、

  • 派閥側は、公職の候補者の政治活動に関する寄附の供与の禁止(第21条の2第1項)違反
  • 所属議員は、同寄附の受領の禁止(第22条の2)違反

で、第26条の「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」の罰則が検討されるべきだった。

この罰則が適用され、処罰された場合には、寄附を受け取った議員側から、寄附額全額を没収することとなり、既に費消しているなどして没収できない場合は、追徴することになる。

検察がこれらの規定を適用して、「政治家個人宛の違法寄附」で処罰するためには、派閥側から政治家個人宛の寄附として供与を受けたことについての個別具体的な認識を立証する必要がある。この場合の捜査は、還付金等の保管状況、使途等を具体的に解明し、それと議員個人の関わり、認識を個別に明らかにすることになる。その点について証拠が十分でなければ議員の処罰は困難だが、その場合も、実態としては「政治家個人宛の寄附」である以上、所属議員個人の所得となり、所得税の課税の対象となり、政治活動の費用として使われた金額を除いて、雑所得として所得税の申告をすることになる。

政治家個人宛の寄附の禁止の罰則が適用され、処罰することができた場合は、罰金でも公民権停止に追い込むことになることに加え、違法寄附は全額没収、又は追徴となっていた。

ところが、検察捜査の結果、実際に処罰された議員は略式命令を受けた谷川元衆院議員だけ、しかも、同議員は4000万円を超える寄附を受けていたのに、それを没収・追徴されることもなく、所得税の納税も全く行っていない。他の議員についても、原則として議員個人の課税の対象外となり、議員が、政治資金を私的用途に費消した事実がない限り所得税が課税されない。まさに、政治家個人宛の違法寄附の方向で捜査処理した場合とは「真逆の結果」なのである。

検察が捜査処分の方向性を誤った原因

今回の「派閥政治資金パーティー裏金問題」の捜査処理の方向性が誤っていたことは明らかだ。検察は、どうしてこのような間違いを犯してしまったのか。

一般的には、政治と検察との緊張関係は、ロッキード事件、リクルート事件のように、特定の政治家をターゲットとする検察の大規模な「政界捜査」が行われ、それによって、政治家の不正・腐敗が明らかになり、国民から批判されるというパターンである。しかし、今回の裏金問題は、そのような従来の検察の「政界捜査」の構図とは大きく異なった。

発端は、日本共産党の『赤旗』日曜版の記事と上脇博之神戸学院大学教授の東京地検への告発だった。その告発事件の捜査の過程で、派閥政治資金パーティーをめぐって、ノルマを超えた売上が「収支報告書に記載不要の金」として派閥側から所属議員側に「還付金」ないし「留保金」として供与され、その金額が、清和政策研究会(安倍派)では5年間で総額5億円以上に上っていたという、大規模な「裏金問題」が明らかになり、それが、マスコミによって大々的に報じられていった。

特捜部などの検察官捜査において、告発事件というのは基本的には積極的に取り組む案件ではない。しかも、本件の発端は、日本共産党の機関紙の報道である。告発を受理した以上、所要の捜査として派閥関係者の取調べが行われたのであろうが、この時点で、この事件を「大規模特捜案件」とする意図はなかったものと思われる。しかし、「政治資金パーティーの裏金の実態」を知る自民党関係者にとって、その問題で東京地検特捜部の取調べが行われたこと自体が脅威だった。動揺した自民党側の反応が、一部で報道され(私が知る限りでは、最初の報道は【選択】2023年11月号である)、それがきっかけとなって、「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金事件」として、マスコミで大きく報道されるようになった。

それを受けて、検察としても、「裏金の実態全体の解明」に乗り出さざるを得なくなった。多数の派閥所属議員の取調べのため、全国の地検から相当数の応援検事を動員して大規模捜査を行うことになったが、特捜部側には、もともと「やらされ感」があり、積極的に捜査に取り組もうとした事件ではなかったはずだ。そこで、特捜部は、従来の政治資金規正法違反のパターンにあてはめ、今年1月の通常国会開会前に手っ取り早く捜査処理を終えようとした。

しかし、この問題は、「自民党の政治資金の不透明性」という構造問題に起因するもので、それまでの政治資金規正法違反事件のような単発的な事件とは性格が大きく異なる問題だった。政治資金規正法の罰則の適用と捜査の方向性について、早い段階から、事案の性格や罰則適用上の問題点を踏まえた慎重な検討を行うことが必要だった。特定の政治家をターゲットとして、「巨悪との対決」のイメージで行われる「政界捜査」とは全く異なるものであった。

多くの国会議員に関する、政治的な影響も極めて大きい問題であるからこそ、事案の実態に即し、違法な寄付の処理や税務問題なども含めて、常識にかなった、世の中の納得が得られる処分とすることが必要だったといえる。

ところが、東京地検特捜部は、従来の「政界捜査」としての政治資金規正法違反事件と同様に、「政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪」の適用を前提に捜査処分を行った。それを前提に、議員側に所得税が課税されない方向の政治資金収支報告書の訂正を行わせた。派閥側と個別の議員に収支報告書を訂正させて、何とか事件処理と平仄を合わせることに汲々とし、肝心な事件そのものについての事実解明はほとんど行えなかったというのが実際のところであろう。

それにより、刑事処罰、納税について国民の認識との間に著しい乖離を生じさせただけでなく、「派閥政治資金パーティー裏金問題」の事実解明も、ほとんど行われなかった。それが「正体不明のブラックホール」となって、衆院選で自民党を直撃し、自公両党は過半数を大きく割り込み、日本の政治は大混乱に陥ることになった。

「裏金事件」の捜査処理の誤りと法務・検察組織の根本的な問題

「政治資金パーティーをめぐる裏金問題」は、戦後の日本政治において権力の中心を占めてきた自民党の派閥の中で長年にわたって慣行的に続いてきた、政治資金の不透明なやり取りを象徴する「構造的問題」であり、その捜査・処分が、日本の政治と社会に甚大な影響を与えることは十分に予想された。

一方で、適用する「政治資金規正法」は、政治腐敗、「政治とカネ」問題への批判を受け、議員立法による改正で政治的妥協を重ねてきた歴史があり、その規制にも、罰則にも、多くの欠陥・抜け穴がある。そのような法律を用いて、また、適切な課税をも視野に入れて、適切に罰則適用し、実態に即した解決を導くことは、決して容易なことではなかった。

その検察を所管する法務省刑事局は、政治資金規正法改正の都度、罰則審査に関与しており、法律や罰則の解釈について豊富な知識・経験の蓄積があるのだから、それらを十分に活用し、法解釈面で検察当局をサポートすることが必要だった。

そして、罰則適用ができない理由が、法律の不備、欠陥によるものであれば、それを指摘して、法改正の必要性の認識に結び付けることも必要だった。前記のとおり、政治家個人に裏金が供与された場合に、帰属先が特定できないために処罰できない「政治資金規正法の大穴」の問題の根本には、政策活動費等の政治家個人の不透明な政治資金のやり取りが政治資金規正法上合法とされてきたことがあるという点も、今回の裏金問題の背景として明らかにすべきだった。

しかし、既に述べたとおり、本件については、検察の捜査処理が「裏金問題」の実態に沿うものではなかったことから、捜査の結末とそれに伴う課税が、世の中の認識とあまりにも乖離した。法務大臣の下にある法務省の一部局としての同省刑事局が、その役割を十分に果たしたとは思えない。

内閣の一員の法務大臣と「準司法機関たる行政機関」の検察との微妙な関係

国民の代表である国会の信任を得て成立している内閣の一員たる「法務大臣」には、このような検察当局の捜査処理と法務省刑事局の対応が、国民の納得が得られる適切なものとは言い難かったことについて、決して責任がないとは言えないはずだ。

しかし、そこには、法務省に属する行政機関でありながら、日本の刑事司法の中核を担う準司法機関である検察の位置づけ、行政権を担う内閣の一員である法務大臣との関係という微妙な問題がある。

検察権も行政権の一つであり、検察庁も法務省に属する行政組織である。検察権の行使についても、内閣が国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う。そして、国民を代表する国会で選ばれた内閣の一員として、検察権の行使について責任を負うのが法務省の長たる法務大臣である。

法務大臣と検察官の関係に関しては、検察庁法14条で、法務大臣は、

「検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個別の事件の捜査・処分については、大臣は個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対してのみ指揮を行うことができる」

とされ、個別の事件に関しては、法務大臣の指揮は、検事総長の指揮監督を通してのみ、検察官の個別の刑事事件の捜査・処分に反映させることができるとされている。

内閣の一員である法務大臣は、行政機関たる検察の権限行使にも最終的に責任を負う立場であるが、一方で、検察は、内閣から独立して「法と証拠に基づいて権限行使を行うこと」を使命とし、「権限行使の独立性」が尊重される準司法機関であり、検察の個別事件の捜査・処分に法務大臣が介入することは、極力差し控えるべきとされてきた。

本来、上記の微妙な問題はあるものの、法務大臣にとって、検察庁法14条に基づく検察への対応は、最も重要な職責の一つであるはずだが、過去の歴代の大半において法務大臣は政治家・国会議員であり、就任会見の時点から「指揮権は行使しない」と確約し、実際に、検察の問題を「聖域」のように扱い、一切関わりを持たないかのような態度に終始してきた。

法務大臣が、個別の事件、とりわけ政治家に関連する事件について個別の事件の捜査処分に介入すること、それが、大臣自身が所属する政党や派閥を利する方向である場合は、重大な政治責任を負うことになる。造船疑獄における犬養毅法務大臣の指揮権発動が、吉田茂内閣の総辞職につながったのが典型例である。

しかし、今回の「裏金問題」についてみると、検察の捜査処理の方向性が、事案の実態にも法律の趣旨にも沿わないものとなり、所得税の課税も含めて、国民の認識と大きな乖離が生じかねない状況だったのである。そうした中で、検察が適切な捜査処理を行える環境を整えるための法務省刑事局のサポート等を積極的に行うよう指示すること、国民が重大な関心を持つ政治資金規正法違反事件の捜査処分について、個別事件についての公開禁止に反しない範囲で、法解釈や捜査処理の方針等について、国民に納得できるよう説明を行うよう「一般的指揮権」に基づいて検察当局に指示することは、法務大臣として極めて正当な対応のはずだ。それにより、「裏金事件」の刑事事件としての展開も、政治的影響も、大きく異なるものになっていたはずだ。

法務大臣が果たすべきだった重要な役割

昨年12月19日、東京地検特捜部が、「政治資金パーティー裏金事件」で政治資金規正法違反の疑いで強制捜査に乗り出し、安倍派と二階派の事務所を捜索した時点で、二階派に所属する小泉龍司法務大臣

「検事総長への捜査の指揮権を持つことから、今後の捜査に誤解を生じさせたくない」

として、二階派を離脱した。

その時点で出した記事【指揮権に対応できない小泉法務大臣は速やかに辞任し、後任は民間閣僚任命を】で、法務大臣が、捜査の対象となっている派閥に所属していた自民党の政治家であった場合、公正で客観的な判断が求められる法務大臣の職責を果たすことはできないことを指摘し、リクルート事件の際の元内閣法制局長官・元最高裁判所判事の高辻正己氏、ゼネコン汚職事件の捜査の際の民事法学者の三ケ月章氏のように、十分な法律の素養がある民間人の法務大臣起用が適切だとの意見を述べた。

しかし、岸田首相は、法務大臣人事について問題意識を欠いたまま小泉氏を留任させ、その後、「政治資金パーティー裏金事件」について、法務大臣も法務省当局も、表だった対応は全く行わなかった。小泉氏が、法務大臣としての検察への関わりをすべて拒絶するに近い姿勢をとっていたことは、その後、参議院法務委員会で、検察庁法14条の法務大臣の指揮権について質問され、

「検事総長が法務大臣をなだめるための規定」

「検事総長が、冷静になってくださいと、介入しないでくださいという政治家を止めるための規定」

などという“珍説”を述べたことにも表れている。

小泉大臣は、大川原化工機の事件で人質司法のため被告人の胃癌が悪化して死亡した後に公訴取消しになったこと、河井元法務大臣の買収事件では、東京地検特捜部の検事が不起訴を示唆して供述を誘導したことなどについても、「個別事案に対する指揮権と境を接する問題」だと述べて、法務大臣として調査を指示したり、是正のための措置をとることをしなかった。法務大臣として対応することを全て否定したのは、一貫して検察問題への法務大臣としての関与を拒絶してきたことの表れである。

世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、外交上の判断が必要になる事件、検察官個人の犯罪にとどまらず、検察の組織自体の不祥事に発展した事件など、検察による「法と証拠に基づく判断」だけでは適切な対応が期待できないものもある。そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。

今、検察は、畝本直美検事総長の袴田事件再審判決に対する「総長談話」が、無罪が確定した袴田氏に対する名誉棄損だと批判されている問題、プレサンスコーポレーション事件での大阪地検特捜部検察官の恫喝暴言による取調べの特別公務員暴行陵虐事件で大阪高裁で付審判開始決定が出されたこと、大阪地検北川健太郎元検事正の性的暴行事件など、多くの極めて深刻な問題に直面し、組織自体が危機的状況にある。

このような状況において、検察に対する一般的・個別的指揮権を有する法務大臣の職責は極めて重大だ。石破首相は、特別国会に首班に指名されると、衆院選で落選し、辞任が不可避となった牧原秀樹氏の後任の法務大臣を任命することになる。その人選を、本稿で述べてきたことを踏まえて適切に行うことは、少数与党への転落で厳しい政権運営に直面している石破首相にとって、最重要課題であることは間違いない。

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「畝本検事総長談話」大炎上の背景にある検察の「全能感」と“法相指揮権問題”

1966年に静岡市内で一家4人が殺害された強盗殺人放火事件(「袴田事件」)の再審で、9月26日に静岡地裁が言い渡した無罪判決に対して、検察は、控訴期限の2日前の10月8日に控訴を断念することを発表した。その際に公表した、畝本直美検事総長の談話(以下、「畝本総長談話」)に対して、弁護団が抗議の声明を出すなど、厳しい批判が行われており、SNSのX上でも批判の投稿が「炎上」し、「検事総長」がトレンドに入りした状態が続いた。

畝本検事総長に対する直接の批判は、検察として控訴を断念して無罪判決を受け入れているのに、検事総長として「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。」などと、控訴断念と矛盾する意味のことを発言し、検察の公式見解として公表していることに向けられている。

弁護団は声明で、控訴を断念して袴田氏の無罪を確定させておきながら、袴田氏を犯人視する談話をするというのは、名誉毀損になりかねないとしている。検事総長に対する批判がここまで「大炎上」していることの背景には、今、衆議院総選挙で最大の争点となっている「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金事件」で、殆どの国会議員が処罰されず、納税もしないままに終わったことに対する不満があるのではないだろうか。

しかも、石破新内閣の発足によって就任した牧原秀樹法務大臣は、10月11日の定例会見で、弁護団から「無罪になった人を犯人視している」と批判が出ていることについて、

「検察は無罪を受け入れている。不控訴の判断理由を説明する必要な範囲で、判決内容の一部に言及したものと承知している。そうした意見は当たらない」

と述べて、検事総長を擁護したとのことだ。

しかし、「判決内容への言及」は、その結論が「控訴すべき事案」というもので、「不控訴の判断理由の説明」とは真逆であるからこそ批判されているのである。「不控訴理由の説明に必要な範囲の論評」だというのは全く通らない。牧原法相は、旧統一教会との関係が衆院本会議や記者会見で追及され、選挙支援を受けていたことや、教団や関連団体の行事に少なくとも10回出席したことを認めおり、そのような問題を抱える法相が、凡そ理由にならない理由で畝本総長談話を擁護したことで「検事総長批判」にさらに燃料を投下する結果になりかねない。

検察に対する批判・不信は、2010年の村木厚子氏に対する冤罪事件と証拠改ざん事件以来の深刻さだ。

畝本総長談話には、どういう問題があるのか、牧原法務大臣はどう対応すべきだったのか。それらを検討するためには、改めて、検察という組織が本来果たすべき職責、そして、法務大臣と検察との関係について、根本的に考え直してみる必要がある。

検察の「権限行使」について、誰が責任を負うのか

憲法第65条第1項では、「行政権は、内閣に属する」と規定されており、内閣は行政権の行使について国会に対して連帯して責任を負うとされている(内閣法第1条第2項)。

検察権も行政権の一つであり、検察庁も法務省に属する行政組織である。検察権の行使についても、内閣が国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う。そして、国民を代表する国会で選ばれた内閣の一員として、検察権の行使について責任を負うのが法務省の長たる法務大臣である。

刑訴法上、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持つ日本の刑事手続において、刑事事件に関して検察が極めて強大な権限を有しており、日本の刑事司法の下では、検察の判断は、事実上、裁判所の司法判断に近いものとなっている。それだけに、「司法権」の行使に直結する検察の権限行使については、裁判官の独立と同様に、検察官個人としての独立性と、検察組織としての独立性が尊重されている。が、内閣の一員である法務大臣と、内閣から独立して「法と証拠に基づいて権限行使を行うこと」を使命としている検察との関係については、微妙な問題がある。

それは、検察官の権限行使には他の官庁にはない特殊性があるためである。検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」との規定、および個々の検察官が行う意思決定は国家が行う意思決定とみなされることから、個々の検察官は、独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。他の行政官庁のようにそのトップである大臣の有する権限を、各部局が分掌するという一般の官公庁とは性格が大きく異なるのである。

つまり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長が「すべての検察庁の職員を指揮監督する」(7条)、検事長・検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされ、検事総長・検事長・検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)を有している。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分、公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。つまり、主任検察官個人の権限行使に対して、上司の決裁によるチェックが行われ、事件の重大性によっては、主任検察官が、所属する検察庁の上司や、管轄する高等検察庁や最高検察庁等の上級庁の了承を得た上で権限行使が行われる。

法務大臣の指揮

そのような検察の権限行使と法務大臣との関係について、検察庁法14条は、

「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」

と規定している。

同条本文は、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定しているため、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができるとされている。「検察の権限行使の独立性」を確保することと、法務大臣が、行政権に属する検察権の行使について内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う原則との調和を図っているのである。

法務大臣が個々の事件について個々の検察官を直接指揮することができるとすると、検事総長、検事長からの指揮を受けている場合、どちらに従うべきかについて混乱を来すことになる。そこで、法務大臣の指揮は、個々の検察官に対する指揮監督を通じて個々の事件について最終的な決定権者の立場にある検事総長に対して行うようにすることで、個々の事件の捜査・処分についても法務大臣の権限が及ぶこととされているのである。

法相指揮権が「封印」される契機になった造船疑獄

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はない。しかし、少なくとも、一般の刑事事件に対しては、検察官の権限行使の独立性を確保することが、刑事事件について「法と証拠に基づいて適切に処理すること」だとされており、実際上、そこに法務大臣が介入する必要はないし、敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉という批判を招くことになる。

1954年の造船疑獄で、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を差し控えるよう犬養法務大臣が指揮権を発動したことで、当時の吉田茂首相の自由党政権に対する世論の批判が急激に高まり、首相退陣に追い込まれることとなった。

「政治的圧力によって、正義を実現しようとした検察捜査の行く手が阻まれた」とのマスコミや世の中の認識があり、それが、「検察の正義」は神聖不可侵のもので外部からの圧力・介入は断固排除すべきという、戦前の「統帥権干犯」のような考え方につながった。

しかし、実際には、この事件についての法相指揮権発動の真相は、そのような単純なものではなく、政治家と検察との間に様々な思惑と駆け引きがあったことが、史料や関係者証言から明らかになっている(『指揮権発動』渡辺文幸著、信山社)。

それ以降、法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際に行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。

しかし、法務大臣の指揮権が問題となるのは、そのような政治と検察の対立場面だけではない。検察の「法と証拠に基づく判断」には限界もある。世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、検察が「法と証拠に基づいて判断すること」だけでは適切な対応が期待できないものもある。その場合は、検察の判断に委ねるだけではなく、法務大臣の指揮権による対応を検討することが必要となる。ところが、造船疑獄での指揮権発動以降、事実上「封印」されてしまったため、法務大臣の指揮権が検討されるべき場面でも、実際に活用されることはなかった。

外交上の判断と法務大臣の指揮権

法務大臣の指揮権が検討されるべき典型例が、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。

事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察が、外交上の影響をも含めて判断して捜査・処分を決定することは適切ではない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできないからである。検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

このような場合には、検察の側で、外交上の判断が必要な事件と判断した段階で法務大臣に報告し、その指揮を仰ぐべきである。捜査・処分に関して外交上の判断が必要な刑事事件というのは、検察が外部の介入・干渉を受けることなく独立して判断すべきという「検察の組織の独立性の枠組み」だけで対応することになじまない事例の典型である。

このような理由で指揮権を発動すべきであった事案として、2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件がある。

中国船船長の釈放を決定した際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が釈放の理由の一つであることを明らかにした。この事件での船長の釈放、そして、結果的に不起訴処分となることについて、検察が組織として外交上の判断を行ったかのように説明したのである。

しかし、検察官が訴追裁量権の行使に当たって考慮できるのは、当該刑事事件の情状や犯罪後の更生の可能性に関連する事情であり、外交上の配慮は、248条の訴追裁量権で考慮すべき事項に含まれるとは考えられない。

国の行政組織の役割分担と責任の所在という観点から考えたとき、外交問題は外務省が所管し、その責任を負うのは外務大臣であり、国として最終的には内閣総理大臣が責任を負う。検察が外交上の判断を行ったとすれば、権限を逸脱したものである。

検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行ったことに対して、当時の仙谷由人官房長官は「了とする」と述べ、「官邸側の意向を受けて検察が釈放を決定したのではないか」との疑いの指摘に対しても、外交関係への配慮も含めてすべて検察の責任において釈放の判断が行われたように説明した。しかし、外交上の判断の責任は内閣にあるのであり、犯罪の成否や情状評価等の処罰の必要性の判断という刑事司法上の判断を行う権限しか有しない検察に押し付けようとするのは許されないことである。

この中国船船長釈放問題については、検察が内閣側に政治的に利用された面がある。しかし一方で、このような、法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例において、検察官の訴追裁量権の枠内で判断するかどうかという問題に対して、検察内部で十分な議論が行われたようには思えない。そこには「検察の正義」を絶対視し、いかなる場合においても、刑事事件の処分は検察内部で誰からの干渉も受けずに決めることに拘り、「法相指揮権」の完全否定を支持するマスコミや世の中の論調がある。その背景には、前述した造船疑獄での法務大臣の「指揮権発動」に対する誤解があるのである。

検察不祥事への対応と法相指揮権

事案の性格上、検察内部だけで判断することでは適切な判断が期待できない場合もある。

公務員による職権乱用などの罪について、検察官の不起訴処分に不服がある場合に、裁判所に事件を審判に付すよう請求できる「付審判制度」がある。これは、公務員職権濫用罪等の特定の公務員犯罪は、警察官・検察官が職務熱心の余り、その行為が違法と評価する程度に達していた場合に、検察官はその行為の結果の恩恵を受ける立場にあり、利害関係を有するため、本来であれば起訴すべき警察官の職権濫用行為を公平中立に起訴するとは想定できないという考え方に基づくものである。

最近では、プレサンスコーポレーション事件での大阪地検特捜部の検察官の取調べでの恫喝暴言の特別公務員暴行陵虐事件で大阪高裁が付審判開始決定を出した。このような事件について、検察の組織だけに委ねていたのでは起訴はあり得なかった。

刑事事件が、検察官個人の犯罪にとどまらず、検察の組織自体の不祥事に発展した場合、他の検察官・上司が共犯者となる場合の背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような場合、「検察の組織としての独立性の枠組み」で処理することでは公平中立な判断を期待できないことは一層明白である。

2010年に表面化した大阪地検の証拠改ざん事件等の不祥事の際、当時の柳田稔法務大臣が検事総長に対して「厳正な対応」を指示した。この対応は14条本文の一般的指揮権によるものとされているが、同条但し書きの指揮権の発動もあり得る事態だったとも考えられる。

そして、2011年に、東京地検特捜部が小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(陸山会事件当時の小沢氏の秘書・捜査当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部のT検事が作成して検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事、特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

この事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙して「起訴すべき」との議決に誘導して覆した「特捜部の暴発」とも言える不祥事だった。

これに対して、当時の小川敏夫法務大臣は、不起訴処分の前に、検事総長に対して指揮権を発動して厳正な対応を求めようとしたが、野田佳彦総理大臣に止められたと、退任時の記者会見で明らかにしている(拙著【検察崩壊 失われた正義】毎日新聞社:2012)。

この時の検事総長は、私が検察官の現役時代の最も尊敬する上司であった。元特捜部長で特捜部の内実も知り尽くした検事総長ですら、この歴史上の汚点とも言える「検察不祥事」に対して厳正に対応することはできなかった。そのことは、検察の組織的不祥事に対する検察内部の対応の限界を示している。法務大臣の指揮権で対応すべき典型事例だったと言うべきだろう。

袴田事件再審判決への控訴と法相指揮権

では、袴田事件再審判決に対する検察官の控訴という「権限行使」について、どう考えるべきか。

この事件は、強盗殺人事件という、本来は、検察が、「法と証拠」に基づいて判断すべき刑事事件の典型例である。袴田氏を無罪とした一審判決には、「5点の衣類」のねつ造、当初の刑事裁判を担当した検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定が、証拠に基づく合理的なものと言えるかなど、検察官にとって許容できない事実認定の問題がある。検察が「法と証拠」だけで判断するのであれば、控訴申立以外に選択肢はないように思えた。

もともとは、典型的な刑事事件であったが、58年もの年月の経過により、もはや刑訴法に基づく刑事裁判として真相解明を行って解決する範疇を超えた事件になっている。再審判決は、捜査機関のねつ造を、従来の刑事訴訟による事実認定の枠組みを超えた強引な認定で無罪の結論を導いたが、それは、検察にとって「法と証拠」に基づく認定としては到底受け入れられるものではなかった。

一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容されない。しかも、再審判決の「5点の衣類」のねつ造を認めた事実認定を控訴審で覆せる可能性は十分にあるとしても、では、「袴田事件冤罪」が、これ程までに国民の共通認識になっている以上、控訴審で最終的に有罪判決が出される可能性があるかと言えば、ほとんどない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。

となると、強盗殺人という被害者・遺族がいる犯罪である以上、「法と証拠」に基づく検察の判断として不控訴の判断はあり得ない。

畝本総長談話の

《控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容である》

というのが、検察としての「法と証拠」に基づく判断という趣旨なのであろう。それを検察として公言するのであれば、検事総長としても、それを貫き、控訴申立を行うしかなかった。

《袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではない》

という、社会的観点から「不控訴判断」をするのであれば、検察の判断とは切り離して行うしかない。

その解決の方法は、法務大臣が、指揮権に基づいて、検事総長に不控訴を指示することしかなかったのである。

誤った畝本総長談話の背景にある検察の「全能感」

検事総長談話として公表するものである以上、畝本総長だけの見解ではなく、少なくとも、最高検が組織として判断した内容であろう。なぜ、そのような誤った判断を行ったのか。

そこには、検察の組織において、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されず、あらゆることが検察の権限内で解決可能であるような「全能感」に支配されていることに根本的な問題があるように思われる。

そして、本来、そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは政治家であり、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。

昔、私が、検事任官数年目の若手検事だった頃、当時国連アジア極東犯罪防止研修所所長だった大先輩の講話を受ける機会があった。その中で「検察も国のシステムの一つであることを忘れてはいけない」という話を聞き、目を見開かせられる思いをした。

検察も行政機関である以上、「国のシステムの一つ」であるのは当然のことなのであるが、検察官の仕事をしているうちに、刑事事件の捜査処理という刑事司法の世界を通して物事を考えるようになり、検察を中心に世の中が動いているという「天動説」のような発想になっていく。

外交上の判断が中心となった尖閣船長釈放問題で、法務大臣の指揮権という話にならなかったのも、今回の畝本総長談話で、「法と証拠に基づく控訴すべきとの判断」と、「社会的観点からの不控訴の判断」を検察が同時に行うかのように公言するという、致命的な誤りを犯してしまったのも、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されていないことが根本原因であるように思える。

「検察も国のシステムの一つである」

そのあまりに当然のことを前提に、「法と証拠による判断」には一定の限界があることを踏まえて、法務大臣の指揮権の在り方を考えてみる必要があるのではなかろうか。

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