3月24日の新聞を見る時何か数字に惹かれた、色々考えたら75年前、中支野戦時代j作戦でk大隊長が戦死された命日でした、
数日前空襲で命拾いした後、敵に遭遇2個中隊で包囲作戦になり大隊本部は中央位から進撃した、k大隊長は陣頭指揮で進撃、各
中隊伝令下士官達も同じ場所で戦死、大隊副官他数名が生存していた、現場に駆けつけ稜線越そうとしたら敵の猛射を受けた
銃撃の合間を狙い、出ようと一番先に飛び出した兵は駆け下りに成功したが2番目の兵は下3分の1位で腹部銃創で戦死、3番目の私は稜線越そうとした時に銃撃され、稜線内に転がり込んだ、3機小隊長が敵状偵察に来て「軍医殿出たらいけん、すぐ重機を持つてきますから待って下さい」と叫んだ、間もなく馬背に積んだ重機到着稜線下に布陣、引き金を押した儘拳上猛射した、敵銃撃音が消えたのですぐ飛び出し下方麓に行き戦死体検分した、この時も静止の言葉で助かったと痛感した、当日夜外の桃の花が印象的でした~色々な事が思い出され感無量でした
数日前空襲で命拾いした後、敵に遭遇2個中隊で包囲作戦になり大隊本部は中央位から進撃した、k大隊長は陣頭指揮で進撃、各
中隊伝令下士官達も同じ場所で戦死、大隊副官他数名が生存していた、現場に駆けつけ稜線越そうとしたら敵の猛射を受けた
銃撃の合間を狙い、出ようと一番先に飛び出した兵は駆け下りに成功したが2番目の兵は下3分の1位で腹部銃創で戦死、3番目の私は稜線越そうとした時に銃撃され、稜線内に転がり込んだ、3機小隊長が敵状偵察に来て「軍医殿出たらいけん、すぐ重機を持つてきますから待って下さい」と叫んだ、間もなく馬背に積んだ重機到着稜線下に布陣、引き金を押した儘拳上猛射した、敵銃撃音が消えたのですぐ飛び出し下方麓に行き戦死体検分した、この時も静止の言葉で助かったと痛感した、当日夜外の桃の花が印象的でした~色々な事が思い出され感無量でした
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by nisn
| 2020-03-25 02:16