2010年 02月 19日
検察裏金に関する原口大臣発言
財務省が架空予算を計上するような国である。本気で調査すれば、裏金やら予算の流用やらは、次から次へと出てきて、収拾がつかなくなるのではないか。そして、そういった税金の不正使用を暴いて国庫に返納させる方が、豪勢な舞台での「事業仕分け」よりも、よっぽど実益がありそうだと、私は感じている。
全国市民オンブズマン連絡会議の調査によれば、全国の自治体で2006-2008年10月に発覚した分に限っても、裏金の返還額は29億円を超えている。その後も「裏金」問題はあちこちで発覚し、というよりも、発覚しすぎて、もう記憶しきれないほどだ。オンブズマン会議のブログ「事務局日誌」を見ていると、「はぁぁ」と溜め息の連続だ。最近に限っても、「横浜市で裏金約3億円」など実に盛りだくさんである。警察に限って見ても「岩手県警が1898万円返還へ」のほか、千葉県警、神奈川県警で億単位の裏金が発覚している(詳細は同オンブズマンの警察不正特設ページ)。
民主党の小沢幹事長や小林ちよみ議員などの政治資金規正法違反事件が話題になっている。犯罪はそれぞれに個別の案件だから、あれとこれ、これとそれ、などの比較はできないし、そうした比較には意味がないかもしれない。しかし、自治体や国の役所、警察・検察などの裏金も立派な犯罪であろうと思う。公金を裏金にするには、公文書を偽造する必要があり、虚偽公文書作成・公文書偽造、同行使に該当する可能性がある。納入業者等を巻き込んでいる場合は、私文書偽造・有印私文書偽造などに該当する可能性がある。さらに、詐欺や業務上横領等も当然、視野に入るであろう。
こうした組織的な裏金作りは、ほとんど犯罪として立件されたことがない。市民団体や弁護士等が刑事告発した事例は多いが、多くは立件されてこなかった。警察や検察が持つ捜査権限は、実に裁量権が広いのだが、それをある意味、心底分からせてくれるのが、組織的裏金作りに対する捜査当局のこうした態度であろうと感じている。
ところで、先の原口総務大臣の発言に対しては、「小沢問題に対する民主党の意趣返しではないか」的な立場からの報道が多かったように思う。たとえば、時事通信は<「検察の裏金」調査する=行政評価使い、けん制球?-原口総務相>という見出しを用い、こう報じている。(以下引用)
<原口一博総務相は17日、行政評価の一環として、検察の会計経理の状況を調査するよう16日の政務三役会議で副大臣や政務官に指示したことを明らかにした。17日開かれた同省の行政評価機能強化検討会でのあいさつで「検察の裏金も全部オープンにするように(行政)評価しなさいと言った。聖域なくしっかりやる」と述べた。
同相は会合後、記者団に対し「新政権になり今までのあかを全部流さなきゃいけない。その調査をちゃんとやりましょうと。与党、野党から政府に求めが来ている」と強調。政治とカネの問題で鳩山内閣の支持率が急落する中、関連する捜査を続けてきた検察当局をけん制したとも取れ、波紋を呼びそうだ。>(引用終わり)
原口総務大臣の真意は分からないが、しかし、「裏金列島」と化した日本の現状を正確に観察していれば、ちょっと茶化して終わり、といったニュースではない、と気付くはずだ。なんでもかんでも「小沢VS検察」ではあるまい。少なくとも、自民党政権時代は、時の政権が、役所の組織的な裏金問題に真正面から取り組むことはなかった。仮に犯罪に該当しなかったとしても、裏金作りとは、主権者の代表である議会が決めた予算の使途を、官僚たちが無視し、勝手に都合良く使っている、ということなのだ。だから、裏金問題は民主主義の問題とも表裏一体である。原口発言を「小沢VS検察」的な立場から冷やかしてみるのも悪くはないかもしれないが、そこに止まっていては、お里が知れる。
警察や検察の裏金問題は、断片的にではあるが、過去、種々の日刊紙でも報道されてきた。週刊現代などの雑誌メディアが熱心だったことは事実だが、新聞・テレビでも報道はされている。ただ、多くの裏金報道は「断片的」に報道された「だけ」だったところに、限界があったのだとも思う。
北海道警察の裏金問題が発覚したのは、2003年11月である。あれから6年以上が過ぎたし、今さら道警裏金問題でもないが、私が担当デスクだった当時の報道に、今も生きる教訓的なものがあるとすれば、それは「道警記者クラブ詰めの記者たちが取材した」ことと、裏金があるあると報道するだけではなくて、それを「道警に認めさせる方向で取材した」ことの2つである。
最近は、記者クラブ批判が一段と強まっているし、私自身も記者クラブは全面開放すべきだと思っているが、記者クラブ・メディアであっても、組織悪を暴くことは十分に可能だと思う。権力の足下に日々座り込んでいる記者クラブメディアこそが、人脈等から言っても本来は一番権力悪を暴きやすい。問題は「覚悟」と「やる気」だけである。そして悪弊を「暴く」(=書きっぱなし)だけでなく、当該組織にそれを認めさせるような方向に持って行くこと。これも極めて重要である。検査の裏金問題が典型例だと思うが、「裏金がある」ことは半ば常識となっていても、それを突き詰めて認めさせない限り、なかなか旧弊が改められることはないからだ。そのあたりのことは、「追及・北海道警裏金疑惑」や「日本警察と裏金」、「警察幹部を逮捕せよ!」などに縷々記したので、機会があれば、ぜひ目を通してもらいたいと思う。
原口総務大臣が、検察庁を含めた中央省庁の裏金問題について、実態把握に乗り出すと述べた。2日前のことである。どんどんやってもらいたいと思う。そもそも、国家会計の元締である全国市民オンブズマン連絡会議の調査によれば、全国の自治体で2006-2008年10月に発覚した分に限っても、裏金の返還額は29億円を超えている。その後も「裏金」問題はあちこちで発覚し、というよりも、発覚しすぎて、もう記憶しきれないほどだ。オンブズマン会議のブログ「事務局日誌」を見ていると、「はぁぁ」と溜め息の連続だ。最近に限っても、「横浜市で裏金約3億円」など実に盛りだくさんである。警察に限って見ても「岩手県警が1898万円返還へ」のほか、千葉県警、神奈川県警で億単位の裏金が発覚している(詳細は同オンブズマンの警察不正特設ページ)。
民主党の小沢幹事長や小林ちよみ議員などの政治資金規正法違反事件が話題になっている。犯罪はそれぞれに個別の案件だから、あれとこれ、これとそれ、などの比較はできないし、そうした比較には意味がないかもしれない。しかし、自治体や国の役所、警察・検察などの裏金も立派な犯罪であろうと思う。公金を裏金にするには、公文書を偽造する必要があり、虚偽公文書作成・公文書偽造、同行使に該当する可能性がある。納入業者等を巻き込んでいる場合は、私文書偽造・有印私文書偽造などに該当する可能性がある。さらに、詐欺や業務上横領等も当然、視野に入るであろう。
こうした組織的な裏金作りは、ほとんど犯罪として立件されたことがない。市民団体や弁護士等が刑事告発した事例は多いが、多くは立件されてこなかった。警察や検察が持つ捜査権限は、実に裁量権が広いのだが、それをある意味、心底分からせてくれるのが、組織的裏金作りに対する捜査当局のこうした態度であろうと感じている。
ところで、先の原口総務大臣の発言に対しては、「小沢問題に対する民主党の意趣返しではないか」的な立場からの報道が多かったように思う。たとえば、時事通信は<「検察の裏金」調査する=行政評価使い、けん制球?-原口総務相>という見出しを用い、こう報じている。(以下引用)
<原口一博総務相は17日、行政評価の一環として、検察の会計経理の状況を調査するよう16日の政務三役会議で副大臣や政務官に指示したことを明らかにした。17日開かれた同省の行政評価機能強化検討会でのあいさつで「検察の裏金も全部オープンにするように(行政)評価しなさいと言った。聖域なくしっかりやる」と述べた。
同相は会合後、記者団に対し「新政権になり今までのあかを全部流さなきゃいけない。その調査をちゃんとやりましょうと。与党、野党から政府に求めが来ている」と強調。政治とカネの問題で鳩山内閣の支持率が急落する中、関連する捜査を続けてきた検察当局をけん制したとも取れ、波紋を呼びそうだ。>(引用終わり)
原口総務大臣の真意は分からないが、しかし、「裏金列島」と化した日本の現状を正確に観察していれば、ちょっと茶化して終わり、といったニュースではない、と気付くはずだ。なんでもかんでも「小沢VS検察」ではあるまい。少なくとも、自民党政権時代は、時の政権が、役所の組織的な裏金問題に真正面から取り組むことはなかった。仮に犯罪に該当しなかったとしても、裏金作りとは、主権者の代表である議会が決めた予算の使途を、官僚たちが無視し、勝手に都合良く使っている、ということなのだ。だから、裏金問題は民主主義の問題とも表裏一体である。原口発言を「小沢VS検察」的な立場から冷やかしてみるのも悪くはないかもしれないが、そこに止まっていては、お里が知れる。
警察や検察の裏金問題は、断片的にではあるが、過去、種々の日刊紙でも報道されてきた。週刊現代などの雑誌メディアが熱心だったことは事実だが、新聞・テレビでも報道はされている。ただ、多くの裏金報道は「断片的」に報道された「だけ」だったところに、限界があったのだとも思う。
北海道警察の裏金問題が発覚したのは、2003年11月である。あれから6年以上が過ぎたし、今さら道警裏金問題でもないが、私が担当デスクだった当時の報道に、今も生きる教訓的なものがあるとすれば、それは「道警記者クラブ詰めの記者たちが取材した」ことと、裏金があるあると報道するだけではなくて、それを「道警に認めさせる方向で取材した」ことの2つである。
最近は、記者クラブ批判が一段と強まっているし、私自身も記者クラブは全面開放すべきだと思っているが、記者クラブ・メディアであっても、組織悪を暴くことは十分に可能だと思う。権力の足下に日々座り込んでいる記者クラブメディアこそが、人脈等から言っても本来は一番権力悪を暴きやすい。問題は「覚悟」と「やる気」だけである。そして悪弊を「暴く」(=書きっぱなし)だけでなく、当該組織にそれを認めさせるような方向に持って行くこと。これも極めて重要である。検査の裏金問題が典型例だと思うが、「裏金がある」ことは半ば常識となっていても、それを突き詰めて認めさせない限り、なかなか旧弊が改められることはないからだ。そのあたりのことは、「追及・北海道警裏金疑惑」や「日本警察と裏金」、「警察幹部を逮捕せよ!」などに縷々記したので、機会があれば、ぜひ目を通してもらいたいと思う。
by masayuki_100
| 2010-02-19 11:18
| 東京にて 2009