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『ライオンの隠れ家』はなぜああいう終わり方になったのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2022 TIFF/アフロ)

ひとつ前の10話で事件は解決した

『ライオンの隠れ家』は最終話のひとつ前、10話で問題は解決した。

姉・愛生(尾野真千子)とその子ライオン・愁人(佐藤大空)は、その夫であり父である橘祥吾(向井理)の暴力的支配から助けられた。

祥吾とその手下は警察に捕まった。

母と子は解放され、弟たち洸人(柳楽優弥)と美路人(坂東龍汰)の家にやってきた。

四人での生活が始まる。

姉弟甥で、楽しく暮らしましたとさ、と収まりそうに見えたのに、その10話で終わらなかった。

11話は平穏な生活が描かれる

10話の最後、主人公の洸人(柳楽優弥)のいなくなった、という不穏な気配になり、続きは最終話となった。

でも最終11話は平穏だった。

暴力的支配から解放され、みんな平和な暮らしに戻ったのはたしかであった。

主人公は、この一連の騒ぎを経てことによって、これまでの生活を見直すことになった。

お兄ちゃんを演じたのが柳楽優弥だったということ

弟のみっくん(美路人)は自閉スペクトラム症を持つ障害者であり、弟が穏やかに暮らすことだけを考えて、兄は生活していた。

おそらく一生一緒にいるつもりだったのだろう。優しいお兄ちゃんである。

それを演じて柳楽優弥がいい。

このドラマは弟の坂東龍汰の演技がすばらしく、その圧倒的な説得力にただただ感嘆してしまうのだが、でもそれは兄を演じたのが柳楽優弥だったということも大きかったとおもう。

お互いを支え合う兄弟を演じて、二人に過不足がなかった。

「何でも無い生活を続けようとする公務員」を演じて、柳楽優弥が抜群だった。

柳楽優弥が見たくて、毎週このドラマを見ていたということが、終わってみればよくわかる。

穏やかな人を演じて素晴らしかった。

「ふつうの生活」を描くことが大事

事件はすべて終わったのに、もう1話あったということは、つまりこのドラマにとっては「ふつうの生活」を描くことが大事だったということだろう。

ドラマのメインは「事件の解決」ではなかった。

解決したところでドラマが終わらなかったのは、そういう意味になる。

つまり「生活」を描くドラマだったのだ。

「ふつうの生活」をするためには、ときにとんでもない努力が必要だという風景が描かれた。

「凪のように静かな生活」から始まるドラマ

冒頭第1話、主人公によるナレーションはこう始まった。

「僕たち兄弟の日常は、凪のように静かだ。波風を立てることなく、毎日同じことを同じ順番で淡々とこなしていく」

この凪は、少年が家に入りこんできて、大きく変わる。

少年は虐待されているようで、どうやら彼の母親は、洸人と美路人の姉だとわかる。

何か大変なことが起きている。

洸人と美路人も巻き込まれていく。

限定的であっても暴力は大きく人を巻き込んでしまう

おおもとは、ドメスティックな、つまり家庭内での「暴力」であった。

父親が、妻と子に暴力をふるい続け、そこから逃げようとしていた。

多くの人が巻き込まれていく。

ただ、終わってしまってわかるのだが、その暴力はおおもとの一人を止めれば、それで終わるものであった。

しかし、おおもとは一人でも、組織を使い、人も動かすと、それは広く大きな暴力となっていく。

それに対抗する勢力は、まず「逃がし屋」(岡山天音)がいて、事件を嗅ぎつけた敏腕記者(桜井ユキ)がいて、彼女が巻き込んだ警察官(柿澤勇人)がいた。

あとは当事者となった洸人(柳楽優弥)と美路人(坂東龍汰)兄弟と、彼らを助けてくれる仲間(齋藤飛鳥と岡崎体育)もいる。

それらの力が結集して、暴力男(向井理)とやっと対抗できた。

暴力が止まって四人で暮らし始める

最終話の前、男が捕まって、暴力は止んだ。

兄弟ふたりと、姉と子は、ふつうの生活を取り戻した。

四人で暮らし始めた。

平和が戻り、それぞれの人生は動き始める。

兄は「弟のためだけに生きていた自分の生活」を見直して、東京の大学に入り直す(彼らの家は茨城県の海近くなので東京は遠い)。

弟は、芸術家たちの共同生活施設に入ることになった。

姉とライオンが住む家は安心する

生活は平和に戻ったが、形は変わった。

兄と弟が二人で住んでいた家は、姉とその子が住むことになる。

そして、それを想像するだけで、安心した。

あの姉とその子ライオンなら、きっと家をきちんと守ってくれる。

二人が帰ってくると、とても明るく「おかえり」と迎えてくれるに違いない。

想像するだけでほっとする。ほっとしすぎて泣きそうだ。

嵐に巻き込まれても生活は続く

「生活」は続くが、家族の形は変わっていく。

人生は、そういう場所をどう作っていくかということが、もっとも大事なのではないか。

そういうことを考えさせらるドラマであった。

嵐に巻き込まれようと、そのあともまた生活は続く。

場所は守っていかないといけない。

素敵なドラマであった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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