【安保法制】砂川最高裁判決と72年政府見解で揺れる安倍政権の矛盾
一昨日、安倍首相がドイツ・ミュンヘンで、今国会に提出されている「安保法制」の合憲性の根拠を1959年の砂川事件の最高裁判決に求めたかと思えば、昨日は「安保法制」の合憲性の根拠を1972年の政府見解に求める政府の答弁が出され、同法案の合憲性根拠に関する政府の立場が揺れています。
砂川事件最高裁判決を根拠とすることの無理
砂川事件最高裁判決は、在日駐留米軍の合憲性が争点になったものです。最高裁判所のホームページに判決のPDFと判決要旨が載っていますので、興味のある方は直接ご覧下さい。確かに判決要旨の四には「憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。」と書いてありますが、これは個別的自衛権に関するものだとされています。
例えば、最近何かと話題の長谷部恭男・早大教授は以下のように述べています。
砂川事件の最高裁判決に集団的自衛権を読み込むことについては、そもそも与党の政治家からして批判的だったはずです。
自民党の谷垣幹事長に至っては、安倍首相のミュンヘンでの記者会見の直前の6月5日の記者会見で以下のように述べています。
谷垣幹事長はその後、同判決と「安保法制」が矛盾しないと述べますが、これを言った後だといかにも苦しい発言に見えます。実際、6月9日の自民党の総務会では木村義雄参院議員が、砂川事件の最高裁判決を根拠に集団的自衛権の行使を認めるという憲法解釈に対して「短絡的すぎる。そういう主張をしていると傷口を広げるので、これ以上言わない方がいい」と述べたようです(2015.6.9東京新聞)。
安倍首相のミュンヘンでの見解(元々のアイデアは高村正彦副総裁のようですが)は、過去や現在の与党議員の見解とすら齟齬を来しているように見えます。
1972年の政府見解も個別的自衛権に関するもの
1972年(昭和47年)の政府見解の原文は長いので画像で示します(原文は朝日新聞サイトより)。下線を引いた部分を読めば分かりますが、集団的自衛権を明文で否定しています。
そして、この政府見解を出したときの内閣法制局長官だった吉國一郎氏は、同じ1972年9月14日の参議院決算委員会で次のように述べています。長いですが重要なので直接引用します。
また、この集団的自衛権を行使できないとする政府見解については、1983年2月22日の衆議院予算委員会でも、内閣法制局長官が、憲法改正をしなければできない、と明確に答弁しています。これまた重要なので長文ですが直接引用します。ここで「市川委員」と記載されているのは公明党衆議院議員のだった市川雄一氏、「法制局長官の述べたとおりであります。」と言った「安倍国務大臣」はなんと安倍晋三首相の父親である当時外務大臣だった安倍晋太郎氏です。
安倍晋三首相の父親が政府を代表して「憲法9条の下で集団的自衛権は行使できない。行使のためには憲法改正が必要」としていたんですね。もはや、時代を超えた親子論争の感すらあります。
中谷防衛大臣もそう考えていたんじゃ・・
これだけ(ではなく本当はもっと沢山あります)の政府見解の上に今日の国政があるわけです。今の内閣でも、中谷元・防衛大臣は過去、以下のように述べています。今の内閣の一員がこういうことを言うとおかしな感じがしますが、つい1年前までの政府見解を踏まえれば、中谷氏の発言はむしろオーソドックスなものであることが分かりますね。
今の政府見解は、内閣の内部ですら、本来的には意見統一ができていないようです。
まとめ
結局、現在の政府見解は、過去の与党議員の発言とも、閣僚の過去の発言とも、つい1年前の政府見解とも、首相の父親の大臣としての見解とも一致しないのです。このように、つい昨日発表された政府答弁がこのような激しい矛盾を来しているのです。筆者は憲法9条改憲には反対ですが、仮にそのようなことをするのであれば、憲法9条の改憲が必要だ、というのは当然すぎることでしょう。法治主義は言葉の一貫性によって担保されるものです。これを、単なる法改正で済まそうとする安倍政権の憲法観は余りに軽い、許されない、といわざるを得ません。