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私は、善し悪しにかかわらず日本が集団的自衛権の行使を認めて国連軍や米軍の支援をやらなきゃ、国際社会の中で一目置かれる国として自立存続できないと考えている。
認めるプロセスは、憲法改正をするのが筋論だが、既にキナ臭い問題が多々あるなか、筋論にこだわると結局は体よく直面する問題から逃げることになりる。道義的な卑怯者が国際社会の中で信用されないのは明らかなので、たとえ国内で姑息の誹りを受けようとも憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認するのは現実論としてやむを得ないと思う。 その先に「やむを得ない」事情が次々と起きて行けば、戦線拡大、兵力不足による徴兵制という展開になるのも覚悟が要るのだろう。小学生の頃、大日本帝国憲法の3大義務は「兵役・納税・教育」だったが、戦後の日本国憲法における3大義務は「教育・勤労・納税」になったと教わった。やむを得ない事情による憲法の拡大解釈で、兵役は憲法の義務じゃないけれど、でも勤労や納税の一貫として兵役に応じてネ・・・ということになるのだろう。 そんな姑息な話は結論ありきで誰が為政者になろうとも、そうせざるを得ない。 私が道義的に赦せないのは、戦闘経験もなく自身が出兵しない前提で、高みの見物みたいな気分で他人に出兵しろと決める連中だ。このような事態になれば、どうせ死ぬなら戦地でなく、この段階で死んだ方がマシだ。私の死に場所と考え、命がけで反対するし、決めた人達と刺し違えるつもりだ。 もし徴兵制を行うなら、ひと言で述べれば「歳の順」にすべきだ。健康状態・能力・性別にかかわらず、年長者から最前線に出兵する。出兵する前に訓練の過程で耐えられず落命する者も多いだろうが、それが道義的にフェアであり、何といっても合理的だ。 言うまでもなく日本は少子高齢社会。高齢者は過去の功績がどうあれ今後の日本で何も生産することなく社会保障費を食い物にして生命維持するだけの重荷である。となれば、最期の奉公として戦地で散れば、高齢社会の解消につながるし、日本の社会保障費の削減に直結するので、一石二鳥の社会貢献となり、合理的である。 そういう事も含めて、投票率が高い高齢の有権者が、自ら戦地に赴き散る前提で集団的自衛権の容認、ひいては憲法改正、徴兵制に賛意を示す投票をして決めるべきだ。そうでなければ命を懸けて反対する。 More #
by negative_opinion
| 2014-05-18 09:39
| 憲法改正・集団的自衛権
結論
野党が揃って自爆するなか無党派層の風は吹かず、投票率は低迷する。その結果、自公の組織票とネウヨによる自民支持票が際立ち、自公が圧勝するだろう。 投票率が低迷する機序 有権者の大多数を占める無党派層にとって、アベノミクス・外交・改憲をはじめとする安倍政権は「代案なき消極的賛成」というのが本音だろう。 何しろ国会が衆参でネジれてしまうと、どれほど酷い状況になるか懲りているので、安倍政権のやることに各論で賛成できなくても自公で安定する方がマシだ。積極的に賛成できる代案が無いのに反対票を投じる者は、左寄りな野党の熱心な煽動に影響されるであろう社会的弱者の一部に限定されるだろう。 消去法的に野党の選択肢を外して行くと、自公の他に選択肢が無くなる。自民党の独断専行を牽制するために公明党へ投票する考えは理屈として浮かんでも、所詮は宗教団体への嫌悪感が全ての動機を上回るので、無党派層が公明党に投票することは有り得ない。その結果、黙認の意義を込めて投票を棄権する無党派層が多いだろう。 ネット選挙の影響 ネット選挙が解禁されて、これまで選挙に関心を持てない若年層の有権者やネウヨなどネット媒体を棲家とする有権者を、いかに集票するかが関心事の一つになっているが、とりあえずこの参院選でネット選挙による風は吹かないと思う。 何故ならば、何といっても若年層は人口構成のマイノリティであることだ。若年層が結集できても選挙結果を動かす勢力にはなり得ない。しかも「自分の1票では何も変わらない。誰に投じても変わらない。」と最初から醒めているのだから、絶対に無理だ。 もし、ネット選挙で祭りになるような出来事が起きても、若年層は気分屋で根性が乏しいので、最終的に万障繰り合わせて投票する者は限定的。一方、敢えて祭りを仕掛ける候補者も皆無だろう。橋下氏が祭りを仕掛けそうだったが、選挙前の自爆的発言で既に自滅している。言うまでもなく民主党は崩壊状態で何も出来ないだろう。他の野党は今や十把一絡げに諸派で片づけられ、いちいち論じるまでもない。 #
by negative_opinion
| 2013-07-04 06:33
| 政治・経済
昨日(3/25)の選挙を無効とする判決には、政官界とメディアが仰天したが、天下泰平で選挙や裁判に関心がない庶民感覚としては、それほどの大ニュースと思えない人が多かったのではないだろうか。 しかも、同じ広島高裁なのに、今日は別の裁判長が選挙の無効を棄却した。庶民感覚としては摩訶不思議だ。「どうなってるの?」という戸惑いが頭をよぎり、解ろうとする気にもなれず思考停止となり、「まぁ、どーでも良い」となって、ますます関心が薄れる。 そんなグチャグチャの泥仕合にして世間の関心をシラけさせる事こそ、官僚による、官僚のための行政支配で、民意の操作なのかも知れない。三権分立などクソ喰らえで、日本を仕切っているのは一部の中央官僚である。 ・・・で、裁判官の判断に、どういう思惑が入るのか? 要は、裁判官のキャリアである。裁判官が出世コースに乗るために必要なのは、官僚と同じように「ヘンな事をしないこと」である。 すなわち、従来の判例を覆す判決をすれば、それが正義であろうが時代に即していようが、法曹界としては「ヘンな事をした」裁判官として名を残す。何されるか予想のつかないヘンな人を登用したくないのは、無難に生きようとする「お偉方」には当然の心理である。というわけで、騒ぎになるような「画期的な判決」を下した裁判官は、自身の出世にリスクを背負うことになる。しかも、下級審の裁判官ほど「余計な事をするな」という不文律で縛られるわけだ。 たとえ画期的な判決を出しても、その判決が上級審で覆されて確定すれば、「ヘンな判決」を下した「ヘンな裁判官」となり、出世の道は永遠に閉ざされ、島流しのように地方の辺鄙な裁判所のヒラ裁判官で現役生活を終えることになる。 結局、日本における「スタンド・プレー」は、体制側にしてみれば組織の平穏を乱す「迷惑者」なのだ。体制側の者として肩書きを着実にバージョンアップし、「お偉方」としてハッピーリタイヤして、その華々しいキャリアをもって悠々自適の高給弁護士になりたければ、余計な事はしないに限るのだ。 ただし、世論の賞賛を浴びて、上級審が追認して判決が確定すれば、「ヒーロー」になり、スター裁判官として出世する可能性もある。「お偉方」は、世論の反感を買いたくないし、ヒーロー裁判官の登用を世間がもてはやし、他の批判を忘れさせられるなら、登用する方が得になるからだ。 でも、特に下級審の裁判官なら、そんなリスクを負ってまで冒険的な判決を下すよりも、無難に先々の道筋が見える判決をしたいと考えるのが、大多数の日本人の「サラリーマン根性」だろう。 というわけで、世間が騒ぎになるような「選挙無効」の勇気ある判決を下した裁判官は、老い先が見えて出世の道に限界を感じていたなか、一発逆転ホームランを狙いたかったのかも知れない。 一方、翌日に選挙無効を棄却した裁判長は、そんなリスクを背負わなくても安泰なキャリアを築ける人なのだろう。 いずれにせよ、裁判の判決は、裁判官の個人的な都合で決まるのだ。そして、そういう私情を裏でコントロールして、望ましい判決が出るように誘導するのが官僚の腕の見せ所である。かくして、三権分立なんてクソ喰らえで、官僚が裏で司法を操っているのだ。 More #
by negative_opinion
| 2013-03-26 18:16
| 日本人の性根
桜宮高校の体罰問題で、改革に柳本氏が就くとの報道。会見で柳本氏が「選手に自覚を持たせないと」と仰った部分に、全ての本質を感じた。
基本的に、昔から日本人の多くには「お上意識」がある。そして、「上の者」に対して依存的で甘えた精神構造がある。私もそうだ。「(国・自治体・学校・経営者・上司・先生など)上が・・・してくれないから・・・」という愚痴をこぼした事が無い日本人は少ないはずだ。その愚痴こそ、甘えの構造の根拠だ。 だから、実績のある組織・チーム・学校に入り、実績ある指導者につけば結果が期待できると考える。仮に自身の結果がどうあれ、そこに所属した経歴が自身に有利と考える。スポーツに限らず、勉強や就職の類も似たようなものだ。例えば、「実績ある進学塾→実績ある受験校→実績ある名門大学→実績ある名門企業への就職」が、今も多くの大人が喜び羨む定番コースだし、野球だって「強い少年野球チーム→強豪校・甲子園出場→巨人入り」を目指したがる。東大に行けなくても、巨人に入れなくても、名門受験校や強豪校の一員だったことを生涯の誇りにする者は多いだろう。 一方、私の知る限り、スポーツの強豪校も受験名門校も、実績のあるハイレベルな塾も、そこの教育や指導が優れて凡才を秀才にしてくれるわけじゃなく、「トップを極められる素材」を集めて、尻を叩き、落ちこぼれたら篩にかけて、残った者を上に進ませているだけのことだ。そして、実績さえ出し続ければ、勝手に良質な素材が集まって来る。塾や学校が、いくら綺麗事をアピールしようとも、それが日本の教育ビジネスの仕組みである。 例えば進学塾や新興の受験校は本音モロ出しでエグい。特進コースのようなクラスを設け、トップクラスの生徒を授業料無料の条件で囲い込む。塾や受験校は指導内容を色々とアピールしているが、そういう生徒は周りが邪魔さえしなければ、生徒が勝手に勉強して超難関校に合格する。ぶっちゃけ、学校でずっと勝手に自習させておいて、卒業に必要な単位さえ与えれば良いのだ。下手な授業は時間の無駄で、生徒の邪魔になるわけだ。そして、彼らの「結果」を実績として宣伝文句に掲げ、それを期待して来る多くの生徒はビジネスのための「カモ」である。授業料さえ納めてくれたら結果がどうあれ用済みなのだ。 そういうビジネスモデルが結果至上主義の下地だ。学校と指導者は、とにかく「結果を出し続ける」ことが存続の生命線となる。何しろ少子化で教育ビジネスの顧客が減り、市場が収縮している。人格形成とか教育論の綺麗事を言っても、結果が出なければ「放って置いても結果を出してくれる生徒」が入学しなくなり、カモも入学しなくなって、学校が存続できなくなる。指導者はクビに直結する。受験校もスポーツ強豪校も同じだ。 そこで、短期間で確実に結果を出したければ、とにかく選手を絶対服従させて思考停止状態にして、指導者が「思い描く」通りに動いてもらうのが手っ取り早い。ある程度、安定した「結果」と「段取り」が読める。それで結果が出れば、その指導者のスタイルが賞賛され神格化され、生徒も保護者も盲目的に服従し、全てが好循環になる。結果がついて来るほど良い素材の生徒が入って来て、育成するまでもなく「尻叩き・篩がけ・使い捨て」で回り続けるわけだ。 現状は、そういうビジネスモデルの限界と崩壊を示唆しているのだろう。あまりにビジネスライクになり過ぎて、「人の心」を失った組織・学校・指導者が、「人としての一線」を超えている気がしてならない。だが、綺麗事を言って結果が出なければ職を失うので、仮に疑問を感じても他に術がなく、その前に疑問を感じるほど「甘い人」は既に負けていることになるのだろうから、迷わず一心不乱に「指導」しているのだろう。 実業の世界では、かの稲盛氏が 「(人生・仕事の結果)=(考え方)×(熱意)×(能力)」 と説いた。 3要素のどれが高くても、どれかがゼロなら、掛け算だから結果はゼロだし、考え方がマイナスを向いていたら、能力が高く熱意があるほど結果のマイナスが大きくなる。完全犯罪者やテロリストは最たるものだ。そんな極端な話よりも、ここでは熱意と考え方次第で、平凡な能力でも大きな結果を出せる話がポイントだ。 昔は掃いて捨てるほど人がいたので、篩にかけて残った者で間に合ったが、今は少子化で、篩にかけるほど人をえり好み出来ない。一方では、将来を絶望する悲観的な状況が多々あるし、現状の枠組みの中では何をやっても先が見える気分にさせる世の中なので、若い者は熱意を持ちにくい。でも、「考え方」次第で可能性が出る。そして、日本人の大好きな「実績」につながれば、自ずと「熱意」につながり、能力が平凡でも大きな結果を得るかも知れない・・・という好循環になる、という理屈だ。少なくとも、凡人がこの理屈を信じなければ、ノーチャンスである。 この式は、ある程度はスポーツ選手にも当てはまるのではないか。そして、「考え方」を導入して、気づきを与え、小さな結果から選手が自ら「熱意」をアップさせて行くように導くのが、本来の指導のあるべき姿で、冒頭に記した「自覚」とは、「考え方」の第一歩と思えてならない。 指導者に盲目的に服従して来た思考停止状態の選手たちへ、新たな指導者が唐突に「自分で考えろ」と言って精神的な自立を促しても、おそらく混乱するだろう。混乱ぶりを見かねた学校や組織、保護者が「そんなやり方で結果が出るのか?」と騒ぐかも知れない。 選手のみならず、教育委員会・学校・保護者に対して、新たな指導者がどんな風に「自立」を促すのか、「結果」を期待しながら、極めて困難な道程を私自身の参考にさせていただきたい。 More #
by negative_opinion
| 2013-02-12 15:35
| 日本人の性根
19歳の社会人が、14~19歳の男女6人の遊び仲間にボコボコにされて殺された。
殺すほどの理由があったのか知る由もないが、6人で寄ってたかってボコボコにするのが卑怯であることだけは、ハッキリ言えると思う。 そもそも、今どき子供のコミュニティには一線を超えないように治める「正義のガキ大将」という存在があり得ない。「正義」が死語となり、仁義よりも私欲と結果の追及が当たり前で、結果のためには卑怯を恥じない世の中になったからだ。 子供は親の鏡であり、生徒は教師の鏡である。大人の誰もが卑怯で、仁義なき結果至上主義で、私欲を貪る姿を子供に見せているから、それを更にエスカレートさせた子供達を再生産して、世代が代わるほど増長する。日本人の国民性は、大災害の対応を通じて高いモラルが世界から賞賛されたが、そんなモラルさえ見る影もなく崩壊するのは、あと10年、せいぜい30年以内に必至だろう。 サル山の大将みたいに、昔は1対1のサシで喧嘩して、強い者が敬意をもって大将に据えられたが、今どきは仮に腕力が突き抜けて強い者がいても、集団であらゆる卑怯な手段をためらわずに強者を叩きのめすから、今どき身体の大きさや腕力・身体能力の高さは子供のコミュニティを仕切る上での必須条件でなくなった。 自ずと、全員が自己防衛のため常に周りの「空気」を読み合い、とにかく平時からボコボコにされないように全力で保身に走る。そして、コミュニティの空気感がイラっと来たとき、仲間の誰かを生贄にしてストレスを発散する。一人一人にしてみれば、保身のために誰かを生贄にしようと陰険なせめぎ合いが始まる。本意がどうあれ、とにかく「空気感」がそうなったら、やらないと、やられる。 これはヤンキーの内ゲバに限らず、個々の学級、部活、遊び仲間など、あらゆる子供のコミュニティにおけるイジメの構図でもある。 唯一、平和なのは目標が明確なコミュニティだ。例えば全国大会を本気で目指す者だけが集まるチームとか、超難関校の合格を本気で目指す進学塾の中でも最上級の精鋭メンバーだけが集まったクラスだ。 逆に言えば、ヒントはチームで明確な目標を持たせて、それが人生の動機になるように誘導することだろう。家庭環境に恵まれない者は、全ての事にシラけてヤンキーになるものだが、そんな立場でも踏み外す前に救いのある誘導が出来れば良いのだが。。。 More #
by negative_opinion
| 2013-02-09 10:51
| 日本人の性根
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