要求、命令、主張、提案などの動詞のthat節では、動詞が「動詞の原形」もしくは「should + 動詞の原形」になります。

 

 具体的には下のような動詞です。

 

 要求する: demand , require , ask , request

 命令する: order , command
 主張する: insist , urge

 提案する: propose , suggest

 勧める : recommend

 忠告する: advise

 決定する: decide

 

:I suggest that you (should) write a letter to her.

     君は彼女に手紙を出した方がいいよ。

(私は君が彼女に手紙を出すことを提案する。)

                            

 たくさんありますね。
 高校のとき、黒板に列挙されて丸暗記しようとしたものの全然覚えられなかった記憶があります。

 

 

◆要求、命令、主張、提案などのthat節で動詞の原形が使われる理由

これらの動詞の共通点は、that節の動詞が「まだ行われていない」ということです。


:I suggest that you (should) write a letter to her.

     君は彼女に手紙を出した方がいいよ。

 ↑youはまだwrite a letter to her(彼女に手紙を出す)をしていないから、suggest(提案)している。

 

「~するよう」要求する、「~するよう」提案する、「~するよう」主張する、、、、いずれも、まだ行っていない動作だから要求したり、提案したり、主張するわけです。

(すでに行ったことを要求したり、やるよう提案したりする人はいません)

 そして、英文法では、まだ行っていない動作を表すときに動詞の原形が使われます
 なぜなら、原形は現在形や過去形のように現在の事実や既に行った事実を表しているわけではないからです。

例えば、命令形は動詞の原形で表されますが、命令する動作というのはまだ行われていない動作です。 (すでに行った動作を命令する人はいません)

ほかにも、助動詞の後ろも動詞の原形になります。must「しなければならない」という義務、may「かもしれない」という可能性、will「だろう」という未来など、いずれも今段階ではまだ実際には行っていない動作に対して使う言葉です。だから助動詞の後ろの動詞は、原形になるのです。

 

一見すると、要求、命令、主張、提案、勧める、忠告、決定する、、、これらはバラバラの意味のように見えますが、いずれも「まだ行われていないことを○○する」という共通点があります。

 そのため、その「まだ行われていないこと」にあたるthat節の動詞は原形で表されます。

 

 

shouldをつける理由

 that節の動詞は、「動詞の原形」のほか、「should + 動詞の原形」で表されることがあります。

 この違いは、「動詞の原形」はアメリカ語法で、「should + 動詞の原形」はイギリス語法なのですが、もともとはアメリカでもイギリスでも「動詞の原形」のみでした。それが、時代が下ってきてイギリスでは「should + 動詞の原形」の形になったのです。

 

 では、なぜshouldを付けるのでしょうか。

 shouldの基本的な意味は~するべきだです。

 

 さきほどの要求、命令、主張、提案、勧める、忠告、決定する、、、これらの動詞は、いずれもまだ行っていない動作であるのと同時に話し手(主語)は少なからず「~するべきだ」という気持ちを持っています。

 

:I suggest that you (should) write a letter to her.

     君は彼女に手紙を出した方がいいよ。
  ↑主語(I)は、youがwrite a letter to her(彼女に手紙を出す)をするべきだという気持ちを持っているから、suggest(提案)している。


主語が要求したり、提案したり、主張したりするは「~するべきだ」という気持ちを持っているからです。逆に、「しないほうがいい」という気持ちだったら、要求とかしないですよね。

 

このように、主語の「~するべきだ」という気持ちを反映するため、イギリスでは動詞の原形にshouldを付けるようになりました。


【参考】イギリスで「should + 動詞の原形」に変化した理由
 なぜイギリスではshouldを付けるようになり、アメリカではshouldを付けない昔の形が残ったのでしょうか。

 少し脱線しますが、例えば、自分が教祖様になって〇〇教という宗教を立ち上げたとしましょう。
 しばらくすると、信者から「〇〇教では、こういうことをしてもいいのでしょうか?それともしてはいけないのでしょうか?」という問い合わせが来ます。
 当然、教祖は自分なので「これは正しい!」とか「いや、それはよくない」といった判断をどんどん下せます

 しかし、教祖様が亡くなって信者だけになってしまうと、自分たちで「これは良い、これはダメ」と新たに判断することは難しくなります。なぜなら、その判断は教祖様から見たら「あり得ない判断」である危険性を孕んでいるからです。


 言語も同じです。
 イギリス人にとって、英語は自分たちのものなので、彼らが日常生活を送っていて、「要求や提案とかのときは、shouldを付け加えて『~すべき』って感覚を表した方がいいよね」となれば、ある時期からshouldを付け加えて文法を変えることもそれほど抵抗がありません

 一方、アメリカ人にとって、英語はイギリスから持ち込んだものです。そのため、自分たちの感覚で勝手に「文法をこういう風に変えちゃおう」というのは抵抗があり、古い形が忠実に守られて来ました

 このような経緯から、イギリスではshouldを付けるようになり、アメリカではshouldを付けない昔の形が残りました。
 ちなみに、よく「that節にshouldが省略されてるから原形を使うんだ」という説明を耳にしますが、明らかに間違った説明です。

 
戻る7