旧聞に属する話だが、性と強制に関する話はフェミニストが大いに喚くことなので、白眼視していくために議論を整理する。
まず、報道によると、小池一夫氏が言及した事件の概要は、
出会い系サイトで21歳の男と知り合った13歳女子中学生が、半年の交流を経て男に誘い出され、男の家に2週間家出=滞在した、というものだ。
男は未成年者誘拐の容疑で逮捕された。
女子にはけがはなかった。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160221/k10010416831000.html
この事件に対して、漫画原作者 小池一夫氏は、家人の感想とことわりつつ
「中1で男が欲しかったのか、お金が欲しかったのか分からないけど、中1で出会い系サイトで男と知り合う女の子は、もう女の子じゃない。女。しかも、倫理観も貞操観念もない女」とツイートした。
このツイートに対して、フェミニストが噛み付いた。いわく、被害者批難は許されない、セカンドレイプだ、などだ。
http://togetter.com/li/941995
また、小池一夫への反論者の中には、実際に13歳のフリをして、ペドフィリアといえる男から大量にメッセージが届くという事実を披瀝したものもいる。
以下は、小池一夫氏へのフェミニストたちの反論の的外れについて書く。
まず、小池一夫氏の被害者批難は全うである。小池一夫氏は、中学一年生がスマートフォンを利用して出会い系サイトに登録した「愚かさ」を指弾している。
どのような環境に置かれていたにせよ、女子中学生が自らの判断で、出会い系サイトに登録し、誘いに乗ったことは、『失敗』である。失敗が、無知や愚かさゆえに起きたのだとすれば、その行為をしたものは無知や愚かだと評される。その失敗は事実で、事後に変えられない。また、他人が、女子中学生が愚かだ、と指弾することも、変えられない。
しかし、フェミニストは、女子中学生を愚かだ、と評することそのものがセカンドレイプや被害者批難であるとし、そうした意見そのものを抹消せよ、圧殺すべしと運動している。これは全く間違いだ。こうした運動は、フェミニストの浅薄さを周知し、反感を喚起するという意味でも、また表現の自由を制限するという自由に対する冒涜であり、害悪である。
フェミニストがすべきは、被害者の愚かさを認めつつ、なおも愚か者は救われるべきである、という主張だ。
小池一夫が行った愚かさへの指弾が、愚か者に罰を与えよ、との意見に転換することを完膚なきまでに潰すことだ。
小池一夫の言うように女子中学生が貞操観念の無い女だとしても、われわれの社会では13歳未満の女子中学生の行う判断は、子どもの行う判断であり、その被害は保護されねばならない。
愚かであることが当然であり、それでもなお救わねばならない。
愚か者に対して『愚かである』と指弾するものの口を禁じても、意味はない。
警戒すべきは、愚かものは救われるべきでない、という言説だ。
フェミニストは、出会い系サイトに登録した女子中学生を愚かだと言ってはならない、とする。
これは、女子中学生には一点の責任もなく、男こそが問題であり、ゆえに女子中学生は救われるべきなのだ、という言説と解することができる。この言説は危険だ。
フェミニストは、女子中学生は無謬性を強調する。それは無謬でなければ、救われるべきでない、という自己責任論や功利主義的な言説につながりかねない。
それではすべての被害者は救われない。フェミニストたちがすべきは、自らは過ちをする存在だと自覚した上でなお、愚か者は救われるべきである、という主張だ。なぜなら、人間はすべて愚かだからだ。人間はすべて救われねばならないからだ。
僕は、フェミニストは、女の無謬性を強調するがゆえに、無謬でない多くの女たちを追い詰めていると考えている。フェミニストは、無謬でない女が虐げられているのは、男に責任があるからだと言いたいがために、愚かな女たちを阻害している。それでは女は救われない。すべての女は愚かである、しかし虐げられているのは不当だ、と言わねばならない。
女は愚かだ。ゆえに救われる。
男は愚かだ。ゆえに救われる。
誰かの主張に似ている。
いうまでもない。
親鸞上人
『善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや』
http://歎異抄.jp/read/chapter03/