『ドロップ』(☆☆☆)

(102)『ドロップ』
☆☆☆ 角川シネマ新宿
監督/品川ショウジ  脚本/品川ヒロシ  出演/成宮寛貴 水嶋ヒロ 本仮屋ユイカ
2008年 日本 カラー 122分

 ネタフリと突っ込みの台詞を全部聞かせようとするから映画が随所で停滞したり、説明台詞が多すぎたり、笑いを取りに行こうとし過ぎている嫌いがあるとは言え、テクニックが無い分、正面から実直に作っているのが好感を持てる。不良モノは撮影所システムの中でのみ可能なジャンルと思っていたので、果たして予算も多くはないと思われるこの作品で、しかも監督は素人なので大丈夫かと思ったが、一夕のエンターテインメントとしては申し分ない出来。2本立ての添え物とかで観ることが出来ていれば、これ意外と良いんじゃね?と驚くタイプの作品。こういう作品は、プログラムピクチャーを撮り慣れている監督か、品川のような素人が奇をてらわずに実直に撮るしかないのではないかと思った。テレビの監督やインディーズの監督がやれば、妙に過剰な設定や不必要な安っぽいCGをここぞと使うような作品になっていたのではないか。122分は少し長く、90分前後まで切ってしまえば、更に良くなったのでは。暴力描写に痛みがあったのと、アクションを細切れで見せて誤魔化さないことにも終始好感を持った。五月蠅いガキが大勢いる時には観たくないと時期をずらして観たが、むしろそんな劇場で反応を見たかった。

『バーン・アフター・リーディング』(☆☆☆★)

(103)『バーン・アフター・リーディング』[BURN AFTER READING]
☆☆☆★ 新宿ピカデリー
監督/イーサン・コーエン ジョエル・コーエン  脚本/イーサン・コーエン ジョエル・コーエン  出演/ブラッド・ピット ジョージ・クルーニー ジョン・マルコヴィッチ フランシス・マクドーマンド
2008年 日本 カラー 122分

『ヒッチハイク ヘア無修正版』

(96)『ヒッチハイク ヘア無修正版』

 新宿ディスクユニオンで1980円だったので購入。

「映芸ダイアリーズ座談会 柳下毅一郎氏のブログ発言から、ベストテン&ワーストテンを考える」

映画芸術 2009年 05月号 [雑誌]

映画芸術 2009年 05月号 [雑誌]

 柳下さんのブログで映芸ベストテン・ワーストテンへの批判が書かれた際に“「映芸ダイアリーズ」というのは映画芸術DIARY で映画評を書いているメンバーの合評 つまり編集部お手盛り)”という一文があったことに対して、「映画芸術DIARY」で映芸ダイアリーズからの反論座談会が掲載された。

http://eigageijutsu.com/article/119360741.html


 自分が映画雑誌を読み始めた頃は既にそうだったが、映画をめぐる論争や反論が映画雑誌等に掲載されることは極めて少なくなっていた。或いはあってもあまり盛り上がらなかったりして、一昔前の映画雑誌を読むと毎号のように激しい論争が組み交わされているのに驚き、そこからバックナンバーを漁った記憶もある。
 現在発売中の『映画芸術』で荒井さんが柳下さんへの反論というか、ちょっと反応を書いたぐらいのものでも、普段読んでるブログについての反論が映芸に載ったので驚いたとか、興奮したという声を幾つか耳にした。確かに最近はとんとその手の話題が映画雑誌を賑わすことも少なくなり、これぐらいの小さな記事でも、驚くというのはあるのかもしれない。
 その意味で、こういった形で反論が組まれるのは健全な話だと思う。しかし、柳下さんが書いた極く短い一文への反論なので、「お手盛りじゃない」と否定したら、それで反論は終了してしまうのだが。その後の各作品について語られる部分や、映画批評についてのやりとりは非常に面白いと思うし、港岳彦さんが書かれているような箇所の面白さはあると思うが、それ以前に、この反論の掲載が遅すぎるのは如何なものか。〈時機を失している感は否めません〉と書いてはいるが、本当に遅すぎる。雑誌上の話なら兎も角、共にネット上の話なのだから、こんなに遅いなら映芸本誌に掲載した方が早かったのではないかと思ってしまうほどだ。
 ベストテン、ワーストテンが掲載された『映画芸術 NO.426』の発売が1月30日で、柳下さんの批判がブログにアップされたのが2月3日。映芸ダイアリーズの反論は今日アップされたので、実に3ヶ月以上の間が空いている。1週間もすれば話題が収まってしまうネット上の話題で、3ヶ月も後で季節をまたいで反論したところで、読者で興味を持つ人がどれぐらいいるのだろうか。反論したという事実を残すことをだけを重んじているようにしか思えない。せっかく「映画芸術DIARY」というサイトを運営しているのだから、反論はすべきだし、するのなら即座にするべきではないか。噂によると、メンバー全員が集まることが出来る時期がなかなか揃わず、揃ったのが2月後半になったという。その際にこの座談会が収録されたのかどうかは不明だが、これまた噂によるとWEB上への掲載は現在発売中の『映画芸術 NO.427』が発売されて荒井さんの反論が先に出た後に載るようにしたと言われている。その真意は兎も角として、メンバーが揃わないなら、誰か代表者が反論を書き、全員の署名の上で掲載するべきではなかったのか。座談会中でも語られているように、「映画芸術DIARY」は紙媒体と同じように編集者が介在し、時間をかけて校正をしてからアップしているという。実際、読めば分かるが映芸本誌同様どころか本誌以上に充実した論考やインタビューが掲載されていることも多く、映芸の付随物に終わらない独自の媒体としての魅力を発している。しかし、だからと言って反論まで掲載に3ヶ月かかるのは慎重すぎる。〈事実に反しており、選評を執筆したメンバー(加瀬修一、金子遊、CHIN-GO!=千浦僚、近藤典行、深田晃司、若木康輔の各氏)の周辺にまで影響を及ぼしかねない〉という深刻な問題ならば尚のことアクセス数の多い時期にいち早く反論すべきではなかったか。

 今回のベストテン・ワーストテン号で疑問だったのは、「映芸ダイアリーズ」という集団名で参加していたことで、「国映ピンキーズ」や「新宿かぼす会」というグループ参加もあるが、映芸ダイアリーズの各氏はいずれも一人格として映画芸術DIARYや本誌で健筆をふるっているだけに、個々で参加して欲しかったし、メンバーに対して失礼なのではないかとも思った。実際、集団名で挙げられたベストとワーストでは個々の顔色が見えなかったが、今回文末に個々のベストテントワーストテンが挙げられているのを読んで、作品が並べられているだけでも明解の個々の違いが出ているし、はじめて顔が見えたように思う。


 ちなみに、座談会中の発言で、

「映画芸術」のワーストテンは最低映画やお馬鹿映画を並べるわけではなく、むしろ批判や批評するに値する力作が並んでいるわけです。

ワースト1位にするというのは、リスペクトがあるからなんですよ。ベストの10位に入れるよりは、ワーストの1位に入れるほうが我々の敬意が反映される

今回1位に選ばれた『ノン子36歳』よりも『トウキョウソナタ』の方が断然、映画として面白かったと思うんですよ。でも同時に『ノン子36歳』よりは『トウキョウソナタ』の方がワーストに相応しい作品だと思うところもあるんです。ワーストに入れるにはそれだけの価値がないといけないですから。

 てなことを言われると、今回参加させていただいて『少林少女』をワースト1に選んでいる私はどうなるんだ?『少林少女』は〈批判や批評するに値する力作〉でも何でもないただただ〈最低映画〉だと思ったし、〈リスペクト〉しようもない。ベストの10位に私が入れた『かぞくのひけつ』を、ワースト1位に移動させて、果たして〈敬意が反映される〉かどうか。読む人は、あーつまんない映画なのねと誤解するのではないか。ベストの10位なら誰か一人ぐらいレンタル店でタイトルを覚えていてくれて観てくれる可能性がわずかにでもあると思ってしまう。それから、私は『トウキョウソナタ』より『ノン子36歳』の方が〈ワーストに相応しい作品だと思う〉。
 映芸を割合長く読んでる割にもうひとつワーストテンの上記のような決まり事?を理解していないものだから、某に余所で「映芸は降ろせよ!あのカタカナと漢字が混じった野郎をよ!」とか言われるわけです。
 しかし、まあ、これで抗争が激化して、やがては『映画芸術』vs『映画秘宝』の戦いへと拡大の道を辿り、血の気の多い若い衆が叔父貴たちが制するのも聞かずに黒服に身を包んでパイを持って編集部を襲撃し、13年前の惨劇が次の世代でも別の雑誌で繰り返され、映芸側は足立正生と松田政男を先頭にゲリラ戦で応戦してきて後に映画芸術襲撃事件として語り継がれるようなことになれば物凄く面白いのだが、たぶんそんな『仁義なき戦い 完結篇』みたいな展開にはならないと思う。


【追記】タイミング良く13年前の襲撃事件の映像も出ましたね。

祝・荒戸源次郎復活

http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200905130013.html


 以前から映画化は伝えられていたが具体的な監督やキャストが発表されていなかった『人間失格』だが、監督は何と荒戸源次郎である。荒戸源次郎と言えば、『RAMPO』奥山版の著名人を集めたパーティーシーンにも一瞬映りこんでいたあの人ですよ、と言えば顔が浮かぶだろうか。
 世間では主演の生田斗真の話題が中心だが、怪物・荒戸源次郎の復活こそ喜びたい。『赤目四十八瀧心中未遂』以降は監督作はなかったものの、プロデュース作品の『ゲルマニウムの夜』を上野の東京国立博物館内に建設された映画館・一角坐で上映したり、同館で自身の若き日の主演作にして大和屋竺の幻の傑作『愛欲の罠』をリバイバル上映するなど、相変わらず活発な動きを見せていたが、ある時期から姿が見えなくなった。一角坐も放置されたままになり、遂に昨年解体されたようだし、噂ではまた借金で逃げているとか何とか、都内の高級ホテルに潜伏しているとか、債権者を煙に巻いてたとか、どこまで本当なのか知らないが、一昔前の九州で沈められているという噂を彷彿とさせるような話を耳にしたのが最後だった。
 それだけに『人間失格』を、しかも角川映画の製作で、「角川映画が総力を挙げて取り組む」と角川歴彦が宣言する作品の監督として復活するとは思いもしなかった。やはりこのオッサン、怪人ですな。まあ、そうでなければ清順を復活させたり、阪本順治をデビューさせたりはできないだろう。
 そういえばつい最近、『タコ社長と社長秘書の宣伝日記。』で『美代子阿佐ヶ谷気分』の試写に内田春菊と荒戸源治郎という『ファザーファッカー』な二人が来たという記述があり、荒戸源治郎は着物に金髪だったという。ただでさえ、トークショーなんぞで間近で見ると、絶対気違いだろうなと思ったものだが、着物に金髪って『陽炎座』の楠田枝里子じゃあるまいし、と思うも、ともあれ復活を喜びたい。俄然『人間失格』が楽しみになった。
 一方で、太宰好きのあの監督は今回も腰が重いのかと思ってしまうのは岩井俊二のことである。13年ほど前にも宮沢賢治生誕100年で映画化が相次いだ時にも、ヘラルドは岩井俊二で宮沢賢治モノを1本という企画があった。『LOVE LETTER』の直後である。しかし、岩井は自身で脚本も書き、企画が発酵するまで時間のかかる監督なので結局流れてしまった。その後、岩井と市川崑の共同監督プロジェクトで『本陣殺人事件』が検討される前に『人間失格』はどうかと岩井が提案したことがあった。以前から岩井は『人間失格』の映画化を希望しており、『ダ・ヴィンチ』の95年頃のインタビューでも時代設定もそのままに映画化したいと語っていた。それだけに、荒戸源次郎の復活を喜びつつも、岩井俊二版の『人間失格』も観たかったと思ってしまう。もっとも、市川準も『ヴィヨンの妻』を根岸吉太郎と競作になってでも映画化すると準備していただけに、岩井俊二にも期待したいところではあるのだが。