皆さん、こんにちは。足利は雲一つない秋晴れです。今日は立冬です。少し風が強いですが、日差しがあるのでそれほど寒くはありません。
音楽ブログです。今日取り上げるのはシュリークスです。シュリークスは1969年に神部和夫・山田嗣人・嘉屋泰雄の3人で結成されましたが、この時代のことは全くわかりません。翌年には嘉屋泰雄に代わって所太郎が参加しました。嘉屋泰雄は知りませんが所太郎は知っています。ワイドショーリポーターとしてテレビによく出ていました。ザ・リガニーズやシュリークス時代の話をしていたのを聞いたことがあります。すぐ後に保坂としえが参加して4人グループとなりましたが、所太郎と山田嗣人が抜けて男女2人のフォークデュオとなりました。この頃からシュリークスの名前を聞くようになりました。ご存じの通り山田嗣人は山田パンダとしてかぐや姫のメンバーとして活躍することになります。
「クジラのスーさん空をゆく」(作詞:神部和夫 作曲:吉田拓郎)は、1974年に発売されたシュリークスの2枚目のアルバム「イルカのうた」に収録されています。
シュリークスは、『ふるさと』と『イルカのうた』の2枚のアルバムを出していません。どちらも2人組になってからのものです。ファーストアルバムは神部さんが主に歌っています。「知床旅情」や「琵琶湖周航の歌」が収録されていますが、加藤登紀子がヒットさせる前なのです。セカンドアルバムはイルカこと保坂としえが歌っています。でもこの曲は神部さんが歌っているのです。リーダーとしての矜持だったのでしょうか。吉田拓郎はイルカの歌作りと歌唱力の才能を認めていました。神部さんにもそのことを話していたようです。神部さんはこの時にはイルカのソロ活動を考えていたのかもしれません。
神部和夫と保坂としえは1972年に結婚して2人で活動していましたが、1974年に保坂としえはイルカとして「
あの頃の僕は」でソロデビューします。神部さんはプロデューサー・マネージャーとしてイルカをバックアップするようになりました。神部さんは2007年に59歳という若さで雲の上へと旅立ってしまいました…。
私が「クジラのスーさん空をゆく」を知ったのは深夜放送だと思います。イルカのオールナイトニッポンも聞いたことがあります。でも一番聴いたのは 1976年に発売された『イルカライブ』なのです。オープニングテーマの後に聞こえてきたのが「クジラのスーさん空をゆく」でした。一人暮らしを始めたばかりの千葉市誉田のアパートで毎晩聴いたものでした。そのLPは今でも持っています♪
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
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2024/11/07 10:21:29