2023年08月01日

映像業界の沈黙について

告発をする人は前提的に「被害者」です。止むに止まれず告発をする。すでに精神的にダメージを負っているところに加害者やその周辺からの圧力があり、SNS等で二次加害にも遭う。だからわれわれは被害者にそれ以上を望むべきではない。あとは周囲の問題、つまりわれわれがどうするかだけが問われる。

われわれが告発に沈黙している時、その文化は被害者を黙殺した上に成り立っている。悪がなされているのに、その悪を糾弾もせず、見過ごしたまま、被害者の尊厳を踏みにじりながら「映画とは」「批評とは」と呑気に語っている。その浅ましさや醜さへの自覚がありますか?その言説に意味はありますか?

告発された映画作家と批評家として付き合い併走してきた人もいる。その人が作家を擁護すべき根拠があるならそれで構わない。でもそうでないならば「間違いだった」と表明すべきです。それだけで救われる被害者が沢山いる。あなたの沈黙が被害者をどんな孤独に追いやっているのか想像してください。

あなたの愛する人、あなたの親しい人、あなたが命がけで守りたい人。あらゆる被害者が、誰かにとってのそういう存在です。たまたま、あなたの愛する人ではなかっただけです。あなたの愛する人が被害者になり、やむなく告発者になった時、あなたは沈黙しますか? その上で呑気に映画の話をしますか?

自分は商業映画の脚本家です。できればこんな話をしたくはない。自分もハラスメントに関して清廉潔白ではないから、偉そうなことを言いたくない。大体、映画評論家や映画ライターを批判して得することなんてひとつもない。でもしつこく言い続けなければならないくらい、この業界は静まり返っている。

告発は全てが正確で正当性があるとは限りません。だから全ての告発に対して誰もがなんらかの意思表明をすべきだとは思わない。でも告発の内容や加害者の態度や周辺のリアクションから読み取れることはあるでしょう。読み取れるようになっているはずです。何でもいいんです。その件について話して下さい。

加害者は、人々の沈黙によって生きながらえます。自らを正当化し、力を蓄え、ほとぼりが冷めるのを待ってから、活動を再開します。人々の沈黙のおかげで、加害への根本的な裁きを受けずに済んだので、反省もしません。こうして新たな被害者を生みだします。負の連鎖を断ち切るために、沈黙を破りましょう。
posted by minato at 15:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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