ミラノ風ドリアの歴史、その考察と妄想 ─ 他文化の真似や解釈違いこそが新しい文化を作るのだ
他文化の真似や解釈違いや誤解こそが新しい文化を作るのだ。
なので、みんな真似しよう。自分勝手な解釈をしよう。何なら妄想しよう。でも、元の文化には敬意を払おう。
前置きが少し長くなるけれども、サイゼリヤのミラノ風ドリアの歴史の話をする。
文化は真似しよう。自分勝手な解釈をしよう。そしてリスペクトしよう
文化の独自性は、「自分たちが本来持っているものと、他文化をまねしたり取り込んだりするときの解釈違いや誤解あるいは妄想」で生じるものが多いと思っている。
国や地域もそうだし、会社や組織もそう。人もそう。
情報流通が当然の現代においては、他文化の取り込みはむしろよくあることのはず。
もちろんまったくゼロから生まれる発明もあるし、ガラパゴス諸島の生物のように他の影響を受けず独自進化を遂げるケースもある。でもそれらは稀なケース。
誰もが皆、誰かの影響を受け、誰かに影響を与えている。
最初は「○○の真似ですよね、パクリですよね」「こんなの偽物ですよね」「本物ではないですよね」と言われたりもする。でも、そこから独自のものに昇華できるかもしれない。あるいは劣化コピーに終わるかもしれない。それは自分たち次第。
そして、取り込んだ他の文化には敬意を払おう。オリジネーターにも敬意を払おう。価値を認めてエッセンスを取り込むことは駄目じゃない。リスペクト。
文化は真似しよう。自分勝手な解釈をしよう。
ミラノ風ドリアを認めるか否か
ところで、サイゼリヤには「ミラノ風ドリア」というメニューがある。話題が唐突に変わったように見えるが大丈夫だ。
ターメリックライスとホワイトソース、そこにミートソースをかけてオーブンで焼き上げられたドリアだ。
ドリアという料理は日本の横浜で生まれた洋食なので、もちろんイタリアにはない料理である。
なので、ミラノ風ドリアを指さして「こんなのはイタリア料理じゃない。だからサイゼリヤなんて所詮偽物だ」という声をたまに耳にする。しかしそれは違う。なんなら彼らは海外市場でも看板メニューの一つとしてミラノ風ドリアを胸を張って提供している。
ミラノ風ドリアがもしサイゼリヤから消えたとしたら、サイゼリヤは個性の一つを失う。「俺たちのサイゼリヤを返せ」と謎のムーブメントも起きるかもしれない(起こさなくていい)。
ミラノ風ドリアはイタリア料理ではないが、あとからイタリア料理への敬意を含ませたように見える
でも待て。ミラノ風ドリアがイタリア料理ではないのはそのとおりだ。一方でサイゼリヤは洋食メニューの体裁だったドリアを、後から本来のイタリア料理に結びつけようとしたように見受けられる。イタリア料理ではないけれども、そこにイタリア料理への敬意を含ませたように見える。
そして、いまみんなが「俺たちのミラノ風ドリア」として食べているそれは「サイゼリヤにおける正統なミラノ風ドリア」ですらないかもしれない。あるいは「正統なミラノ風ドリア」って何だろう。何をもって「正統の」「本当の」「真実の」「オリジナルの」とするかは本当に難しいのだ。
とにかく、2022年のミラノ風ドリアと、1997年に私がサイゼリヤの調理場で作っていたミラノ風ドリアは全く違う。きっとそれ以前のものも違うだろうし、この先も変化していくのだろう。
かつてのミラノ風ドリアはケチャップライスがベースだった
少し説明が必要だ。かつてのミラノ風ドリアは「ケチャップライス」がベースだった。米はコシヒカリだ。
当時はケチャップとバターとオリーブオイル、そしてスパイスを白いライスに加えてよく混ぜたケチャップライスがベースだった。とても洋食らしいメニューだったと言える。
もっと言えば、当時のミラノ風ドリアは売れ筋商品の一つではあったものの、ここまでサイゼリヤの代名詞的存在でもなかったように思う。1999年に480円から290円へと価格を下げてから看板商品として位置づけている印象はある。
もともとかつてのサイゼリヤのメニューには「ミラノ風リゾット」があった。本場のミラノのリゾットのようにサフランで黄色く色付けられた米を使ったリゾットだ。上にはミートソースがかけられ、中には半熟卵が入っていた。
そして、ミートソースという共通食材を上からかけているという理由だけでなぜか「ミラノ風」の冠を付けられたと思われる「ミラノ風グラタン」が登場し、その後1983年に「ミラノ風ドリア」が洋食的メニューとして並んだ。ミラノ風ドリアはもともと従業員の「まかない」であり、昔はミラノ風グラタンの方が売れていたという話を役員から聞いたこともある。
最初は妄想としてのミラノ風ドリア。「ミラノ風」は雰囲気だ。
黄色いターメリックライスへの変更は、ミラノの料理「オッソブーコとサフランリゾット」に寄せたからではないか
一方、現在のミラノ風ドリアはターメリックライスがベースになっている。味も量も食感も当時のケチャップライスとは大きく異なる。2000年代前半に大きく変更したと思われる。
なぜ黄色いターメリックライスに変更になったのか。当時まだ提供されていたリゾットのメニューと食材を共通化するという理由もあったのだろう。しかしもう一つ、勝手な想像だけれども「本来のミラノの料理に近づけよう」という思いもあったのではないか。
イタリアのミラノには、オッソブーコという骨付き牛肉の煮込みを黄色いサフランリゾットと一緒に食べる文化がある。
まばゆい黄色のクリーミーな米、上にかける肉。実はいまのミラノ風ドリアは「オッソブーコとサフランリゾット」の組み合わせに寄せた料理ではないだろうか。
サフランを使わずターメリックを使っているのは、おそらく原材料費を抑えるためと思われる。
いったん整理しよう。ミラノ風ドリアはミラノ風リゾットの亜種とも言える形で登場した洋食的メニューだった。その後2000年代に入り、あえてイタリアのミラノの料理に近づけるという過程を経ている(推測)。ケチャップライスは黄色いターメリックライスになり、いまのミラノ風ドリアの体裁に変化した。
ここにあるのはイタリア料理への敬意。洋食然としていたケチャップライスのドリアを、後からイタリアのスタイルに、文化に、少し寄せた。
正統なミラノ風ドリアなんてない。ミラノ風ドリアはいまでも手を加えられていると聞く。ホワイトソースやミートソースの味に対しても、調理工程や提供や皿洗浄への考慮といった効率の側面に至るまで、ブラッシュアップされている。あなたが一年前に食べたミラノ風ドリアと今日のミラノ風ドリアは違うのだ。
サイゼリヤは2021年に、牛肉の煮込みとサフランリゾットのメニューを提供した。オッソブーコとサフランリゾットの組み合わせに近い、ミラノの食文化を踏襲したイタリア料理らしいメニューだ。ある意味でミラノ風ドリアの「願望的ルーツ」とも言えるメニューを同じグランドメニューで並べて展開したというのはとても興味深い。
あの牛スネ、モチーフは明らかにミラノ名物料理オッソブーコで、オッソブーコには付き物のミラノ風リゾットつまりサフラン風味のリゾットがセットになっているというのがバックストーリーなわけです。
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) December 21, 2021
「分かる人に分かってもらえればいい」と多くを語らないのもサイゼリヤの良き芸風ではあるけど、
別業態で復刻されたケチャップライス版ミラノ風ドリア
もう一つの余談。
ケチャップライス版のミラノ風ドリアは、2021年暮れから2022年夏まで復刻されて食べることができた。サイゼリヤの別業態「ミラノ食堂」で提供されていたドリアがそれだ。かつてのサイゼリヤで提供されていた内容に近づけられ、「クラシックドリア」としてメニューに並んだ。残念ながらミラノ食堂は2022年夏をもって閉店してしまった。
話が長くなってしまった。
ミラノ風ドリアを認めるか否か。言いたいことは「ミラノ風ドリアを認めよ」ということである。
何を正統とするかだって難しいのだ。邪道だって意外にない
何を「オリジン」「正統」とするかだって怪しい。例えば日本の寿司だって、戦後の高度経済成長期に江戸前寿司が高級料理のフォーマットに転換したものをいま「これが寿司である」と呼んでいるにすぎない。江戸時代の寿司にはマグロのトロなんてなかったのだ。
イタリア料理でも、例えば「真のナポリピッツァ協会」には厳格な基準が設けられているが、各地方にはさまざまなピッツァが存在する。日本人にはピッツァに見えない形状のピッツァだってある。
なので、自分たちでアレンジしてそれがそれなりに「いい感じ」であれば、それはそれとして成立しているということだ。何を正統とするかだって難しいのだから、邪道だって意外にないと思っている。
文化は真似しよう。自分勝手な解釈をしよう。そして元の文化に敬意を払おう。
一つ加えよう。真似する側も技術がないとうまく自分たちのものにはならないと思うのだ。
この記事は、2022年12月21日に個人ブログ「makitani.com」に公開した記事を移転したものです。
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