「最後」の前に止まり木を 望まない孤独をなくすために

鈴木貴子・元防衛政務官
鈴木貴子氏=内藤絵美撮影
鈴木貴子氏=内藤絵美撮影

 なぜ今、孤独対策を政治がやる必要があるのか。

 今までの政治は孤独という個人的な感情にはあえて入らなかった。社会的孤立や高齢者の孤立のような、客観的にわかることだけに目を向けてきた。

 結果として根本的な解決にならなかった。そしてコロナ禍で問題がより顕在化し、鮮明になってしまった。典型的なのは自殺者の増加だ。

 政府は「孤独・孤立対策」という言い方をしているが、私は「本人がどう感じているか」に焦点をあてた「望まない孤独」への対策が肝だと考えている。

「頼っていい」というメッセージ

 自殺には複合的な理由があると言われており、「このような対策をすれば減る」というようなものではない。

 しかし自殺は孤独の究極の姿だ。孤独を抱えながらさまざまな葛藤があって自死に至るのであれば、その手前で支援や周囲の気づきなどのアクセスポイント、タッチポイントを作る必要がある。相談体制の充実は必要だが、それだけでは十分ではない。

 本人の思いに踏み込んで「孤独であることは悪いことではない、孤独で苦しんでいる時には誰かを頼っていい」というメッセージを行政が出さなければならない。本人を含めて、孤独は悪いこと、もしくは恥だと思ってしまう部分がある。だから相談に行きづらい。このスティグマ(社会的な負のレッテル)対策が今はまだ弱い。

声をあげるハードルを下げる

 本人の中の問題である孤独は外から見てわからない。外から働きかけることが非常に難しい。

 だから苦しくなった時に本人がSOSを出せるように、選択肢を増やし、さらに行動に出る際のハードルをできるだけ下げる必要がある。そしてSOSは、出した時に受けとめてくれる人がいると思えるからこそ出せる。だからこそ、受け止め方をどう作るかが行政の責任になる。

 役所の申請主義を見直すことも大切だ。何の支援を受けるにも申請しなければならず、とにかくわかりにくい。自治体のホームページを見ても、支援策を探すために「○○局」「○○局」「○○局」といくつも見なければならず、多くの人が途中でわからなくなってしまう。

 情報を載せるだけでなく、必要な情報にたどり着ける仕組みを作るだけで相当、救われる人がいる。

 書類一枚から、支援を届けるためのやさしさが欠けている。「載せています」ではなく「届けます」という感覚がない。ここを変えていかなければならない。

「最終・最後」になる前に

 日本にはどうしても行政、福祉サービスに頼るのは「最終、最後」だという感覚がある。…

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元防衛政務官

1986年生まれ。2013年衆院初当選。防衛政務官などを歴任。党副幹事長。比例北海道、当選3回。自民党竹下派。