私は37歳で長女を産み、39歳で次女を産んだ。いずれも生殖補助医療によって授かった。
会社員時代に経験した不妊治療はお金がものすごくかかった。痛みも仕事のスケジュールの調整も、並大抵の日々ではなかった。今回はできたかもしれないと思っても、生理がくるたびにお金も時間も努力もすべて水泡に帰したと思っては落ち込むことを繰り返した。
そして国会議員になってはじめて、この国では生殖補助医療がないことになっているのを知った。明治時代に作られた民法は生殖補助医療によって子どもができることを想定していない。不妊治療とは何か、国の責務、医療関係者の責務、法律で定められたものはなにもなかった。実際には人工授精は1948年から行われていて、現在では年間1万人とも2万人ともいわれる子どもが生殖補助医療によって生まれている。
2003年にタレントの夫妻が米国での代理出産で子どもをもうけたことが明らかになり、07年に最高裁が母親と子どもの法的な母子関係を認めない判決を出した。その際に最高裁は「立法による速やかな対応が強く望まれる」と求めている。
立法府の決断をあらゆるところから求められながら、ずっと凍結されたままだった。それがようやく解凍されたのが、昨年の臨時国会での、生殖補助医療で生まれた子の親子関係を明確にする民法の特例法(生殖補助医療法)の成立だった。
「不自然」なのか
ここまで時間がかかったのは、生殖補助医療の現実を認めず、自分の常識のなかにそのようなものはあってはならないという人たちが、議論の俎上(そじょう)に載せることさえ拒んできたからだ。
私が不妊治療をしたいと言った時に夫は「自然でないから嫌だ」と言った。私がなかば押し切る形で不妊治療をはじめ、夫の心の壁は壊したが、今でも私が不妊治療をして産んだと言うと「そういうこと、言わないほうがいいよ」と言う人がいる。
10組に1組のカップルが不妊治療を受けていると言われている。それは何か恥ずべきことなのだろうか。私は娘にも不妊治療で生まれたということを常々伝えている。
生殖補助医療で生まれた子どもの「出自を知る権利」が課題となっているが、精子や卵子の提供者の情報を管理し、どこまで、いつ、何を知らせることができるかを決めたところで、親が隠してしまって子どもに伝えなければそもそもこの権利はなりたたない。
生殖補助医療で生まれる子が「自然ではない」とか、「かわいそうだ」、あるいは「隠されるものだ」と思われる社会ならば、変えなければならない。私はこの点での当事者でもある。難しいけれども大事なことだ。
多くの課題が残っている
法律が成立しても残る課題が多いことは十分承知している。…
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