昭和だとしても「アウト」! 『宇宙戦艦ヤマト』西崎義展氏の不適切すぎた生涯
『ヤマト』で稼いだ巨額の収益は、すべて散財

若い頃は役者を目指していた西崎プロデューサーは見栄えがよく、『宇宙戦艦ヤマト』の敵役「デスラー総統」に似ていることを自負していました。押しの強い発言で、プレゼンが得意でした。
才能のある人物を見抜く、目利きにも優れていました。人気作曲家の宮川泰氏を招き、『ヤマト』の名曲の数々を生み出させています。富野由悠季監督や安彦良和氏の力量も、早くから認めていました。行動力と、優秀なスタッフのブッキング能力のあるプロデューサーだったことは間違いありません。
SF作家の豊田有恒氏も、西崎プロデューサーのブレーンのひとりでした。異星人の攻撃を受け、絶滅寸前の地球を救うために宇宙船が遠い異星を目指すという『ヤマト』の基本設定は、豊田氏の発案でした。しかし、豊田氏は『ヤマト』の裏番組『猿の軍団』(TBS系)の原作者に名前を連ねていたことから、『ヤマト』では「原案」ではなく「SF設定」という扱いに甘んじています。
第1作以降も豊田氏は西崎プロデューサーから頼まれ、「沖田艦長を甦らせるにはどうすればいいか?」など、さまざまなアイデアを提供しています。ところが、西崎プロデューサーは、いつも約束したギャラの半分しか銀行に振り込みません。ずいぶん経ち、残りのお金が振り込まれたと思えば、西崎プロデューサーから「次はどんな設定にすればいいかな?」と相談の連絡が入ったそうです。せこいというか、巧妙というべきか……。
豊田氏は著書『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』(祥伝社)で、こう語っています。
「おおよその原作者である松本零士さえ、見合った収入を得ていないという。これは驚くべきことだった。西崎は、『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した2百億とも3百億ともいわれる巨額の収入を、女に、ヨットに、バイクに、車に、すっかり蕩尽してしまったことになる」
実写版『ヤマト』の原作料2億円で購入したものは?
時代の寵児(ちょうじ)ともてはやされた西崎プロデューサーでしたが、『ヤマト』以外のヒット作は生まれず、脱税、会社の倒産、覚醒剤使用、銃器の所持……と悪名をとどろかせることになります。刑務所からの出所後、みずから監督した『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(2009年)を公開しますが、再浮上は叶いませんでした。
2010年12月10日、遊泳中の船「YAMATO」から転落し、西崎プロデューサーは75歳の生涯を終えています。「YAMATO」は実写映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)の原作料2億円で購入したものでした。まさに『ヤマト』と運命をともにした人生でした。
西崎プロデューサーを、「山師(やまし)」のようだったと評する声があります。西崎プロデューサーが山師なら、子供だけでなく大人も楽しめる「アニメーション」という大鉱脈を掘り当てたことになります。ヤマトが金塊にばけ、西崎プロデューサーの人生は大きく変わり、傲慢なモンスターになっていったようです。
しかし、西崎プロデューサーがいなければ私たちが知っているような『ヤマト』は誕生せず、日本のアニメシーンもずいぶんと違ったものになっていたでしょう。ひとりの山師が見たつかの間の夢から、日本のアニメの歴史は始まったのかもしれません。
(長野辰次)