てけとーなざっき

雑記225:ポケモン剣プレイ日記


大変お久しぶりでございます。当方、29歳になりましたまだすぼみです。

世知辛い日常の連続の中、ふとポケモンだいすきっこであったことを思い出したので、発売日である11月15日にポケットモンスターソードなるゲームを買って、ようやくでんどういりまで進めました。

でんどういり直後のパーティ↓

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ポケモン NN
 レベル特性
技1技2技3技4
 タチフサグマ♂ ものひろい
58 すてみ ずつき バークアウト
 ブロッキング
つぶらなひとみ
 ギャラドス♂ 500えん58 いかく たきのぼり こおりのキバ
 じならし
 りゅうのまい
 ドリュウズ♂
 もぐらーにゃ59 すなかき
 じしん スマートホーン
 いわなだれ
 つるぎのまい
 オノノクス♂
 おののののす
55 とうそうしん ドラゴンクロー あなをほる 
 がんせきふうじ りゅうのまい
 パルスワン♂ そういちろう66 がんじょうあご かみなりのキバ ほのおのキバ
 じゃれつく
 ほっぺすりすり
 ロズレイド♀
 まだろぜりー59 どくのトゲ
 ギガドレイン ヘドロばくだん やどりぎのタネ
 しびれごな

昔( BW2ストーリープレイ とか)はガラケーでDSの画面撮ってうpしてたのに、今はスクショ撮ることが普通だわ、SNSに載せるのも自由だわで、時代の変遷を感じますね。すてきです。

プレイじかんとずかん↓
ほどほどに散策してると思います。

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以下感想。ネタバレを含むのでシナリオプレイ中の人は注意。

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雑記224:わたしの理想としてたPokémon GOが駅メモという位置情報アプリにあった件+α


 大変お久しぶりでございます。いつの間にか4年強という時間が流れてました。ひっとりと生きてました。

 相も変わらずポケモンポケモンしてる…なんてことはなくて、日常の中に残ったポケモン要素はもはやペンケースのフシギダネヒトカゲゼニガメと、102やら207やら252やらどこかで見たような数字に対して過敏に反応してしまう己自身となりました。月日というものは残酷ですね。

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唯一残ったポケモン要素。かわいい。


 以下本題。

 昔からスタンプラリーが好きでした。
 あらかじめスタンプを辿る道順を下調べやら試行錯誤やらをしたり、いざそれを実行してみると当初全く想定していない出来事に遭遇してあわあわしたり、とうとうそこへたどり着いた後にもスタンプ台を発見するまで覚えるあのもどかしさ。そしてコンプリートした暁にもらえるちっぽけな賞品こそがまたいいのです。後になって、手に入るまでの過程が想起させられるそれは、他人から見たらまるでガラクタなのがいい。幼少期に友だちと交わしたちょっとした秘密や二人だけに通じる隠語みたいなものなのです。

 そんなわたしですが、Pokémon GOの発表の時はぶったまげました。ああ、今度は日本中、はたまた世界中に散りばめられたポケモンという名のスタンプ台を探しに行くのだ。これが心ときめかさないわけがない。wktkが止まらない。

 ところがどっこい、実際にサービスが開始されると、そこは住んでいる場所に関わらず、ほぼ画一的にポケモンが出現する世界。
 ささやかに用意されていたのはカモネギ・ガルーラ・ケンタロス程度。そこではスタンプラリーとは毛色の異なる、地域差を極力なくした平等な世界が想定されていたのだ。コラッタに会うためにカントーへ、ビッパに会うためにシンオウへ向かう必要はなかった。

 冷静に考えてみれば当たり前だ。東北や(Pokémon GO初リリース当時の)四国、はたまたフランスやハワイ以外の国外で出るポケモンは、原作に倣ったようには出現場所を設定しようがない。今やポケモンはコアなファンのみが楽しめればいい範疇を越えてしまった。最大多数が恩恵を享受でき、かつ商業的にも成立し続ける義務が課せられてしまった。グレーゾーンな表現をしてむやみやたらなクレームを許す隙すら見せられない。無難かつ斬新という、一見相反した内容を全世界から求められている。自分が20年以上前に好きだったポケモンのままでいられるはずがない。我々自身、幼少期から数多の人と仲良くなってきたような気になっていたけれども、その中で20年来の仲となった友だちは、一体何人残っただろうか。ふと、どこかのインターネットで見たレスが思い起こされた。

 昔の友人を大切にしなくてはいけないという考えは幻想である。
 子供の時に着ていた服は体が成長するにしたがって合わなくなり着なくなるというか着られない。
 友人もそう。心の成長に従いその時々に合った友人をつくっていく。合わなくなった友人は捨てる。
 ところが困ったことに以前の友人が自分を以前の寸法の服だと思い込み
 そうあってほしいと願っている者がいるということだ。

 人と服とは必ずしもそのまま置換できるものではなく、やや詭弁的な印象も受ける一方で、最近(ここ7,8年くらい)のポケモンへ募り続けていたわだかまりをどこか的確に表現している気もする。きっと自分もポケモンも成長したのだ。いいことなのだ。多分ね。

 そんなこんなでPokémon GOはスタンプラリー好きな自分には合わずに消してしまったのですが、ごく最近そういったスマホアプリを紹介されて始めてみたのです。なんかステマっぽい文章ですね。そう思われるのは本意ではないので、気になったら駅メモでググってください。なんかかわいらしい女の子がいっぱいいる危なそうな検索結果が出てきます。それです。スマートフォンの位置情報を利用して、実在する駅を集めつつ位置取りゲームをする感じです。それがまさに自分の求めていたスタンプラリーゲーでした。

 当方、5年前から北カントーから札幌へ越してきたものの、なかなかの出不精なこともあり、北海道でなんとなく行ってみたいと思うところは数多くありつつも結局近場の小樽くらいしか訪れていませんでした。これはPokémon GOでも同様に言えることですが、位置情報ゲー(こういう名称が一般的なのかはよくわからないけど)は、観光地を訪れるとてもいい契機になり得るのがいいですね。ゲームセンターの出現で一端は外へ出たゲーマーが、ネット回線の登場により家の中に引き戻され、GPS情報の利用により今再び外の世界へ飛び出す。なんかすてきやん。そう言えば、GPSこそ使わないものの、家に引きこもっていてはほぼ楽しめない3DSのすれちがい通信も最強に好きでした。

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懐かしのすれちがいマップ。日本コンプ時のもの。Miiverseさん、いつの間にか死んでまった。


 こんな風に、個人的にはスポット依存性の位置情報ゲームを褒め称えていますが、それだとオーキド博士念願のこの せかいの すべての ポケモンを きろくした かんぺきな ずかんを つくることが成就するには途方もない金と時間がかかったり、調べてみると実際にそういうゲームシステムらしい「妖怪ウォッチGO」もとい「妖怪ウォッチ ワールド」が完全に冷え切っている現状もあったりで、たぶん自分がゲテモノ好きなんだと思います。

雑記223


例によって、本日のポケモンライブラリーもとい、ポケテレアニメーション。

ポケモンマスターを目指すサトシ。そして、サトシと共に旅を続けるカスミとタケシ。3人は、通りがかった美しい森でひと休みしていた。のんびり良い気分で過ごしていると、草むらの影からこちらを見つめる何かに気がついたピカチュウ。何とその見つめる目は、野生のピカチュウのものであった。それに気付くとピカ チュウは、森の奥へ逃げ出す野生のピカチュウを追って、どんどん走り始めた。サトシが呼び止めるのも聞かず、ピカチュウは夢中で森の中へ……。ピカチュウは野生のピカチュウたちの群れに加わり、最初はオドオドしながらも徐々に打ち解けて、仲間たちととても楽しそうにしている。その中へ入っていこうとするサ トシであったが……。
(ポケモンスマッシュ公式HPより引用)

時期はセキチク~グレンの間、フィーチャーポケモンはピカチュウ。

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一度記事にした回については重複を避けるべく再び記事としては言及しないという裏ルールに則り、リンク先の昔の自分に任せよう。


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なつだね!

雑記222


例によって、本日のポケモンライブラリーもとい、ポケテレアニメーション。

  • 『ミニリュウのでんせつ』(無印)

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ゲストはカイザー。

以下続きにてー。

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雑記221


今日のポケモンゲットTVはポケテレアニメーションがカットされるというゆゆしき事態だったので、苫小牧にあるジャスコへ向かい、「メガトンキック」ピカチュウ*をもらってきました↓
*:http://www.pokemon.co.jp/info/2014/06/140601_e01.html

P1020136

ワールドカップ・・・?うっ・・・頭が・・・っ!

以下、ちょっとだけ苫小牧港探検記。

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雑記220


例によって、本日のポケモンライブラリーもとい、ポケテレアニメーション。

サトシ一行が通りがかったのは、ポケモン放牧民であるララミー族が住む大草原であった。そこで年に一度、ポケモンの成長の成果を競うポケモンレースが行われることを、ララミー族の少女・フウコから聞かされる。
しかし、レースの優勝候補であるフウコの身に、ロケット団の魔の手が……。負傷したフウコはレースをいったん諦めようとするが、その熱い思いをサトシに託す。
さて、サトシ、タケシ、カスミ、そしてロケット団まで参加となったレースの結果は、いかに……!?

(ポケモンスマッシュ公式HPより引用)

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一度記事にした回については重複を避けるべく再び記事としては言及しないという裏ルールに則り、リンク先の昔の自分に任せよう。がんばれ、昔の自分!

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Twitter考察にき・その2

おとこもすなるTwitterといふものを、まだすぼみもしてみむとてするなりと始めてみたTwitterですが、やはり多くのtweetがリア充ないしはネト充らのお戯れ事で溢れかえっている印象で、ああやっぱりな・・・という感じです。

例えるならば、実写版ドラゴンボールのように、糞映画糞映画と騒がれているにも関わらず、こわいもの見たさで観に行きわざわざ糞を踏みに行って糞さを実感するみたいな感じ。Twitterについて書くと「糞」って単語を使う頻度が跳ね上がるから困りますね。『こ●えついったー(ウソ)』はこどもたちにやさしいブログをめざしているので、今後は「おウンチ」って表そう(ゝω・)v


そのような中で、リア充ネト充からかけ離れた、かつ社会への絶望感に満ち溢れた、現在のこづえとあいしょうばつぐん♡なtweet集団を見つけました。それは、「浪人生」たちと思われる人たちのTwitterアカウントです。

Twitterは、一般のウェブログより書き込みが容易であり、切り替えやメリハリという面でも浪人生との親和性が高いと推察され、そのためか母集団となる数が多く、十分の考察に足り得ると考えています。確かにブログでなんか書こうと思うと、それなりの文字数なり内容なりを無意識のうちに見込んでしまいますね。それでいて、それまで所属していた集団とは悩みを共有しにくく孤立しがちな浪人生を、Twitterはうまいこと囲いこんで比較的居心地のよさそうなコミュニティを提供しているようです。ふむふむ。

そういうわけで、浪人生のTwitterをフォローはせずにしばらくネヲチしてみましたが、彼らの闇は深い。若くして高校生でも大学生でも、社会人でもない存在になるというのが、どの程度精神を蝕むのかは自分にはよくわからないけど、数々のtweetから察するには、多くの場合で理想と現実の乖離や焦燥感や劣等感に満ち溢れるということが見受けられます。

それでいて、若さゆえの思想や発言の危うさ、穿った先入観などが生々しい形で観察できるのがまたすばらしい。
歳を取り、多くの場合で社会に矯正されたり、強制されずとも察しなければ生きていけないがために失われた、今となっては青臭いとしか見なせないあの考えを今再び垣間見ることができる。言うなれば、まさに黒歴史にならんとしかねない他人のメモ帳の連載を覗き見し続けているような高揚感である。しかもそれでいて、彼らはそれを正当化せんと、今日も必死に努力を続けるのです。もうかわいいとしか言いようがない!(๑˃̵ᴗ˂̵)و


一方できっと、どこか彼らが羨ましいのだ。社会や一般感覚とは、子供ひとりが足掻いても変えられないものだと見切りをつけ、ただただ毎日を淡々と生きて、ぽけもんポケモン!してれば満足していた18~9の自分は、既にあの時から社畜化していた。

荒削りながらも自分の思考を積み上げ、けものみちをつくってきた彼らが迎えるであろう大学生活と、入学当初から多くの講義を死んだ魚のような目で受け続けた自分の大学生活の差分を慮ると驚嘆せざるを得ない。たとえ、学歴というよくわからない数直線上で優位に立ったとしても。

闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう 

浪人生の子たちには、ぜひこれからももがき続け、Twitterで苦悩をつぶやき続けてほしいものです。
『こ●えついったー(ウソ)』は、浪人生を応援しています!

雑記219


例によって、本日のポケモンライブラリーもとい、ポケテレアニメーション。

  • 『セキチクにんじゃたいけつ!』(無印)
ゲストはキョウ、アヤ。

i_kyou_anime 、 i_aya


以下続きにてー。

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雑記218


おとこもすなるTwitterといふものを、まだすぼみもしてみむとてするなり。

というわけで、このところ少しばかりTwitterというものに触れてみました。
i_subomii
まだすぼみ @madasubomi


ただただ闇雲に糞サイト認定するのではなく、実際に自ら糞を踏んでからああやっぱり糞だったなと認定しようと思えるところまではオトナになったみたいです。


さて、いざTwitterを使ってみると、なるほど。とても気軽に思ったことをカキカキすることができる。

それも、「つぶやく」というあくまでも自己完結した行為であるという体を保ちながらも、その一方で、どっかで他人からのリアクションを心待ちにすることもできるというなんとも都合の良い仕組みを有している。すなわち、メールのような一対一を積極的に強いるような堅苦しさがなく、人と人との間に適度な距離感を自然と保つことができる。アメリカ発祥でありながらも、極めて日本人向けなWebサービスとなっていることは認めよう。

このような気兼ねのない「つぶやき」の体もあってか、わたし自身も心に移りゆくよしなしごとをつれづれなるままに書き綴りアウトプットするといった回数が少なからず増えましたが、もしかしたらこれは非常に有益なことなのではないでしょうか。やっぱり、2リットルにも満たない容積なノーミソの中だけでぐるぐる思考を回してるだけじゃ、なかなかうまいこといかないよね。

例えば小学生の頃、授業中の手持ち無沙汰な時間にふと鉛筆で好きな子の名前とかをノートの端っこに書いたりとかするじゃないですか。あの瞬間のようなものですよ。自分が手を動かして愛しのあの子の名前を書いたという現実を目の前にして、少年少女はもわーんとした曖昧なノーミソの部屋から飛び出してようやく事の重大さに気付くのです。「あっ、恋しちゃってるんだ・・・!(˃̵ᴗ˂̵)و 」って!!! オッサンノリノリだな。

Twitterでつぶやくというのは、これに近いことをしてると思います。好きとか嫌いとかそういうテーマに留まらず、自分の中で言語化されていないもわもわした感覚を、積極的に言語化し表現する。それによって、自らが思いもよらないことを考えていたんだなと新たな発見をすることができる・・かもしれない。
また、そうして発せられた言葉が他人に見られ(得)るという状況そのものが、言葉の現実感をより増していくと共に、もしかしたらその言葉をキャッチして投げ返してくれることがあるかもしれないという未来への伸張性を創り出す。これはノートの端っこにこそこそと好きな子の名前を書いているだけではなかなか得られない感覚でしょう。

以上のことを踏まえると、Twitterを実際にやってみるまではWeb資源の無駄としか思えなかった、「疲れた」、「眠い」のようなたった一言のtweet()さえ、わだかまる胸中をちょうど言語化してる最中だという、個々人で見れば極めて意義深い行為であったのだと推察されます。Twitterすごい。でも糞な部分も多々ある。けど今回はいい点だけ書くことにする。もう疲れたもん!


そして、これから現れるであろうTwitterに慣れ親しんで育ったチビッコたちは、非常に表現力豊かなものになるのではないかと思う一方で、蛇口が常に開きっぱなしの水道のように、思ったことをただただ口に出さずにはいられないようなものになるのではないかとも考えられ、非常に興味深い観察テーマであるなという所感でございます。

どちらにせよ、「140文字程度で説明せよ」みたいな試験問題の回答欄を埋めるのはうまくなるんだろな(あくまでも埋めるだけ)

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