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2012年 08月 27日
私は、本当の意味で『立派な人』は、ゼニ・カネなどの現世的な欲から一歩引いている人だと思います。
仮に、突然生活のカテが半分に減るような境遇になっても「どうしようかな」と一時は困惑しても、結局「今、できること」を見つけて、それまでよりは苦労はしても、いつまでも過去に縛られないような生き方をしているように見えます。 ずいぶん昔の話ですが、一家心中という悲惨な話がありました。 この一家は、夫が会社の社長で、かなり裕福な家庭だったそうです。その会社が倒産してしまい、生活水準がガクッと下がったことに悲観して、一家全員が心中したのだということです。 その「ガクッと下がった収入」というのが、年収600万だったとか・・・ つまり、何千万とかの収入の人にとっては、当時でさえ平均以上の収入があっても耐えられなかったのでしょう。この話を聞いた多くの人が「死ぬほどまででは・・」と感じるのは当然でしょう。 この例から分かるのは、「平凡な人」にとって、収入が何百万とか何千万とかの絶対的な数字ではなく、それまでのレベルからのどのくらい低下するかという相対的な印象で、耐えられないほどミジメな気持ちを持つパターンもあるということでしょう。 多くの著名な成功者は、間違いなく『逆境』を経験しているのは、よく知られていることです。それを乗り越えて結果的に現在の地位になったという話はよく耳にしていると思います。上記の社長さんなどは、むしろ偶然、早いうちから時代の波に乗って成功し過ぎたために、逆境に耐えられなかったということでしょう。 先日、若い人が「どうせ、自分たちの頃には年金はもらえないんだから」と、フツーに口にしていました(笑) 正直、いろんなところで耳にする話です。 この風潮、霞ヶ関の住人は「シメシメ」と思っているでしょう。 NTTが、つい最近まで「電話加入権」として、強制的に7万円とか8万円を徴収していたお金。いつの間にか(2005年)施設設置負担金で37,800円みたいな話になっていて、裁判にまでなっています。(2011年に、NTTが廃止でチャラにしようとしているようです。) 電話をつけるときには「売買できる」とか言って、強制的に取っていながら、携帯電話しか持たない世帯など、時代の流れとしては「解約」→「お金を返せ」となりそうになったら、(己が損をしそうになったら)今度は強圧的に開き直って「そんなの払えない」と言う。 我が国では典型的な、お上の所業とでも言えるでしょう。 要するに、年金に関しても、例えば制度が破綻するのが時間の問題だとなったら、マスコミなどを通じて「いずれ破綻する」と吹聴する。そして「社会保険庁」などを悪役にして改革の名のもとに「機構変更」をする。←名前が変わった時点で、責任の所在はウヤムヤになるので、それこそ無駄遣いしたヤツラの「使い得」で勝ち逃げさせてしまったということです。 ところで、小泉政権の頃の年金の「100年安心プラン」って、マスコミも何ひとつ批判しないけど、どうなっているのでしょうね、この国は??? 私は、自民党から民主党に『政権交代』をして3年経過して、正直、自民党時代と同じ路線になっていく(本当の改革者を、司法・マスコミが執拗に攻撃して)この現象とともに、残った『雑魚』どもが、既得権の力にビビったのか、言いなりになっている姿を見て、やはり大手マスコミが政治家を揶揄する割に役人に媚を売っているパターンなのは間違いないと思いました。 で、本来なら制度が破綻するのなら、徴収もやめて集めたお金を戻して当然のところを、国民が「どうせ貰えない」と思ってくれれば、電話加入権じゃないけど強制的に取っていながら、開き直って「返してやらない」となっても、国民の反発も少なくてすむという風に(霞ヶ関住人は)考えているんだなぁという気がしています。 最近、制度の手直しの一環で「週20時間以上で、厚生年金強制加入」と言われていますが、この言い草が「より、多くの人が加入“できる”ようになります。」って、アンタ・・マスコミは「破綻寸前」だと吹聴しているのに「加入させてやる」的な言い方は、完全に上から目線でお役人という人たちのお里が知れるというか、人としての魅力という意味ではダメダメ人間だという風に感じます。 オフィシャルの税収が30兆とか40兆とか言いながら、公務員の人件費が35兆円などと批判されています(より正確には27兆円だそうですが)などと、役所の発表そのものが「何かを隠している」から収入の半分も給料などと叩かれることになるのでしょう。 私たち国民は、まず、最初に「正直に数字を出せ」と求める必要があります。 原発事故の騒動を見れば、いかに、霞ヶ関の住人が平気で嘘を発表する。もしくは議事録を作ってなかったなどと、自己弁護のためには、極力、都合の悪いことを隠そうとするのかは明らかですし、原発対応でそれが裏付けられました。 つまり、本来なら最も社会に対して「正直」でなければならない人間たちが、自分たちの『我欲』を優先し、国民が放射能にまみれても良いというスタンスなのです。 こんな人たち・・・全とっかえが最も良いのではないかと思います。 私は、従来から「めぐまれる程、人間は堕落する」ということで、社会への奉仕する感覚は、物欲的な物差しでは「貧しいほど、人のためになれる」と考えています。 過去、我が国で高度成長時代より以前、我が国で戦後の復興を担ってきた公務員の方の経験談として、当時の先輩から >我々のような給料じゃ、人並みに食っていくのは無理だぞ。 と言われたそうです。 でも、「世のため、人のため」に働いているというプライドが、当時の公務員が“それでも”充実した日々を送れたという大きな動機づけになっていたのは間違いありません。 今、国の借金が1000兆で国が破産するとか大手メディアが吹聴していますが、もしも、公務員が本気で国の行く末を心配している人たちであれば、彼らの給料の3割くらい減らすのは、わざわざ決められなくても、自ら進んで「そうしましょうよ」と下から突き上げるくらいあっても良いのではないでしょうか? (まぁ、そんな話は一切、耳にしないし、そういう公務員の話も誰も知らない。) 東日本震災でも、お役人系の人たちが寄付をしたという話を聞いた人は、ほとんどいないのではないでしょうか? 少々脱線しますが、この話題で、 「東日本大地震で被災した日本へ届けられたモンゴル国からの支援の一部をご紹介します」 ttp://mongol.iinaa.net/temp.html ーーーーー モンゴル国家公務員全員が給与1日分を義援金として日本へ寄付しました モンゴル国では3月11日の東日本大震災で被災した日本への支援として、モンゴル国の国家公務員全員が、自らの月給の中から1日分の給与を寄付することを決定しました。 モンゴル政府より寄付された義援金100万ドルは、外国の災害に対する義捐金として過去最高額となりました。そのほか、友好親善団体、特に帰国留学生会やJICA研修員OB/OGなどが積極的に日本支援を呼びかけ、日本からの政府開発援助を受けた機関の職員からも月給の1日から5日分の寄付をいただきました。 ーーーーー 要するに、モンゴルなどのほうが「困ったときは、お互いさま」という感覚があるということでしょう。私たちは、額ではなくその『気持ち』を大切にしていくのは当然ですが、素直に感謝をしていかなければならないと思います。 そういえば、友人のエピソードにも似たようなケースがあったので、ご紹介します。 その友人が、会社がつぶれてとりあえず失業保険もすぐに出るケースなので、なんとか生活は続けられるにしても、ローンなどもあり、かなり大変な時期があったそうです。その時、身内にはできるだけ話さないようにしていたのですが、上の兄弟は民間で、次が夫婦で公務員なので、家も高い都内に一軒家を(最近)建て、車もト×タの高級車(が、2−3年ごとに新車になり、一番最近では、本人の車は変わらなかったけど、奥さんのほうの車が高級HV車になっていて驚いたそうです。)という感じだそうです。 まぁ、話ている本人が違和感を感じるほどなので、聞いていた私たちも、その一つひとつが鮮明に記憶に残るような話です。 で、その友人が、とりあえず落ち着いた3ヶ月後くらいに、公務員夫婦にあったとき、そういう話をして「本当、大変だったねぇ」と親身に聞いていた・・・と、感じたそうです。 それから少しして、その友人に(公務員ではない)上の兄弟と、本人の親から「役立ててくれ」と送られてきて、「なんとか、大丈夫だから」と言ったけど「大変だと聞いてしまったからには」と、出世払いのような形で助けてもらったそうです。 (友人の名誉で言えば、少し時間はかかったけど、その時の分は返したということで、私などは身内なんだから、甘えればと思いました。) どうやら、公務員の兄弟が「その話」を、他の身内にして「大変そうみたい」のような話をして、それを聞いた他の身内(民間の)親や兄弟は、何も言わずに「何かの足しに」と、パッと助けてくれたということです。 ただ、その本人は「良くしてくれたことには感謝するけど、そうしなかったうんぬんとかは言わない」という考えだそうで、助けた・助けなかったのように比較したりというのは、それは違うと言っていました。 友人的にはそうですが、どうやら人間というものは「持つほどに、出し渋る」傾向があるような感覚が(今の日本では)強いような気がします。 要するに、お役人の待遇をいくら良くしても、それは「社会の公器」という意識よりを培うような文化では無くなってしまっているということでしょう。 昔から、庶民のほうが「お互い様」の助け合い精神が強いというのは、今も続いていると思います。むしろ、公務員の待遇の良さが、にわか成金的に搾り取るだけ搾り取って、自分たちだけが快適であればいいという『エゴ』を強めているだけなのではないでしょうか。 個々の「税金の無駄遣い」の事例を、いちいち反論させたり、不要と判断されても結局ゾンビのように復活させるような役所と交渉するよりも、もう少し単純に「各省庁の予算、昨年より一律3割減らす」というのが、本当の『決められる政治』なのでしょう。 いずれにしても、友人の具体例で明らかなように、いわゆる「公務員」が、私たち「民間人」に比べて(この所得減少の時代でも)車を買い替えたり、新築の一軒家をたて続けにやれるほど恵まれているというのは、どこかおかしいのは間違いありません。 要するに、一家心中した元社長家族じゃないけど、あまりに甘やかされすぎているのを、いつの間にか『権利』だと思い込んでいるのでしょう。 「国民の生活が第一」 別に、小沢さんが言う・言わないに関係なく、そもそも国というのが「国民」が基本だと思えば、普通の常識ではないでしょうか。 「生活保護受給者206万人、貧困率16%、生活保護を受けられない率70%、不正受給はわずか0.3%」 ttp://cafesta.jugem.jp/?eid=1997 厚労省が「貧困層」と認めているにも関わらず、その大部分が、生活保護(最低限度の生活をする権利)を受けられない一方、その支給する側は「成金生活」をしていれば、そりゃ不満を持って当然でしょう。 商売で成功した人が、人より良い生活をしているのは誰も文句は言いません、問題なのは、お昼になると同時に「もう終わり、あとでまた来なさい」というような感覚でしか仕事をしていないような人たちが、そこまで「優遇」されるべきなのかどうかというのが問題なのです。 私は、人間も動物の一種である以上、楽して暮らすほど「不良品」になっていくという考えです。 むしろ、社会のために働く人は「ギリギリ」のほうが、人の痛みを理解できるようになり、社会の問題も「同じ目線」で見ることができるような気がします。 そして、むしろ「民間より悪い待遇」というのは、江戸時代の武士じゃないけど、むしろ自分の仕事にも誇りを持てるようになるという考えです。 まぁ、収入が下がる人にとっては、キツい話ですが、こういう時代「痛みを分け合う」のに、役人だけは別というわけには行かないでしょう。 今より収入が減ったら生きていけないという人(役人)なら、辞めればいいだけです。 少なくとも、あれだけギャーギャー騒ぐ大手マスコミが「国家公務員の総人件費二割削減」を、お茶を濁す程度にしか対処出来ない民主党を、マニフェスト違反とか批判しないところを見ても、彼らが「増税賛成、公務員給与削減反対」というスタンスだけはハッキリしました。
by mojo_on
| 2012-08-27 22:14
| 雑談
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