「水」を含む故事・ことわざ・慣用句
「水」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)
手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。
汗水垂らす(あせみずたらす)
苦労をいとわず、一生懸命に働くさま。 水のように汗が垂れるほど働くことから。
汗水流す(あせみずながす)
一生懸命に働くさま。 水のように汗が流れるほど働くことから。
汗水を流す(あせみずをながす)
一生懸命に働くさま。 水のように汗が流れるほど働くことから。
頭から水を浴びたよう(あたまからみずをあびたよう)
突然起こった恐ろしい出来事に、驚き恐れてぞっとすることのたとえ。
頭から水を掛けられたよう(あたまからみずをかけられたよう)
突然起こった恐ろしい出来事に、驚き恐れてぞっとすることのたとえ。
魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)
相手が好意を示せば、こちらもまた好意を持つ。 先方の出方次第で、こちらの態度が決まるということ。 もとは「魚、心あれば、水、心あり」で魚と心、水と心が一語化したものといわれる。 魚が水に好意を示せば、水もその魚に好意を持つであろうという意味から。 「水心あれば魚心」「網心あれば魚心」ともいう。
魚と水(うおとみず)
切っても切れない非常に親しい関係のたとえ。
魚の水に離れたよう(うおのみずにはなれたよう)
水から出た魚のように、頼りを失ってどうすることもできないことのたとえ。
魚の水を得たよう(うおのみずをえたよう)
自分の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
魚の目に水見えず(うおのめにみずみえず)
自分の身近なものの価値には気がつきにくいことのたとえ。
鵜の真似をする烏水に溺れる(うのまねをするからすみずにおぼれる)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。 「鵜」は、水鳥の名。 水に潜って巧みに魚を捕る鵜の真似をして、烏が水に潜っても溺れるばかりであるとの意から。 「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」「烏が鵜の真似」ともいう。
鵜の真似をする烏水を呑む(うのまねをするからすみずをのむ)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。 「鵜」は、水鳥の名。 水に潜って巧みに魚を捕る鵜の真似をして、烏が水に潜っても溺れるばかりであるとの意から。 「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」「烏が鵜の真似」ともいう。
馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない(うまをみずべにつれていけてもみずをのませることはできない)
その気のない人間は、周囲がいくら心配したり気をもんだりしても無駄であるというたとえ。
潁水に耳を洗う(えいすいにみみをあらう)
世俗的な立身出世を避け、高潔な心でいることのたとえ。 中国古代、尭(ぎょう)から帝位を譲りたいといわれた隠士の許由(きょゆう)が、汚れた話を聞いたといって耳を洗い清めたという故事から。 「流れに耳を洗う」「潁水に耳を洗う」「耳を滌ぐ」ともいう。
遠水、近火を救わず(えんすい、きんかをすくわず)
遠くにあるものは、緊急時には役に立たないということ。 遠くにある水は、近くの火事を消すのには役に立たないとの意から。
大水に飲み水なし(おおみずにのみみずなし)
大勢の人がいても、本当に役に立つ人は少ないということ。 洪水の水はたくさんあっても、飲み水としては使えないとの意から。 「火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし」ともいう。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねばみな同じであるということ。 雨・霰(あられ)・雪・氷など形はさまざまでも、地上に落ちてしまえば同じ谷川を流れる水になるとの意から。 「雨霰雪や氷と隔(へだ)つらん落つれば同じ谷川の水」との和歌より。
落つれば同じ谷川の水(おつればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねばみな同じであるということ。 雨・霰(あられ)・雪・氷など形はさまざまでも、地上に落ちてしまえば同じ谷川を流れる水になるとの意から。 「雨霰雪や氷と隔(へだ)つらん落つれば同じ谷川の水」との和歌より。
蛙の面に水(かえるのつらにみず)
どんなことをされても気にせず平気でいることのたとえ。蛙は顔に水をかけられても平気でいることから。
陽炎稲妻水の月(かげろういなずまみずのつき)
捕らえがたいもの、実体のないもののたとえ。 「陽炎稲妻月の影」ともいう。
籠で水を汲む(かごでみずをくむ)
苦労しても効果のないことのたとえ。籠で水を汲んでも、編み目から水が漏れて溜まらないことから。
火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし(かじばにたばこのひなくおおみずにのみみずなし)
大勢の人がいても、本当に役に立つ人は少ないということ。 洪水の水はたくさんあっても、飲み水としては使えないとの意から。 「火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし」ともいう。
筐の水(かたみのみず)
ものごとの当てにならないこと。また、ものごとが頼りにならないこと。 「筐(かたみ)」は、竹で細かく編まれた籠。 筐で水を汲んでもすぐに漏れてしまうことから。
渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず)
どんなに困っていても、断じて不正には手を出さないというたとえ。「盗泉」は、中国山東省にある泉の名。孔子はのどが渇いていても、その名を嫌って泉の水を飲まなかったという故事から。
河童に水練(かっぱにすいれん)
ある分野に精通している人に対して、その分野のことを教えようとする愚かさのたとえ。 「水練」は、泳ぎの練習のこと。 泳ぎが得意である河童に泳ぎを教えることは見当違いであるとの意から。
鴨の水搔き(かものみずかき)
気楽そうに見えても、人知れぬ苦労があることのたとえ。のんびりと浮かんでいるように見える鴨も、水の中では絶えず足で水を掻いていることから。
烏の行水(からすのぎょうずい)
入浴時間が、きわめて短いことのたとえ。烏が短い時間で水浴びをする様子から。
川に水運ぶ(かわにみずはこぶ)
むだなことのたとえ。
餓鬼の目に水見えず(がきのめにみずみえず)
熱心になりすぎて捜し求めるものが身近にあっても気がつかないたとえ。「餓鬼」は餓鬼道におち飢えと渇きに苦しんでいる亡者。餓鬼は喉の渇きに苦しむあまり、近くにある水に気がつかない意から。
曲水の宴(きょくすいのえん)
平安時代、陰暦の三月三日の節句に宮中で行われた行事の一つ。庭園の曲水に臨んで座し、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、その杯を取って酒を飲むという遊び。「ごくすいのえん」とも読む。
清水の舞台から飛び降りる(きよみずのぶたいからとびおりる)
思い切った大きな決断し、覚悟を決めて物事を行うことのたとえ。 「清水の舞台」は、京都の清水寺にある、山の斜面にせり出すように造られた観音堂の舞台のこと。 その舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行することから。
清水の舞台から飛び下りる(きよみずのぶたいからとびおりる)
思い切った大きな決断し、覚悟を決めて物事を行うことのたとえ。 「清水の舞台」は、京都の清水寺にある、山の斜面にせり出すように造られた観音堂の舞台のこと。 その舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行することから。
窪い所に水溜まる(くぼいところにみずたまる)
土地の窪みに水が溜まるように、人や物も集まるべきところに、自然に寄り集まってくるということ。
水母の風向かい(くらげのかぜむかい)
いくらあがいても無駄なことのたとえ。水母が風上に向かっても進めないことから。
水母の行列(くらげのぎょうれつ)
水母が勝手きままに泳いでいるように、きちんと並んでいないことのたとえ。
君子の交わりは淡きこと水のごとし(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)
君子の人との交際は、水のようにさっぱりしているが、友情は永く変わることがないということ。
螻蛄の水渡り(けらのみずわたり)
初めは熱心で、途中でやめてしまうことのたとえ。また、努力しても成し遂げられないことのたとえ。土の中にいる螻蛄は水中に入ると泳ぎだすが、大きな川などは泳ぎきることができないことから。
倹約と吝嗇は水仙と葱(けんやくとけちはすいせんとねぎ)
倹約とけちは、水仙と葱のように見た目は似ているが、実はまったく違うということ。
氷に鏤め、水に描く(こおりにちりばめみずにえがく)
努力や苦労が報われず、徒労に終わることのたとえ。 「鏤む」は彫刻すること。 脂に絵を描いても、氷に彫刻しても、残らず消えてしまうということから。 「氷に鏤め、脂に画く」「氷に鏤め、水に描く」ともいう。
氷は水より出でて水よりも寒し(こおりはみずよりいでてみずよりもさむし)
弟子が師よりも優れたものになることのたとえ。 水からできた氷が、水よりも冷たくなるとの意から。
猿の水練、魚の木登り(さるのすいれん、うおのきのぼり)
見当違いのことをするたとえ。
塩辛を食おうとて水を飲む(しおからをくおうとてみずをのむ)
手回しがよすぎるとかえって間が抜けていたりすることのたとえ。または、物事の順序が前後することのたとえ。 塩辛を食べると喉が渇くであろうと考えて、前もって水を飲んでおくとの意から。
死に水を取る(しにみずをとる)
死ぬまで世話をすること。死ぬ間際の人の唇を水で濡らすということから。
菽水の歓(しゅくすいのかん)
薪水の労(しんすいのろう)
炊事などの労働。転じて、人のために骨身を惜しまず働くこと。薪を採り水を汲む苦労の意から。
上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる)
どんな名人でも時には失敗するというたとえ。
水火の争い(すいかのあらそい)
水と火のように正反対の性質を持っていたり相容れない立場にあったりして、仲の悪い者同士の争いをたとえた言葉。
水火も辞せず(すいかもじせず)
水に溺れ火に焼かれるような苦しみや危険があろうと、恐れずに事をやり抜くたとえ。
水火を踏む(すいかをふむ)
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
好いた水仙好かれた柳(すいたすいせんすかれたやなぎ)
お互いに好き合った男女を水仙と柳になぞらえたもの。
水中に火を求む(すいちゅうにひをもとむ)
いくら求めても得ることができないこと。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
水泡に帰す(すいほうにきす)
水の泡がはかなく消えるように、努力したことがまったく無駄に終わることのたとえ。
水泡に帰する(すいほうにきする)
水の泡がはかなく消えるように、努力したことがまったく無駄に終わることのたとえ。
角水を突く(すみずをつく)
細かく調べること。 または、些細なことを取り上げて責め立てること。 「角水」は大工道具の一つで、水平の度合いを測る道具。 角水を用いて正確に測るとの意から。
清水に魚棲まず(せいすいにうおすまず)
あまりにも心が清らかで欲のない人は、かえって人に親しまれないということ。水が清らかすぎると、魚も隠れる所がないので棲みつかない意から。
千日の旱魃に一日の洪水(せんにちのかんばつにいちにちのこうずい)
千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。
畳水練(たたみすいれん)
理屈や方法を知っているだけで、実際には役に立たないことのたとえ。 「水練」は、水泳の練習。 畳の上で水泳の練習をしても、泳げるようにならないことから。 「畳水練」「畑水練」ともいう。
畳の上の水練(たたみのうえのすいれん)
理屈や方法を知っているだけで、実際には役に立たないことのたとえ。 「水練」は、水泳の練習。 畳の上で水泳の練習をしても、泳げるようにならないことから。 「畳水練」「畑水練」ともいう。
立て板に水(たていたにみず)
立てかけた板に水を流すように、すらすらとよどみなく話すことのたとえ。
たとえ火の中水の中(たとえひのなかみずのなか)
どんなに大変な目に遭ってもかまわないということ。
民の口を防ぐは水を防ぐよりも甚だし(たみのくちをふせぐはみずをふせぐよりもはなはだし)
人々の言論の自由を封じることは、川の水をせき止めることよりも困難で危険であるということ。人民の言論の自由を奪うことの危険性をいった言葉。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ(ちしゃはみずをたのしみ、じんしゃはやまをたのしむ)
ものの道理をわきまえた人は、判断に迷いがないからよどみなく流れる川を愛し楽しむ。また、仁徳を備えた人は、静かな心で何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
血は水よりも濃い(ちはみずよりもこい)
血縁のある間柄は、他人よりも繋がりが強いことのたとえ。
血は水よりも濃し(ちはみずよりもこし)
血縁のある間柄は、他人よりも繋がりが強いことのたとえ。
手水を使う(ちょうずをつかう)
土人形の水遊び(つちにんぎょうのみずあそび)
無謀なことをして自ら身を滅ぼすことのたとえ。 土で作られた仏が水遊びをすると溶けてしまうことから。 「土人形の水遊び」「雪仏の水遊び(日向遊び)」ともいう。
土仏の水遊び(つちぼとけのみずあそび)
無謀なことをして自ら身を滅ぼすことのたとえ。 土で作られた仏が水遊びをすると溶けてしまうことから。 「土人形の水遊び」「雪仏の水遊び(日向遊び)」ともいう。
鉄桶水を漏らさず(てっとうみずをもらさず)
その場の防衛や人の団結などがしっかりとしていて、付け入る隙が少しもないこと。 鉄の桶からは少しの水も漏れないということから。
年寄りの冷や水(としよりのひやみず)
年寄りが年齢や体力を考えずに、無理な行いをすること。年寄りが無理をして、体によくない冷たい水を飲んだり浴びたりすることから。
流れる水は腐らず(ながれるみずはくさらず)
常に動いているものは、停滞することがないということ。
寝耳に水(ねみみにみず)
不意の出来事に驚くことのたとえ。 寝ている時に不意に耳に水が入り驚く、また寝ている時に水の音を耳にして驚くことから。
背水の陣(はいすいのじん)
失敗すれば後が無いという立場、また決死の覚悟で事に当たることのたとえ。 中国、漢の名将が趙の軍隊と戦った時、わざと川を背に陣を敷き、味方に決死の覚悟で戦わせて敵を破ったという故事から。
畑水練(はたけすいれん)
理屈や方法を知っているだけで、実際には役に立たないことのたとえ。 「水練」は、水泳の練習。 畳の上で水泳の練習をしても、泳げるようにならないことから。 「畳水練」「畑水練」ともいう。
低き所に水溜まる(ひくきところにみずたまる)
水が低い所に溜まるように、利益のある所に自然と人が集まるということ。
冷や水を浴びせる(ひやみずをあびせる)
意気込んでいる人に元気を無くすような言動をすること。
火を避けて水に陥る(ひをさけてみずにおちいる)
一つの災難を避けて、すぐまた別の災難に遭うことのたとえ。 火に焼かれることを避けられたと思ったら、水に落ちて溺れることから。
覆水、盆に返らず(ふくすい、ぼんにかえらず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。 中国の太公望が出世して斉に封ぜられた時、離縁した妻が復縁を求めてやってきた。太公望は盆の水をひっくり返し「こぼれた水を元に戻せたら希望通りにしよう」と言って復縁を断ったという故事から。
古川に水絶えず(ふるかわにみずたえず)
栄えた旧家は、衰退してしまってもたやすく潰れることはないというたとえ。また、基礎のしっかりしたものは簡単には壊れないというたとえ。 水が枯れてしまったように見える古い川でも、川底では細々と流れが続いているとの意から。
水到りて渠成る(みずいたりてきょなる)
学問を究めれば自然に徳が備わってくるということ。また、時期が来ればものごとは自然に成就するということ。 「渠」は溝のことで、水が流れれば自然に溝ができるとの意から。
水が合わない(みずがあわない)
その土地の環境や風土にうまく馴染めない様子。 また、所属している組織の体質に馴染めない様子。
水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず)
あまりにも心が清らかで真面目な人は、逆に人から敬遠されて孤立してしまうというたとえ。水が清らかすぎると、餌もなく隠れる所もないので魚が棲みつかない意から。
水際立つ(みずぎわだつ)
他と比較して、ひときわ目立つさま。
水心あれば魚心(みずごころあればうおごころ)
相手が好意を示せば、こちらもまた好意を持つ。 先方の出方次第で、こちらの態度が決まるということ。 もとは「魚、心あれば、水、心あり」で魚と心、水と心が一語化したものといわれる。 魚が水に好意を示せば、水もその魚に好意を持つであろうという意味から。 「水心あれば魚心」「網心あれば魚心」ともいう。
水と油(みずとあぶら)
水と油が混じり合わないように、二つのものが調和しないこと。互いに性質が合わないこと。
水に絵を描く(みずにえをかく)
無駄な苦労をすることのたとえ。 水に絵を描いても残らないことから。
水に流す(みずにながす)
過去のいざこざを、すべてなかったことにして和解することのたとえ。
水に慣れる(みずになれる)
その土地の環境や風土になれること。 からだがその土地の水に馴染むことから。 「慣れる」は「馴れる」とも書く。
水に馴れる(みずになれる)
その土地の環境や風土になれること。 からだがその土地の水に馴染むことから。 「慣れる」は「馴れる」とも書く。
水の泡(みずのあわ)
努力してきたものがすべて無駄に終わることのたとえ。
水の泡となる(みずのあわとなる)
水の泡がはかなく消えるように、努力のかいもなく、まったく無駄に終わることのたとえ。
水の滴るよう(みずのしたたるよう)
若々しくて美しいようすの形容。
水の月取る猿(みずのつきとるさる)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
水の低きに就くが如し(みずのひくきにつくがごとし)
水が低い方へ流れていくように、物事のなりゆきは止めようとしても止められないということ。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
水も漏らさぬ(みずももらさぬ)
警戒が厳重で、まったく隙がないようす。
水を打ったよう(みずをうったよう)
多数の人が、いっせいに静まりかえるようす。
水を得た魚のよう(みずをえたさかなのよう)
その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
水を差す(みずをさす)
物事にけちをつけたり、親しい間柄を裂くようなことをすること。
水を離れた魚(みずをはなれたうお)
水から出た魚のように、頼りを失って自由がきかないことのたとえ。
水を向ける(みずをむける)
自分の思い通りに、相手が関心を持つようにしむけること。
焼け石に水(やけいしにみず)
援助や努力がわずかで、何の役にも立たないこと。焼けた石に少量の水をかけても冷めないことから。
雪仏の水遊び(ゆきぼとけのみずあそび)
無謀なことをして自ら身を滅ぼすことのたとえ。 土で作られた仏が水遊びをすると溶けてしまうことから。 「土人形の水遊び」「雪仏の水遊び(日向遊び)」ともいう。
湯の辞儀は水になる(ゆのじぎはみずになる)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 「辞儀」は遠慮のこと。 湯を勧められた時、遠慮してぐずぐずしていると、湯が冷めて水になることから。
湯水のように使う(ゆみずのようにつかう)
金銭などを惜しがる様子もなく無駄に使うこと。
湯を沸かして水に入る(ゆをわかしてみずにいる)
せっかくの苦労を無駄にすることのたとえ。 せっかく沸かした湯を使わずに水にしてしまうことから。 「湯を沸かして水に入る」ともいう。
湯を沸かして水にする(ゆをわかしてみずにする)
せっかくの苦労を無駄にすることのたとえ。 せっかく沸かした湯を使わずに水にしてしまうことから。 「湯を沸かして水に入る」ともいう。
酔い醒めの水は甘露の味(よいざめのみずはかんろのあじ)
酒に酔って眠ったあとに目覚めて飲む水は、甘露のようにおいしいということ。「甘露」とは中国の伝説で、めでたいしるしに天から降ったといわれる甘い水のこと。
呼び水になる(よびみずになる)
物事を引き起こすきっかけとなること。
落花情あれども流水意なし(らっかじょうあれどもりゅうすいいなし)
一方には恋しく思う気持ちがあるのに、相手に思いが通じないことのたとえ。 散る花は流れる水を慕うが、川はそしらぬ顔で流れていくことから。
落花流水の情(らっかりゅうすいのじょう)
男女が慕い合う気持ちを持っていることのたとえ。散る花は、流れのままに流されて行きたいと思い、流れる水は散った花を浮かべて流れたいと思っている意から。
冷水を浴びせる(れいすいをあびせる)
意気込んでいる人に元気を無くすような言動をすること。
我が田に水を引く(わがたにみずをひく)
自分の利益になるように取り計らうこと。 自分の田に水を引くことから。
我が亡き後に洪水よ来たれ(わがなきあとにこうずいよきたれ)
自分が死んだ後なら、洪水でもなんでも来てよい。今さえよければ、あとはどうなってもかまわないということ。