最近読んでいる本 土屋文明『新短歌入門』

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本を読みながら、気になったところに付箋を貼る。読み了えて、メモを書いたり書かなかったりし、気が済んだら付箋を外す。本に(お疲れ様)と言ってやらなければならない。わたしの読書は、本に対して随分自分勝手なふるまいだと思う。

このごろはゆふべの畑に子等をやり一日にうれし苺つましむ*

『新短歌入門』で土屋文明が取り上げていた例歌のひとつ。
――この頃は夕方の畑にこどもたちを行かして、苺を摘んで来させるのだ――と、生活の中の素直な喜びを描いて、何も難解なところがない。「一日にうれし」を散文に変換すると味気がなくなるが、読み解くためにあえてすれば「(この)一日にうれしく感じることだ」といった感慨だろうか。それが「子等をやり」と「苺つましむ」の間に挟み込まれている。ここがこの歌の構造上最もチャーミングなところだと思う。
「このごろは」というさりげない初句から、一日にうれし、と気持ちを述べて、最後に現れる苺摘み。ああいいな、と思う。表記もほどほどにひらがなを交え、目にやわらかい。ことばにいちいち書かれていなくても、苺の鮮やかな赤、こどもの声、晩春の入日のほのぬくさを受け取ることができる。

作者はアララギの会員だろうか。新聞への投稿者だろうか。作者の名前は記されていない。土屋文明は簡潔に、「日に日に苺が熟れる、それを摘み家族の者が日を過ごしている裕かな生活が思われましょう。」とだけ書いている。

*土屋文明著『新短歌入門』筑摩書房(1986年刊) 40ページより引用


# by konohana-bunko | 2025-02-01 23:07 | 読書雑感

最近読んでいる本 『舟』44・45号(現代短歌舟の会機関紙)

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現代短歌舟の会 機関誌『舟』第44号(2023年6月夏号)
同じく第45号(2024年12月冬号)
こちらの二冊より、いいな、好きだなと思った作品を数首引用する。

  三月六日  浅川洋

ここからは大きな船に乗りますと娘の笑顔を見送る夢も

冬の居場所、春の居場所、ゆるしの居場所、飼い猫たちがそっと知らせる
           
現代短歌舟の会 機関誌 『舟』第44号(2023年6月夏号)(十五首作品より二首引用 40ページ-41ページ)

一首目、夢の中で娘さんが発した「ここからは大きな船に乗ります」ということば。「大きな船に」ということは、遠いところを目指すという意味もあるのだろうか。この夢の意味は想像することしかできないが、この歌全体が発する仄かな淋しさと明るさだけは、手につかみ取れるもののようにはっきりと伝わってくる。事柄だけを簡潔に言い、結句の「も」に詠嘆の念を込めた下句も見事だ。
二首目、二通りの読み方ができるかと思った。ひとつは、猫が季節や状況に応じて快適な場所を上手に探して(そこで過ごしていることで)知らせてくれているというもの。もうひとつは、猫が、冬がここにいたよ、春がここにいたよ、ゆるしがここにあるよ、と、ひとつひとつ見つけて知らせてくれているというもの。個人的には(敢えて)後者の読みで鑑賞したい気持ちでいる。「冬」「春」に「ゆるし」を組み合わせた作者の感性に脱帽する。


  家移りとぞ  斉藤蒔

そらあをく 桜木の下ひとり佇つ のこりの人生グリコのおまけ
                
現代短歌舟の会 機関誌 『舟』第44号(2023年6月夏号)(十五首作品より引用 60-61ページ)


  旅にしあれば  斉藤蒔

ほとばしりを児にふくませたはいつのこと息吹き涸れゆくちぶさかなしも

宇野亜喜良の描く哀(いと)しき少女たち われは少女のなれのはてなり

現代短歌舟の会 機関誌 『舟』第45号(2024年12月冬号)(十五首作品より二首引用 56-57ページ)

斎藤蒔作品の美点は、作者が独自の「美の規矩」を持ち、それを磨き、それに基づいて書いているところにあると思う。そのモノサシで常に自分をも計る。それに恥じない表現を目指す。そして「わたしはこれが美しいと思います。」と堂々とことばを差し出す。筋が通っているから、受け取る側も押し付けがましさを感じない。背筋の立て方を心得ているのだ。

# by konohana-bunko | 2025-01-12 23:08 | 読書雑感

最近読んでいる本 短歌同人誌「Cahiers カイエ あれから」

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短歌同人誌「Cahiers カイエ あれから」(2024年9月8日刊)を読んだ。
2024年9月の大阪文フリでいただいたもの。
ほんの少しだが引用して感想を書く。


聖堂は祈りに満ちるきれぎれの原初のごときみどり児の声
                 二方久文 「別れ」より

聖堂の祈りがみどり児に向けられたものなのか、それとも偶然祈りの場に居合わせた子なのか。それはわからないが、この一首にはみどり児の生命力と、それを祝福する気配が満ちているように思う。
葛原妙子の「疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ」という歌を連想した。

半音を下げて話せばぐずぐずと女の枠が外れゆきたり
                 稲泉真紀 「閉じ込められる」より

女性の声の高低にはどういう意味があるのだろうと考えてしまう。よそゆきの声などという言い方もある。電話に出ると声が甲高くなる人もいる。声を半音下げ、身構えず、より素に近い声で話せば、女の枠が外れてゆく。そして中からひとりの、性別にとらわれない本質としての人間が現れてくる。

お祭りの笹の葉枯れて夕風に音する 外はすこし涼しい 
                    とみいえひろこ 「青空」より

七夕の笹飾り笹は、伐ってから日が経つとだんだん緑が褪せ、葉も干からびて縦に細く巻き上がってしまう。そして伐りたての笹より、しばらく飾って乾燥した笹の方がさらさらとよく鳴るのだ。夕風、笹の音、そして涼しさ……と、どこにも無理や力みのない描写が心地よい。

夕暮れは世界をわたりここへ来た神戸大橋空にうかべて   
                草野浩一 「夜店のあかり」より

谷川俊太郎の「朝のリレー」ではないが、夕暮も常に地球上を巡っている。当たり前といえば当たり前のそのことを捉えて「世界をわたりここへ来た」とことばに書くと、詩情が生まれる。「神戸大橋」ということばがあることで、作者が立っている場所、目の焦点が読み手にもくっきりと伝わってくる。夕暮が橋(橋のシルエット?)を空にうかべる、という言い回しも素敵だ。

# by konohana-bunko | 2025-01-04 23:11 | 読書雑感

最近読んでいる本 『歌集 矩形の空』 酒井佑子

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酒井佑子著 『歌集 矩形の空』 砂子屋書房 (2006年刊行)

図書館に返す前に、取り急ぎ読書メモとして。

・一冊を通して作者のこころの強さが感じられた。
・自己愛や矜持を衒いなく詠んで、嫌味なく美しい歌に仕上がっているところに凄みを感じた。それができるのは、作者のよき資質(育ちのよさ)と、表現の力量あってのことだと思う。
・字余りの歌、また五七五七七に収まらない歌がある。声に出して読むと、ところどころ少しごつごつとした結び目がある感じ。定型のリズムより、作者独自のリズムが勝っているのだろう。

海紅豆の強剪定に思ひ及ぶ豚を煮て長く坐りゐるとき
   (海紅豆 かいこうづ)

海紅豆(アメリカデイゴ)という樹の強い個性と「豚を煮る」という行為のぶつかり合いが強烈な印象を生む。「豚肉」ではなく「豚を」としたことで「生命を奪って食べている」感じが強く出ているように思う。

ある角に百円ショップはなばなと夕日さし入りて品みなかがやく

あたたかき海に生まれて台風は楽しからずやよろこびの渦

二首目、「よろこびの渦」がとても好きだ。破滅的なエネルギーをもたらすよろこびの渦。

八幡の森に風わたるぶつぶつに荒れた古い刺繍のやうなこころ

よろこびは単簡にしてひやひやと萩吹く風のもなかを歩む

ステンレスシンクの底にひとひらの水の舌夜を籠めて乾かず

ふるどしの落葉堆き森の下び歩みつつ楽しみつつぬばたまの鳥

少年に大中小ありて小なるの一人めざましきフィールディングを見す

白菜の立ち腐れつつみ冬づく三畝の土は見れど飽かぬかも

英字ビスケットそのIの字の砂糖衣うすももいろの今にかなしも
   (砂糖衣 フロスティング)


# by konohana-bunko | 2025-01-03 23:07 | 読書雑感

最近読んでいる本 歌集『桃』 ヨシダジャック

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ヨシダジャック著 歌集『桃』Yoshida Marketing Office (2024年刊)

みずみずしい黄桃の表紙。ちょうどいい軽さ、明るさの感じられる造り。白すぎず、ほんの少しざらついたページに触れるとき、ペーパーバックっていいなあと思う。この厚みと手触りはどこかなつかしい。そう、昔むかし読んだ、谷川俊太郎訳のスヌーピーの漫画本に似ている。

短歌一首、散文、挿画が見開き二頁にきれいに収まっている。個人的にいいな、好きだなと思った作品を、二首引用。

・空を見れば大小の熊眠りおり ひかりはきっと答えではない

(38ページ「ひかり」より)

星座のおおぐま座、こぐま座のことだろうか。下句の静けさが好きだ。星の光に何かを求めたり感じたりするというありがちな発想が、きれいに反転されているところが気持ちいい。

・願掛けの天神、天満、難波橋、橋姫ひしめきあって笑う

(56ページ「橋姫」より)

ひとつの橋に橋姫がひとりいるのだとしたら、大阪市内には何人の橋姫がいるのだろう。橋姫どうしで集まって遊びに行ったりするのだろうか。歌に触発されてそんなことを想像するのが楽しい。

ジャックさんの短歌は、きちんと勘所を押さえていながら軽やかで自由だ。『桃』を読んでいると、自分の短歌のとらえ方、表現の窮屈さ、重さが逆光を浴びたように浮かび上がってくる。

# by konohana-bunko | 2025-01-01 23:44 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり