こもたろ2歳のころ。
楽観的な私も、さすがに
これは違うかもしれない・・・
と思い始めたころ。
母子手帳の「保護者の記録」には
ちょこちょこと
葛藤の跡があります。
2歳になっても
言葉が全く出ないこもたろ。
市の管理センターへ電話すると
トントン拍子に、
”ことばの発達親子教室”へ通うことが決まりました。
そこで驚愕したのは、私。
お話(絵本)の時間。
集団行動が全くできない、
じっとしていられない、
ということを思い知らされました。
それまで、お友達数人と遊ぶ機会はありましたが
各々好きなように遊んでいたし
女の子のお友達が多かったので、
男子と女子とは遊び方が違うから絡まないのかな~と思っていたのです。
次第に強くなる、疑問。
やはり、気になったので
インターネットで検索をかけました。
辿りついたのは「広汎性発達障害」
特徴をみていくと
これも、これも、これもこれもこれも・・・
こもたろの状況とあてはまっていきました。
とにかく、こもたろの事を知りたかった。
悩む日々が続き、
思い切ってパパに相談しました。
一瞬にして、
不機嫌になるのがわかった。
普段同じ行動ばかりしていること、
集団行動ができないこと、
親子教室ではジッとしていられないこと、
インターネットで調べたら、
こもたろと同じ特徴ばかり書かれていること・・・
全部話しました。
返ってきた言葉は
「発達障害だと思ってこもたろのことを見ているから、そう思うんだ。考えすぎだ。」
「俺だって、3歳まで喋らなかったんだから大丈夫。」
「言葉がわからないんだから、じっとしていられるわけないだろう。そのうち言葉がわかれば、落ち着くはず。」
「男の子は言葉が遅いもんなんだ。」
認めたくない、パパ。
本好きなパパは、様々な本を読んでいるので
私なんかより知識があります。
発達障害のことだって、すごく詳しい。
なまじ知識があるものだから
まだまだ無知な私の言葉に、
耳を傾けようとはしません。
はじめて、
パパの前で声をあげて泣きました。
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コメント
コメント一覧 (17)
子供のために辛くても調べて、子供にとって最善を探す。父親のように逃げてしまう方がずっと楽です。両親ともに逃げてる人達もたくさんいます。
私も逃げずに向かいあわなきゃと思いました。
俺も3歳まで喋らなかったって、自閉症は父親からの遺伝要素が強いのでは?と疑問を持ちました。
母に対して父が「お前のしつけが悪い」「お前が甘いからこうなったんだ」みたいなことを言っているらしく、腹が立ってしまいます…汗
はじめまして^^
コメントありがとうございます♪
パソコン、向かっちゃいましたよネ。
とにかく情報がほしかった。
お褒めのことば、ありがとうございます^^
またいらしてくださいね♪
絵がかわいくて癒されます
育児書通りに進んでくれないですもんね。
私も、育児雑誌は読まなくなりました^^;
読んだらヘコむから(笑)
手探りの状態で考えて、悩んで
そうやって今があるんですよね♪
これからもまだまだ大変ですが、
のんびりペースで進んでいきましょう^^
こんにちは^^
うんうん、わかります。
私も、「ちゃんとしなさい!」って何度叱ったことか(;´▽`A``
わが子なのに、どう向き合ったらいいか解らない。
母親にとって、これほどシンドイことはないと思います。
まだまだ道のりは長いですが
きっと、終わりのない道のりだとは思いますが
お互い、励まし合いながら頑張っていきましょう^^
こちらこそ、
これからもどうぞ宜しくお願いします^^
母親ってそうですね。
ほんと、妊娠中は同じことを願っていました。
私なんかが、お役に立てるかはわかりませんが
微力なりに伝えていきたいと思います^^
いつもありがとうございます♪
これからもよろしくです(*^▽^*)
たぶんあれは試練だったんだと思います。
あれを乗り越えて、先に進めるんだなーと^^
はい♪
これからもいろいろです♪
納得するまで、さ迷いますよね。
あの時はまさに闇の中って感じでした、私(;´▽`A``
お返事遅くなり、すみません。
お話、ありがとうございます。
何度も読み返してしまいました。
大変でしたね・・・。
やはり、そう簡単には認められないですよね。
それを目の当たりにしてしまったとき
認めざるをえないとき、
お父さまはものすごい葛藤だったかと思います。
気分を悪くするなんてとんでもない。
貴重なお話を書いていただきありがとうございます。
お互い、状況は違いますが
無理しない程度に頑張っていきましょうね^^
私も
ネットで手当たり次第調べたり…
反対に
持っている育児書を見るのも嫌で
全部処分したりもしました
この時期が一番しんどかったけど
今はとても幸せです。
あ、眉間に皺寄せて怒鳴りまくる日々ですけどね?(笑)
私も魔の1歳半検診のあとパソコンに向かう日々
ゴン助を叱って怒鳴って泣いて・・・
父に子供はイタズラするものだ!!ってどなられて・・・・・
ゴン助にどう向かい合っていいかわからないって
父の前で号泣さたもん
3歳まで待とうって父と話あって
今・・・・父は父なりにゴン助の障がいを
受け止めてくれてるからまだましなのかな?
診断名が付いて3か月・・・・
始まったばかりのゴン助一家・・・
これからもいろんなことで
一喜一憂しれいくんだろうなぁ(汗)
先は果てしなく長いけど・・・・
ゴン助が毎日笑って過ごしてくれたらいいな~~
これからもいろいろアドバイスとかいろいろ聞かせてくださいね
あらためてこれからもよろしくお願いします。
母親って特に
お腹いためて産んだ大切な命だもの
五体満足に生まれてきますようにとか、愛する我が子がなにふじゅうなく生きていけますように
そんなふうに思いながら我が子が、生まれてくるの楽しみに待つんやから…。
悲しみは並大抵じゃあなかったもの
morOさん支援の先生にね
最近言われたの
みんな違ってみんないい社会は、いつくるかそれは、わからりません。
だけど、一人でも諦めず伝えていく事で変わる事もあるって…。
moroさんが、こうやって伝えてくれてるだからその事がうれしいの
大切な記録書いてくれて
ありがとうねm(_ _)m
あの時があったから 今がある・・・(‐^▽^‐)
これからも いろいろでしょうね!!
あの時期が、一番しんどかったかも。
私はまだ結婚もしていないので、子供のことではないですが、父方の祖母がアルツハイマー型認知症と診断された時、最初は父もまったく耳を傾けてくれず、認めませんでした。我が家には母が看護師・妹も看護師・自分は介護現場から看護師になった身で、3人が同じことを言っても決して認めませんでした。ましてや、日々認知症の方と生活をしている私自身が話をしてみましたが、父は自分の母親が認知症になったことを認められなかったのでしょう。(今思えばですが・・・。)日中家にいるのは自営業の父と祖父母だけで、日々変わる祖母をみてもある日までは頑として認めませんでした。ある晩、実家から電話がきて、「お婆ちゃんがいなくなった。」と父から連絡がきた時、私はこの日を境に父を説得し、認知症である祖母を認めてもらえるよう、当時の父には酷な試練を与えました。「いなくなったんじゃない。徘徊するようにまで認知症が進んだだけ。毎日行っていた接骨院に行ってみたら?そこに行けば確実にお婆ちゃんがいるから。」と、父一人で向かわせました。(自分も急いで車で実家に向かいました。)その時に母と妹たちには「今手を差し出したら一生認められないから、見守ってて。」とだけ伝えて実家についた頃、父と祖母が帰ってきました。祖母は自分の息子に「近所の方が家まで送ってくれたのよ。お茶でも出してあげてね。私は明日女学校だから先に寝ますね。」と面と向かって言った時、父は泣き崩れました。自分の母親が息子の存在すら忘れてしまった事・認知症がどんな病気なのかも父は自分の母親から教わったんです。
それからは、私が祖母のキーパーソンとなり、役所関係の手続き等をし、母は父を全面的にフォローをし、認知症発症から3か月後に父から「もう家ではみきれない。このままじゃお父さん、お婆ちゃんの事・・・。」(No2に続きます。)