ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

人類でも惚れてしまう、かっこいい模様のあさりについての報告

先日、あさりのホニャホニャうどんをいただいたときの話。
実際のメニューの名前は、たしか単に「あさりうどん」だったはずだが、あさりの味が薄かったので、あさりとうどんの間に「ホニャホニャ」という緩衝地帯を設けておかないとわたし的におさまりがつかない。そもそも味がしないのに殻だけは一人前につけているところが少々気に入らなかった。漁港のそばで定食とともに供される蟹の味噌汁と概ね同罪で、罪名は「海っぽい気分だけを味わせた罪」。ただひとつだけよいことに、あさりのうちの一匹の模様がまるで水墨画のようだったのだ。
 

f:id:kokorosha:20190410075710j:plain

 

念のため書き添えておくと、あさりの模様のすべてがこのように美しいわけではない。わたしはあさりをいただくときは、ひとつひとつ模様を確認しながらいただくという、人畜無害だが悪趣味な習性を持っているのだが、そのわたしの経験上、ほとんどのあさりの模様は退屈である。

 

念のため白黒にして、より水墨画度を高めさせていただきたい。

f:id:kokorosha:20190410080327j:plain


人類においては、風景の入れ墨を背中に施している人はいなくもないが、不良とみなされてあまり異性の評判はよろしくない。それと比べてこのあさりの模様は天然のもので、少なくとも誰かを威嚇しようとする意図はないので、このあさりに金をせびられたり、因縁をつけられることもないのである。ありがたい話である。

 
一説によると、ストレスなどが貝殻の模様に影響を与えることもあるらしい。ストレスがかかると、貝殻が白くなるのか、それとも茶色くなるのかは知らない。人類はストレスを受けると髪が白くなるが、それと同じで白くなるのかもしれない。あるいは、正反対だけれど、人類においては経験の多い人体は経験した部分が早く黒ずむという俗説があるが、貝においてはそれは俗説ではなく、実際に経験を積むと濃い茶色の模様が刻まれるのかもしれない。
 
おもにわたしが感情移入したいというお気持ちからこの貝が雄であると断定するが、彼はよりよい模様を殻に刻むべく、白い模様を入れたいときには、ストレスを与えるため、貝の硬い殻を割るような歯を備えているフグ科の魚のそばに自分から近づいていって、給水管を器用に操りながらダンスを踊り、魚のターゲットになることで生命の危機を感じるように自らを仕向けたのかもしれない。また、茶色い模様を入れたいときには、摂取した栄養のほとんどを精の子の製造に割り当て、盛んに女の貝がいるところで放出し、精の子を引き取ってもらったりしたりしたのかもしれない。あるいは、人間として生まれたかったのに貝に生まれてしまったことそのもののストレスで模様を身につけた可能性もある。いずれにせよ、涙ぐましい努力を何年も続けることで、彼はついに自らの身体に理想的な模様を身につけたに違いない。
 
この模様を完成させた彼はきっと、たいそう女の貝たちにモテたことだろう。砂の上に気になる模様があると思って近づいたら、本体が現れ、彼は模様の説明を始める。お嬢さん、この模様、何の模様か気になったことでしょう。この模様な、ぼくたちがいる海底よりずっとずっと高いところ、陸地という、水のない場所の風景なのですよ。われわれはそこで暮らすことはできないのだけれど、そうであるがゆえに、われわれは陸地の情景に心惹かれてしまうのかもしれません……などと口走り、女の貝が彼の紡ぐ物語に夢中になって卵子が漏れ出した瞬間、彼は急いで精の子を撒き散らし、確実に受精させるのであった。その手口に気づく貝もいれば、気づかずに妊娠してしまう貝もいたようだが、貝の世界では男女平等などの概念は希薄だったし、それを性暴力とみなすアサリもおらず、彼はやりたい放題だった。
 
ある日、彼がいつものように自分の巣で砂に抱かれながら通り過ぎていった女の貝たちの夢の中でまどろんでいたところ、ベッドもろとも鉄のスコップで掬われた。
彼はそれまでの努力も虚しく人間に捕らえられ、不適切な調理方法を経て自らの屍について大した味でないと罵られることとなった。
 
これを非業の死と言わずに何と言おうか。しかし、彼の体に刻まれた圧倒的なスケール感のある模様は、われわれ人類の心に深く刻まれたのである。
 
Â