手書きDMの効能
2002年 01月 27日

一人暮らしとはどこかで寂しさがあるわけで、
今でこそ、他者との連絡手段は、携帯電話とメールに変ったわけだが、
前は設置の留守電に何かメッセージが入っていないだろうかとか、
ポストに誰かから手紙が来ていないだろうかというのを楽しみにしていたりした。
未だにポストに何か入っていないだろうかというくせがぬけずに、
夜帰ってくると、何も入っているはずもないのに、
妙に期待して、ポストを開けるわけだが、
当然そこに入っているのは、しょうもないDM群か、
公共料金の請求書ぐらいなものである。
よくもまあ、こんな無意味無駄なDMを送ってくるなあ、
結構これだって金かかるやろと思いながらも、そのままゴミ箱にポイ捨てしようとした時、
ふと一通の手紙らしきものを発見した。
この一通だけ、手書きで書かれていたからだ。
「何だろう?誰からだろう?」
よくよく見たら新聞のDMだった。
いかにも手書きの手紙が来たっぽくみせた、単なる印刷物に過ぎなかった。
しかもしょうもないことに、手書きの最後に名前で「小雪」と書かれている。
どこか男性の心をうずかせるような、よくあるDMのみせすいた手段でありながら、
やはり他のDMと違って、捨てる前に目が行ってしまうから不思議である。
時代がどんどんデジタル化されればされるほど、僕はアナログ的なものの価値はどんどん上がっていくと思う。
大量生産で安くて品質が均一な安心食品や安心雑貨より、
高くて品質もばらばらだけど、人間の心を感じるような手作り製品であるとか、
年賀状にしても、単にパソコンできれいに印刷されているだけよりも、
そこに一言、汚くても読みにくくても、自分の手書きの文字が入っていた方が、
やはり目を引くわけで、心に訴えかけてくるものがある。
デジタル社会が加速化すれるほど、パラレルにアナログ的価値が進行するという、
パラドクッスを現代社会は内包しているわけである。
そういった現代人の心の隙をついて、手書きDMを送って、だまくらかしてぼろ儲けする。
そんな商売に気をつけたい。