MOTHERのCM[wmvファイル直](昔のTVゲームのCMを集めてみました。)
この「MOTHER」のCMに出てくる、糸井重里が考えたと思われるキャッチコピーを見て思ったのは、日日の日キで言うところの「76年式」に当てはまる世代は、レコードからCDへの転換期を肌で感じることなく、レコードをアナログと呼ぶのが常用的になる瞬間を肌で感じた世代ではないかということ。つまり、自分の小遣いで音楽を買おうとした時には既にCDが当たり前になりつつあり、その後のDJブームでアナログの需要性を認識した人は少なからず「76年式」に当てはまる感性の人間ではないだろうか(というCDレコード逆転認識の呪縛)。逆に、音楽に目覚めるのが早く、幼い頃からレコードに触れていた人は同じ年代であったとしても微妙に違う感覚を持っているかもしれない。 だから何なんだという話しだが、この世代が孕んでいる危険性は他の世代とは明らかに異質なものであると思える節があるのだ。話を糸井重里のキャッチコピーに戻そう。「MOTHER」のCMで出てくるキャッチコピーというのは「名作保証」という言葉である。これを我々の世代は当時何の疑問も感じずに受け入れていたと考えると、ちょっと身震いしてしまうのだ。 今でこそ、この手のコピーが嘲笑されるのは承知の沙汰だが、当時はこんな言葉が広告を支配していたわけだ。イヤちょっと待て、ならば今はまともな言葉が使われているのかと問われれば決してそうではない。ただし、昨今の広告は言葉よりビジュアルである。言葉の意味合いよりも文字のフォントが勝負だったりするのだ。 しかもだ、現代の日本人は、その精度はどうあれ、突っ込む技術を習得している。ダウンタウンという一つの文化が生活に多大な影響を及ぼした結果か、メディアの多様化のせいか、人々はそれまで以上にメディアに突っ込みを入れるようになった。テレビ番組が少しでも気に入らなければ苦情電話をかけれるのだから。テレビに苦情電話をかけるのは利口な突っ込みとは言えないが、つまりはおかしいものはおかしいと突っ込むフィールドがあって受け手はそのフィールドの意見も搾取できるのだ。 ところが「MOTHER」が発売された80年代後半から90年代前半に至るまでそのようなフィールドは存在こそしていたもののメディアの作るものにまだ多少なりとも信頼性が残っていたのか、突っ込みフィールドの必要性がなかった。ただ確実に、受けての信頼に応える様なメディアの作品が減少していたのにも関わらず。。 そんな突っ込みどころ満載のメディア創作物がほとんど突っ込まれないまま大人たちのフィルターを素通りし、無知な思春期の僕らの五感に冴え渡っていたのだ。今風に言うと、まさに微妙な時代に青春時代を過ごしてきたわけだ。 吉田アミさんが言うように、この世代に何かを作っていて、パクリに厳しくサンプリングに甘い人間が多いのはこのような呪縛から自分を解き放ちたくて、もがいている人間が多いからではないだろうか。 この世代を特別視するのはおかしいし、それぞれの世代にそれぞれの障害があるのだろう、微妙と言う意味では今の方が微妙だという見方も出来るかも知れない。ただ、今この世代が抱えている問題はもうそろそろすっぱりと解消しなければいけない時期にある。昨今の、お世辞にもスムーズとは言えない世代交代の光景、その世代交代がもう間もなく日本のあちこちで大小問わず行われるのだ。何事にも節目があるように、世代もやはりどこかで区切られている。CDとレコードを使った区切りはピントのずれた見方かもしれないが、丁度、今になって慌てて駆除を始めたガードレールの金属片のような障害物が世代と世代の継ぎ目にも無数に付着しているのかもしれない。 僕らは青春時代の呪縛から解き放たれなくてはそんな些細な障害物も駆除できないままなのだ。そのためにはやはり80年代後半から90年代前半の間の文化みたいなものを一通り踏襲してしまわければいけないと思う。 至極主観的な言及故、僕はその信憑性を疑うに及ばない。
by nyaaano
| 2005-06-07 00:49
| ジャパニーズドリーム
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