「RED DEAD REDEMPTION 2」トレーラーの元ネタから読み解く、西部とは何か?
トレーラーを分析した結果、IGNはある真実にたどり着いた
先週発表された「RED DEAD REDEMPTION 2」のトレーラーには知られざる大物がいた。ヤツは馬に乗って駆けて行くマスク姿の7人でも、泥だらけのおんぼろの街で背を丸めている住人でもない。IGNはある隠されたキャラクターにたどり着いたのだ。
トレーラーの全てのシーンに見られる思慮深い演出は、小道が複雑に絡み合う西部の鮮やかさを表現している。風に揺れる草むらや山から弱々しい大草原の太陽へと吹き付けていく寒さはその厳しさを感じさせ、乗馬者が平原を駆け抜ける時に射し込む朝日の柔らかな光は慈悲深さを反映し、わびしい谷にある平地と山のコントラストはその広大さを伝える。
ロスサントスとブレイン郡はビックリハウスの歪んだ鏡とでも言うべきもので、我々の文化のグロテスクな側面を大げさな形で表している。「RED DEAD REDEMPTION」はパロディではなく、何世紀にもわたって米国人の心に刻み込まれた伝説を色濃く受け継いでいる。「RED DEAD REDEMPTION」はある意味、人々の自己定義のためのフランチャイズだ。「グランド・セフト・オート」のオープンワールドのメカニクスを借りながらも、作品が捧げられる価値観によって「GTA」と峻別されている。
西部の人々はパロディを受け付けない。ウェスタンライフの伝説的な要素を脱構築する映画で最も成功した作品でさえも、西部の荒涼さと広大さの前で矮小な存在になってしまっている。暴力的な生活と突然の死は魅惑ではなく恐怖だ。しかしそれは驚異と無限の可能性を感じるセンスや、恐怖の舞台となる異世界のような美しさと自由を否定するものではない。
純粋で、息を呑むようなワイオミングの山々、カンザスの平原、ニューメキシコの砂漠はそれらのスケールと壮大さに対する修飾を拒否する。今でも、サウスダコタの草原やアリゾナの台地を訪れた者は人の手が加えられていない雄大な自然と、天地に対する人類の小ささ、昔から多くの作家や映画製作者をインスパイアしてきた無限の大地に圧倒されてしまう。
西部は言語でもある。世界的に深く染み込んだ壮大な先入観は、最も些細なイコンにも強いエモーションと結び付けられた鮮明なイメージを与えている。背を向けながら扉に立って砂漠を見る男、孤独な人間とコントラストを成す巨大な山、平野を駆け抜ける1人の乗馬者と彼が暗示する可能性など、我々はそれらのイメージを熟知している。文化的教養を共有する我々はこの「キャラクター」をずっと前から知っているのだ。
人間の集落は自然と、強風や天候、雄大な山脈、危険な小道、突然の死といった制御できない要素に矮小化させられている。これらは「シェーン」や「捜索者」、「ワイルド・レンジ 最後の銃撃」のパレットに描かれた絵であり、風に揺れる草むらや山から弱々しい大草原の太陽へと吹き付けていく寒さに浮かび上がる明白な図像である。「RED DEAD REDEMPTION 2」の全てのシーンは生命に満ちているように見えるが、その生命は風吹く平原や暗闇の森林、星々の天蓋などの広大無辺の自然の前にとてつもなく小さくなってしまう。
截然とした様々な景色は西部の自然の多様性を反映する。密林や果てしなく続く空、寒冷な高山、ほこりまみれの揺れる平原。それらの中にある偉大な象徴――線路、駆ける乗馬者、木に掛けられたドリームキャッチャー(インディアンの伝統的な装飾品)――それらは飼い馴らされていない西部というキャラクターに人間味を与える多様な人々を思い起こさせる。カウボーイや紳士、先住民、入植された中国人、解放された奴隷は辺境の兵士となり、貧農となり、宣教者となり、教師となり、ゴールドラッシュの中で一攫千金を狙う採掘者となり、荒野の偵察者となり、実直な山の住人となり、牧場主となり、悪徳資本家となり、石油を探す人となる。同じ空の下で、人類社会の貧と富、愚かさ、必死さ、天然資源を荒らす欲望、冒険精神などの坩堝が広がっている。
彼ら全てが今回のトレーラーで色鮮やかに描写された西部という巨大なキャラクターの一部だ。我々は彼らを彷徨う乗馬者や街の住人、太陽に照り付けられる川の上でカヌーをこぐ人たちという形で見ている。彼らは西部というキャラクターの人間的要素を成している。彼らは征服されていない広い大地に抵抗する。そんな彼らの物語は、あなたのものになるのだ。
トレーラーのメッセージは明確だ。あなたはこのキャラクターと触れ合って知ることになる。あなたはそれらの森の中を歩き、川を渡り、平原を横断する。あなたは広大な未開拓地帯の孤独な乗馬者になる。西部はあなたに手招きする。あなたが彼を訪れ、彼に挑戦し、対抗し、彼と仲良くなり、あるいは彼を倒すように。そして決して彼を征服することがないように。