ゲームシナリオの解剖学from各務都心:第50回『Jusant』 本筋とロアが螺旋を描く、アンビエントな登山を支える大きなストーリー

アンビエントな登山を支える大きなストーリー

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こんにちは、シナリオライターの各務都心(https://twitter.com/toshinthepump)です。

古今東西の傑作と呼ばれるゲームを、シナリオの面から掘り下げてみようという企画――「ゲームシナリオの解剖学」第50回は、『Jusant』を取り上げる。

今回もネタバレが出てくるので、先の展開を全く知らないで遊びたい方は注意していただきたい。

ジュサントとは、フランスの航海用語であり、引き潮のことをさす。ゲームを開始して数秒もしないうちに、このタイトルが何を意味しているのかは理解できるだろう。主人公の少年が立っているのは砂漠であり、その眼前には雲を貫く巨大な塔が聳えている。砂漠や塔には打ち捨てられた船や筏の残骸が大量にあり、ここがかつて海であり、塔は漁師町として機能していたことに気付く。

この時点で、環境ストーリーテリングが大好きなゲーマーなら「あ~これは大当たりだな~」と陶然としたことだろう。わかる。筆者もそうだ。

本作はLTとRTを両手に見立てて、塔を登っていくことで進む。ゲームとしてはかなり簡単な部類で、落下死もなければバトルもない。ほとんどのシーンは上か奥を目指していくだけなので、3Dゲームが苦手な人でもクリアできるはずだ。よって、大事なのはトライアルアンドエラーのアクションを楽しむことではなく、ちょっと寄り道して風景を眺めたり、この地に生きていた人々の想いを汲み取ったりすることである。

そういう意味で、本作は「ロア」を作ろうという意識が非常に高い。ロアというゲーマー間スラングについて説明すると、ゲームを遊んでいる最中に拾ったり読んだりすることができる一連のテキストやボイスログのことで、中身はそこで生きていた人々の雑記である場合が多い。(たまにゲーム自体を進めるヒントも書いてあるが、ほとんどは読まなくてもクリアできるものばかりだ)

ロアを一切読まずにクリアしても、ゲームとしては面白いだろうが、正直ストーリーについては何もわからないだろう。とはいえ、本編は登山のTIPS以外一切のテキストや会話を廃しており、プレイヤーに塔と向き合うことに集中させようという意図はよくわかったので、そこは問題だとは思わなかった。

ゆえに、本作のロアはゲーム上で語られるべきだったシナリオの大部分を担っている。筆者は久々にメモを取りながらゲームを進めた。『Everybody's Gone to the Rapture』以来である。人物、場所、組織、問題などに分けて、誰が何をしていたか、その結果どういう問題が起きたのか、何をしようとしていたのかなどを整理する楽しさを思い出すことができた。

ロアには二種類あり、人々の暮らしを語る「手紙」と、ビアンカという少女が雲の上を目指した冒険記の「ビアンカ」に分かれている。

「手紙」のテキストはとても芳醇だ。海を知らない人々が、ジュサントを経験した代から伝説だけを聞かされて育ち、目の前の水不足にどう立ち向かったかが克明に描かれている。

雨が降らなくなり、砂漠へ遠征に行った探検隊も成果を挙げられない中、残ったオアシスに縋るのか、農業用水に使うべきか皆で飲むべきか、もしくは一か八かの探検に出向くのか、それを選ぶにしても残った家族の面倒を誰が見るのか……などという卑近な悩みが、あまりに悲惨にならない程度の文体でじっくりと書かれている。

特に、最近産まれてきた子どもたちに「雨」を説明するときに、彼らが上空から水を降ってくるという奇怪な現象を全く理解できなかったというくだりが面白かった。筆者は、こういうSF的な想像力と説得力が感じられるゲームには本当に弱い。

それに対して「ビアンカ」は、雲の中にいるという水を含んだ伝説上の生き物「バラスト」を探すために旅立つ若い女冒険者だ。元気いっぱいな上に感受性豊かで、雲の上の世界に希望を見出している。

彼女らが探しているバラスト自体は、主人公の肩に止まっている可愛らしい生物であり、周囲の環境を目覚めさせる不思議な力を持っているので、プレイヤーからするとそこのワンダーはすでに解明されている。

だが、彼女は人間観察能力に長けており、彼女が周囲をどう捉えていたかという点にロアの面白味が凝縮されている。上階に住む文通相手と出会って何時間も話し込んだり、遠征隊の真の目的に気付いて落胆したり、僻地に住む老人の家を修復したりと、冒険小説的な醍醐味が詰まったロアだった。

そして何より、プレイヤーは途中で気付くのだ。今操作している主人公の旅路が、ビアンカの辿ったものと全く同じであることに。

即ち、ゲームにおけるレベルデザイン(地形や障害物といった、ゲームのマップをゲームらしく面白く整える工程)に、ストーリー上から理屈を付けているわけである。岸壁にくっついているプレイヤーを小休止させるためのアンカーは、ビアンカたちがくっつけたものか、同じ場所で休憩したものなのだ。

ゲームを面白くするための仕掛けは、やればやるほど現実から離れていく。「スーパーマリオ」シリーズのちくわブロックが、マリオが乗ると落ちていくことに現実的な理屈なんて要らないだろう。だが、現代のゲームデザインにおいて、プレイヤーを楽しませる仕掛けやトラップにシナリオから説明がついたとき、筆者はとても深い感動を覚えるのだ。『ゲームシナリオの解剖学』は今回で第50回を迎えたが、今後もゲームのこういう点を探し回っていきたいと思う。

最後に、このゲームを遊んだあと、筆者は何となく登山用語について調べた。そこでケルンという小さな石塔が、登山者の冥福を祈るためにも作られることがあるという事実を知った時、DON'T NODの用意してきたものの奥深さに脱帽せざるを得なかった。語らないことで語る手法は、ついにここまで来たのである。

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