一時は世界中で熱狂を巻き起こした「メタバース」だが、現在では企業も消費者も興味や関心が落ち着いているうえに、「メタバースは死んだ」という指摘すらあるようだ。
それこそ、VR市場は2022年に2087億ドル(約30兆円)、メタバース市場は2030年に1.3兆ドル(約200兆円)に達すると予測されていた。しかし、予測は単なる期待値であり、時にはBtoB投資を引き付けるために根拠のないメディア煽動が行われることもある。
2021年10月末にMeta社(元Facebook社)の社長、マーク・ザッカーバーグが社名を変更して以来、メタバースは日本でも広く知られるようになり、2022年はメタバースが非常に盛り上がる年となった。
2021年のIgnite Conferenceでは、マイクロソフトのCEOサティヤ・ナデラ氏は、「我々の社会のDXはメタバースによって新たなステージに移行する」と述べた。Robloxは、メタバースのハイプに乗じてIPOを行い、410億ドルの評価を受けた。また、ウォルマートやディズニーもメタバースに参加した。このようにさまざまな企業がメタバースの盛り上がりに乗じて、メタバース事業の拡大に力を注いだ。
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また、メディアのメタバースへの期待も高まった。コンサルティング会社のガートナーは、2026年までに25%の人々がメタバースで少なくとも1時間を過ごすと主張した。ウォールストリート・ジャーナルは、メタバースが我々の働き方を永遠に変えるだろうと述べた。グローバルコンサルティング会社のマッキンゼーは、メタバースが最大で「5兆ドルの価値」を生み出す可能性があり、95%のビジネスリーダーがメタバースが5年から10年以内に自分たちの業界に「好影響を与える」と期待していると付け加えた。
このときは、メタバースを有意義な方法で定義することができなかったにも関わらず、その影響はビジネス界の頂点に達していたように思える。Metaの発表後の数ヶ月間で、明確な定義や目的がないにもかかわらず、あらゆる企業がメタバース製品を提供しているかのようだった。
しかし、2023年に入るとメタバースのブームは一旦落ち着きを見せた。その主な理由のひとつとしては、ChatGPTをはじめとする生成AIが大きなブームとなり、マスコミやメディアの話題がChatGPT一色になったため、メタバースは相対的に影が薄くなってしまったことも要因に挙げられるだろう。
生成AIへの注目が急速に高まるなか、メタバースブームは失速する。マイクロソフトは2023年1月に仮想ワークスペースプラットフォームのAltSpaceVRを閉鎖し、「メタバースチーム」の100名を解雇し、HoloLensチームに対しても一連の削減を行った。ディズニーは3月にメタバース部門を閉鎖し、ウォルマートもRobloxベースのメタバースプロジェクトを終了した。何十億ドルもの投資と未完成のコンセプトを巡る息を呑むような盛り上がりは、数千人(場合によっては数万人)の人々が仕事を失う結果となった。
また、米Metaが公表した2024年第一四半期の決算では、売上高が前年同期比で27%増の364億5500万ドル(約5兆6600億円)、純利益は約2.2倍の123億6900万ドルとなり、4四半期連続で増収増益を達成しているが、この成長は主にインターネット広告の堅調な業績とリストラによるコスト削減が貢献している。新規事業への投資、特にAIやVR分野への投資による負担を懸念し、市場の反応は冷ややかである。Metaは、2024年通期での設備投資額を350億ドルから400億ドルに増額することを明らかにしている。
またMetaのCEOであるマーク・ザッカーバーグ氏は、AIに焦点を当てた新たな戦略を発表した。彼は、次世代のサービスには汎用人工知能(AGI)の構築を含むAIの進歩が必要であると強調し、これをオープンソース化して広く利用可能にする意向を示している。具体的には、2024年末までにNVIDIAの最上位GPU「H100」を35万台導入し、大規模なAIインフラを構築する計画だ。
さらに、新たなAIモデル「Llama3」の開発にも注力しており、これがAIとメタバースの統合に貢献すると見られている。ザッカーバーグ氏は、スマートグラスを通じてAIが日常生活に溶け込む未来を描いているようだ。
メタバースを使ったVR端末は次の成長ドライバーと位置づけられているが、いまだコストが先行している。売上は前年同期比30%増の4億4000万ドルを記録したが、営業損失は38億4600万ドルに達した。
また、リストラは一段落し、3月末の従業員数は約6万9000人で、前年比で約1割減少したが、開発人材はAIなどの重点分野に再配置されているようである。
メタバース事業が思うように進展しない中でのAGIへの転換は、新たな方向性を模索するMetaの動きと言えるだろう。しかし、この新戦略が成功するかどうかはまだ分からない。
では、本当にメタバースは一過性のブームで終わってしまったのだろうか。NTTデータグループのコンサルティングファーム、クニエのメタバースビジネス実態調査によると、「事業化の成否が判明した取り組み」のうち91.9%が事業化に失敗していることが判明した。しかし、この失敗した9割というのは、「メタバース系ビジネスをやろうとしたが検討で終わった」という意味であるため、使われてなくてもなにかしらのメタバースを作っていれば、成功の1割に入る。
「メタバース」という言葉は、特定のサービスやプラットフォームを指すわけではなく、関連する技術群を表す総称として使われている。1990年代末から2000年代初頭にかけて、インターネットが一般に広まると「インターネットをする」という表現がよく使われていた。しかし、この表現は非常に漠然としており、「インターネットで何をするのか?」という具体的な活動は明確ではなかった。当時は、何ができるかよりも「インターネット」という存在自体が注目を集めていた。
現在では、インターネットを利用した具体的なサービスが多数生まれ、「Amazonで買い物をする」「マッチングアプリで恋人を探す」「TikTokに動画を投稿する」など、特定の行動を指す表現が一般的になっている。メタバースも、現在はまだ名前がバズワードとして普及したが、メタバースの利点を完全に活かした圧倒的なサービスはまだ十分には存在していないように見える。
筆者としては、メタバースが終わったのではなく、メタバースで投機的に儲けようとした企画や事業が一定の価値をまだ見出せなかっただけであり、メタバース自体はまだまだこれからの技術であり文化であると考えている。
メタバースは、新しい形の社会文化を形成している。このデジタル空間で、ユーザーたちは自主的に様々なイベントや交流を行い、独自の文化を育んでいる。
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私自身も、VRChat内で学校や美術館を創設し、これが新たな交流の場となり、ユーザー主導で新しい企画が立案され、実行されることはもはや日常的な光景である。これらの活動は企業や自治体との協力関係を生むこともある。
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またメタバースでの出会いが現実世界での恋愛や結婚に発展する事例もあり、新時代の人間関係が形成されている。メタバースのユーザーは主に10代から20代であり、この若い世代が社会の中心となるにつれて、メタバースの存在はますます当たり前のものとなるだろう。やがて、現実とメタバースの境界が曖昧になり、それによって私たちの日常生活における交流のあり方も大きく変わる可能性を秘めている。
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これらの現象から見ると、メタバースはただの技術的なプラットフォームではなく、新しい形の社会構造や文化の場としての潜在力を持っている。デジタルネイティブな世代によって推進されるこの文化的進化は、将来の社会動向を大きく左右し、単なるバズワードで終わらない可能性を秘めていることがわかるだろう。
メタバースの核心は「リアルタイムの双方向コミュニケーション」と「3Dインターフェースによる身体表現」である。この技術は、オンラインゲームで20年以上前から使われているが、高速通信と処理速度の向上により、最近ではさらに高品質でリアルタイム性のある3D表現が可能になった。
現在のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)は、重さや装着感が問題とされ、長時間の使用が難しい。筆者はVR酔いこそあまり感じることはないが、長時間継続してHMDを装着すると疲労を感じる。この問題を克服し、より多くの人々にメタバースを受け入れてもらうためには、操作性や体験の質を向上させるとともに、コストも抑えた革新的なデバイスが必要である。
さらに、メタバースはECやSNSなどの既存Webサービスを拡張し、3Dとリアルタイムの双方向性を加えることで、新しいユーザー体験を提供できる。例えば、メタバースとECを組み合わせることで、オンラインでありながらも実店舗での買い物体験を再現することが可能だ。これにより、実世界とデジタル世界の長所を融合したサービスが実現し、新しい顧客層の獲得が期待される。メタバースを使った新しいサービスが今後生まれていくことに期待したい。
メタバースは、現代の技術と文化の新たなフロンティアとして位置付けられている。この用語が一時的にバズワードとして注目され、ガートナーのハイプサイクルにおける「幻滅の谷」に達したと見ることもできるが、その実態は徐々に形成されつつある。
ビジネスの世界では、メタバースを利用した成功事例はまだ多くはないが、一方で表舞台には登場していないものの、メタバースを活用する人々の数は着実に増えており、独自の文化も育っている。この背後で進行する静かな進化が、将来的にはメタバースが私たちの日常生活に自然に溶け込む土台となるだろう。
さらに、技術の発展と新しいビジネスモデルの確立が進むにつれて、メタバースの利用はより広がりを見せると予想できる。このプロセスを通じて、現実世界とデジタル世界の境界線がますます曖昧になり、人々の生活様式に革新的な変化が生じる可能性は高い。
我々はただ技術の進化を追うだけでなく、それが如何にして文化的な影響を与え、日常生活に統合されていくのかを理解する必要があると筆者は感じている。もっと長期的にみて、メタバースがどのように社会を変えていくのか楽しみである。
齊藤大将
Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/】
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。
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