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“iPod旋風”の極意は心に深く突き刺さる前刀流マーケティングにあり:前編

別井 貴志 (編集部) 、構成:島田昇(編集部)2006年12月26日 13時08分
特集

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 デジタルオーディオプレイヤー「iPod」の成功を機に、アップルコンピュータは完全に息を吹き返した。

 起死回生の成功を語るには、米Apple Computer, Inc.の創業者であるSteve Jobs氏以外にも、欠かせない重要な人物がいる。アップルコンピュータの前代表取締役だった前刀禎明氏、その人だ。

 ソニー、ウォルト・ディズニー・ジャパン、AOLジャパン、ライブドア、そしてアップル――。華やかな成功の経歴には常に、「人の心に深く突き刺さる」ことを念頭においた“前刀流”のマーケティング手法があった。

 連載4回目となる「アントレプレナーの軌跡」では、その極意に迫る。

小池:この対談はアントレプレナーたちの歩みを追っています。これまでに対談した方々は、社会に出る前からアントレプレナーとしての要素あるいはそういう思いをすでに持っていたことが非常に多かったので、まずはその辺から掘り起こしてお聞きすることにしています。前刀さんは子供の頃、どんな少年だったんですか。

前刀氏 前刀禎明(さきとう・よしあき)-- 1983年慶應義塾大学大学院修士課程修了後、ソニー入社。その後、ベイン・アンド・カンパニー、ウォルト・ディズニー・ジャパン、AOLジャパンを経て、ライブドア 代表取締役社長兼CEO、米国Apple Computer, Inc. バイスプレジデント兼アップルコンピュータ代表取締役を歴任。2006年12月ネットエイジグループ社外取締役就任。

前刀:子供の頃はすごいヤンチャだったんですよね。ただ、それがいわゆる思春期に差しかかると、ものすごい恥ずかしがり屋になっていた。人前に出てしゃべるだけで赤面しちゃうような感じ。そういう話を今すると、冗談にしか聞こえないんだけども(笑)。

 大学は文系の学科が苦手で理工系に進んだんだけれど、その時は世の中的に情報工学、情報処理技術者とかが流行っていた時代で、今後は有望だろうと思ってコンピュータのサークルにも入りました。でも、いきなり嫌いになったんだよね。

 「コンピュータはつまんない」って思っているうちに、全く別の分野で日本が誇る歴代の創業者にものすごく興味を持った。それこそ本田宗一郎さんや松下幸之助さん、井深大さんや盛田昭夫さん――。そのほか国内に限らず、世の中の経営者全般に興味が傾いていったんだ。

 それで「いつか自分で会社を作ろう」と思いつつ、まずは尊敬する創業者のいるソニーに入った。その頃のソニーはまだ井深さんも盛田さんもいらっしゃったので、創業者のいる会社はすごく魅力的に映りました。かつ、他のエレクトロニクス関連企業と比べてもすごく自由闊達といった雰囲気があった。

 その中で、これはどこでも話すんだけれども、井深さんがソニーに社名変更する前の東京通信工業株式会社設立の際に書かれた「設立趣意書」というのがある。その中にいろんなフレーズが書いてあるんだけれども、「他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う」というワンフレーズがあって、これが強烈で今でも僕はめちゃくちゃ好きなんだよね。

 そういう“ソニースピリッツ”にものすごく惹かれてソニーに入って、その後30歳になった時にベイン・アンド・カンパニーというコンサルティング会社に転じ、そこで勉強というか修行というか……。

小池:確かに、コンサルタント会社って1年行くとMBA2年分ぐらい学べるって言うもんね。で、ソニーではどんなことを?

前刀:海外営業と新規事業部門を経験しました。最初に入ったのがプロ向けの放送局や業務用ビデオの海外営業部門で、英語ができないにも関わらずそんなところに入れられたから大変な思いをした。あとはテレビ会議システムなんかもやったね。そういう意味で映像通信はその頃からかかわっているなあ。

小池:セールス、マーケティング、企画で言うとどこを?

前刀:自分が過去持っている名刺を振り返ってみると、一番多い肩書は「ビジネスディベロップメント」。だから人から仕事を引き継ぐことはまず皆無に近い。必ずそこに自分なりの考えを入れていくという仕事がほとんどだね。

 ということもあって、さらに自分が人のアドバイスだけしているのが好きでもないので、2年ちょっとベインにいた後に入ったのがウォルト・ディズニー・ジャパン。

 まず最初にウォルト・ディズニーの通販カタログのビジネス、その後、ディズニーのCD-ROM商品、ディズニーのウェブサイトをそれぞれ立ち上げた。一番最初にやったディズニーの通販ビジネスは、大阪の千趣会と組んでビジネスプランニングからやりました。

 通販のビジネスはご存じだと思うけれど、レスポンスレートが低いものでは1%も出せない。5%を超えたら大成功なんだけれども、ディズニーのカタログは創刊号を100万部出して、レスポンスレート、つまり購買率が20%を超えていた。

小池:20%って驚異的ですよね。

前刀:驚異的、驚異的。本当に大成功で、「ディズニーファンタジーカタログ」っていうんだけれど、十何年たっているけれど未だに千趣会と続いていますよ。

 それと当時、ソニーにいたということもあって、「こんなことが先々ネットでできるようになるよね」という技術寄りのこともよく考えていた。例えば、今はまだ実現していないけれど、ショッピングのナビゲーターとしてミッキーが出てきて、インタラクティブに会話をしながら買うとか──そんなことができるようになるとかね。

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