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三条実重

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三条実重
『天子摂関御影』実重公
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 正元元年(1259年
死没 嘉暦4年6月26日1329年7月23日
改名 実重→覚空(法名)
別名 三条入道相国
官位 従一位太政大臣
主君 亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 三条家
父母 父:三条公親、母:洞院実雄の娘
兄弟 実重、房子、久明親王宮人、御匣殿、源彦仁
養兄弟:喜子[1]
正室:中院通成の娘、家女房
公茂実忠
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三条 実重(さんじょう さねしげ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿内大臣三条公親の子。官位従一位太政大臣三条入道相国と号す。

経歴

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以下、『公卿補任』の内容に従って記述する。

正応5年の左右近衛大将人事

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正応5年(1292年)は西園寺公衡が更迭されたことにより、近衛大将の人事に混乱が生じた年である。同年5月15日、左大将には権大納言花山院家教が、右大将には権大納言西園寺公衡が任じられた。しかし閏6月16日に公衡が更迭されたために、先に右大将を止められていた三条実重は改めて左大将に、左大将に任じられていた家教は右大将にということになった。しかし実重は12月に左大将を止められて左大将の後任には権大納言久我通雄が任じられた。左大将久我通雄、右大将花山院家教という体制で永仁5年(1297年)まで続くことになった。

系譜

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脚注

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  1. ^ 従三位。二条良実娘。徳大寺公孝

参考文献

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