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竹本咲太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹本 咲太夫(たけもと さきたゆう)は、義太夫節の太夫。

轡紋

竹本咲太夫と、豊竹咲太夫は異なる名跡である。

初代

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後の初代竹本男徳斎(なんとくさい)。定紋は轡紋。

2代目

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後の2代目竹本男徳斎

3代目

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(生年不詳 - 文化5年3月2日1808年3月28日))

初代竹本春太夫の門弟の重太夫が3代目咲太夫を襲名。

通称を「堺屋三右衛門」、「油屋彦三郎」。

4代目

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生没年不詳

初代豊竹巴太夫の門弟の秀太夫が1809年に4代目咲太夫を襲名。

5代目

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(生没年不詳)

6代目

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後の3代目豊竹巴太夫

7代目

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(文化7年4月8日1810年5月10日) - 明治3年8月1日1870年8月27日))

5代目竹本政太夫の門弟の琴太夫、1842年初舞台。1842年1843年とも)に7代目咲太夫を襲名。後に3代目巴太夫の養子。

本名は大黒屋竹治郎。

8代目

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(生年不詳 - 明治4年(1871年)2月以後)

豊前中津の生まれ、3代目竹本長門太夫の門弟、1864年に7代目咲太夫の預かり弟子。卯太夫が7代目咲太夫没後の1870年に8代目咲太夫を襲名。

9代目

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(生没年不詳)