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大口周魚

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大口鯛二から転送)

大口 周魚(おおぐち しゅうぎょ、元治元年4月7日1864年5月12日) - 大正9年(1920年10月13日)は、名古屋生まれの歌人書家古筆研究家、宮内省御歌所寄人。本名は鯛二(たいじ)、本名の「鯛」の字を分けて周魚した。

業績

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懐紙

明治から大正時代を代表する歌人であり、かな書家である。明治29年(1896年)8月、京都西本願寺の庫裡の古書の中から後奈良天皇下賜の『西本願寺本三十六人家集』を発見して世に紹介したことは、学界書道界への一大功績であった。古筆の研究に励み、阪正臣田中親美らと古筆やその情報を交換しあった。門弟の尾上柴舟も古筆第一主義をとり、周魚の古筆研究への貢献は甚大であった。

略歴

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和歌は初め伊東祐命に習い、明治22年(1889年)宮内省御歌所に入ってからは所長の高崎正風に学び、明治39年(1906年)寄人となる。また「千種会」という歌の会を作り、全国に5万人の会員があったといわれる。

は歌人だけにかな書を得意とし、行成流に学び、高野切第二種系統の書風である。御家流の盛んな時代にあって、古筆の緻密な研究成果を法書会発行の100号にわたる『書苑』誌上や『月台』などに発表した。また『西本願寺本三十六人家集』を発見した功により、西本願寺が1年ほど貸してくれたため、東京に持ち帰って模写した。

略年譜
元治元年 1864年 名古屋に生まれる。
明治22年 1889年 25歳 宮内省御歌所に入所する。
明治23年 1890年 26歳 難波津会」が結成され、上代様の研究・復興に参画する。
明治29年 1896年 32歳 西本願寺の庫裡の中から『西本願寺本三十六人家集』を発見する。
明治30年 1896年 32歳 宮内省御歌所録事(ろくじ、文書の管理などをする職)になる。
明治39年 1906年 42歳 寄人になる。
大正5年 1916年 52歳 作品『道成寺のかたに』を書す。
大正9年 1920年 56歳 永眠。

栄典

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代表作

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  • 『遠山雪』
遠山雪 周魚
あまぐもの よそのたかねも たかどのの まどにせまりて ゆきぞはれたる
  • 『春月』
みゆるもの みなおぼろにて ゆめのくに たどるににたり はるのよのつき
春月 周魚
  • 『田家早梅』
田家早梅 周魚
うらちかき さとはふゆこそ なかるらし むぎふあおみて うめのはなさく
  • 『道成寺のかたに』
ひだかがわ かへらぬみづの あとおひて うらみのふちに ちるさくらかな
道成寺のかたに 周魚
  • 『無題』
ことさらに うゑぬくさまで 花さきて にはおもしろき 秋にはなりぬ 鯛二
珍しく「鯛二」と本名を署名している。自詠は本名を書くのが正式だが、自詠でも「周魚」と署名しているものが多い。
  • 『寒林』
寒林
ゆきしろき 野ずゑのやまの みえすぎて くぬぎのはやし こがらしのふく 周魚
  • 『旅山雪』
旅山雪
かへりみる やまはふぶきに かくれけり うれしくみちを いそぎてぞこし 周魚

著書

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  • 『大口鯛二翁家集』
  • 『女子習字教科書』
  • 『金玉集略解』

師弟関係

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脚注

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  1. ^ 『官報』第5842号「叙任及辞令」1902年12月22日。

関連項目

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参考文献

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  • 飯島春敬ほか 『書道辞典』(東京堂出版、1975年4月)
  • 「近代日本の書」(『芸術新聞社、1981年10月臨時増刊)
  • 「かな百科」(『墨』芸術新聞社、1990年6月臨時増刊 書体シリーズ4)