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グループこまどり

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劇団こまどりから転送)

グループこまどりは、1948年から2003年まで存在した声優プロダクション。1980年代までの名称は「劇団こまどり」であり、児童劇団として活動していた。

概要

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1948年、武田菱一によって児童劇団「劇団こまどり」として設立。その後、代表となった西村サエ子が学業と仕事を両立できるよう所属する子に配慮をした結果、拘束時間の少ない声優の仕事が多く入るようになる。

1980年代後半に団員募集を停止。解散する予定だったが、その前後で所属する子役の多くが声優として売れっ子になったため、西村による「子どもたちが大きくなるまでは面倒を」との判断で活動を継続。この事情から、同時期に団体名を「グループこまどり」に改称、活動を声優分野に特化していった。これ以降に所属したのは、知人の縁で面接し入団となった坂本真綾だけであった。

1993年、所属者全員を対象にしたオフィシャルファンクラブ「L'AMBITION(ラムビション)」が設立され、ファンクラブイベントも行われた。運営は株式会社ケイオーエックスラジオが行った。

2003年3月、代表の西村が「(所属者に)それぞれの目的が見えてきた」「次の大きなステップへとそれぞれ駒を進めさせたい」と考えたことで引退を決め、それに伴い解散した。当時所属していたメンバーは引退および他の事務所へ移籍となり、ファンクラブも同時期に閉鎖となった[1]

2018年、坂本真綾が同じ事務所であった浪川大輔に公式ファンクラブと同じ「L'AMBITION」と言う楽曲の歌詞を提供した。

代表を務めた西村サエ子はマネージャーも兼任。所属者に対しては家族のような付き合いで様々なことを教えたといい、坂本真綾は「第二の母であり師匠」と語っている[2]

解散時点での所属者

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かつての所属者

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声優

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声優以外

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脚注

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  1. ^ 西村サエ子 (2003年4月). “L'ambitionの幕を降ろす時”. L'AMBITION. KOX. 2003年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月28日閲覧。
  2. ^ 第10回 GUEST:グループこまどり代表 西村 サエ子”. 坂本真綾 【I.D.】 12人の優しい人たち. ビクターエンタテインメント. 2024年1月28日閲覧。

外部リンク

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