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ピタゴラス教団

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ピタゴラス学派から転送)
日の出を祝うピタゴラス(Fyodor Bronnikov画)

ピタゴラス教団(ピタゴラスきょうだん、: Pythagorean Order)は、古代ギリシアにおいて哲学者ピタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社[1]ピタゴラス派: Pythagoreans, 古希: Πυθαγόρειοι)ともいい、ピタゴラス派の教説をピタゴラス主義 (: Pythagoreanism) という。

概要

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イタリアクロトン(現クロトーネ)に本拠を置き、数学音楽哲学研究を重んじた。前5世紀ごろに盛んであった。

オルペウス教の影響から輪廻転生の考え方を有していた。また原始共産制を敷いており、ティマイオスによると、ピタゴラスは財産を共有することを結社に入る第一の条件にしていた。

この時代の宗教結社に共通することではあるが、結社外に教えを伝えることは禁じられていた。このため、ピタゴラス教団に関する資料は少なく、実態が明らかでない。古代の証言からは、数学の研究を重んじた派と、宗教儀礼を重んじた派のふたつがあった[2]ことが知られている。また、宗教儀礼を重んじた派の風習として、ソラマメを食べないなどの禁忌があったことが有名である。[3] この派に属していた者として医学者のアルクマイオンが挙げられる。

また、ピタゴラス教団自体が秘教的で教えを外部に伝えなかったことだけでなく、ピタゴラスの伝記伝説おとぎ話に満ちたものとなっているということもピタゴラス教団の実態を不確実なものとしている。新プラトン主義者のポルピュリオスイアンブリコスが書いた伝記が、ピタゴラスの生涯を歴史哲学的な物語として描いている[4]

ピタゴラス本人を含めて前期ピタゴラス教団の人々は著述を一切残さなかったが、後期のピロラオスプラトンの『パイドン』で言及される)、エウリュトスアルキュタス(プラトンの同時代人)といった人々がピタゴラスの思想を間接的に伝えている[4]

プラトンはピタゴラス派の影響を受けている。アリストテレスは『形而上学』で、プラトンの影響源としてクラテュロスソクラテスとともにピタゴラス派を挙げている[5][6]。プラトン対話篇では上記『パイドン』のほか、『国家』第10巻の「天球の音楽[7]エルの物語)など、多くの対話篇にピタゴラス派に関する記述がある[8]。これらから「プラトンの不文の教説英語版」として、プラトンはピタゴラスを祖述しているのだと古くから解釈された[8]

ピタゴラス派は前4世紀に衰退したが、前1世紀以降の新ピタゴラス派により再興された。新ピタゴラス派による再興運動は、上記の「不文の教説」を背景に新プラトン主義者に受け継がれ、上記のポルピュリオスらがピタゴラス伝を書くに至った。

思想

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ピタゴラスの像

ピタゴラス派の根本思想は均整及び調和の理念で、この理念が日常生活から宇宙全体までを支配しているのだと考えられた。万物は宇宙の中心点である中心火の周囲を決まった軌道を通って周行するものとされた[4]

そして、均整及び調和の理念を基礎づけるものがピタゴラスの数論であった。ピタゴラス学派が数を原理と考えたということについて、アリストテレスはあるときには「数が物体の質料だと彼らは考えた」といったことを述べ、またあるときには「数が物体の原型であると彼らは考えた」といったことを述べている。このため、ピタゴラス学派の中には数を実体だと考える人々と数を物の原型としか考えない人々が混在していたのだと考えられている。ただしアリストテレスはピタゴラス学派の人々がおのおの二つの考えを同時に持っていたのだと考えている。アリストテレスと違ってピタゴラス学派の人々は形相的原理と質料的原理の区別を知らなかったことに注意しなければならない[4]

また、数論の現実的な領域への適用として、数と物事を結びつける、数を物事の象徴とするといったことが行われたが、正義を3に還元する者、4に還元する者、5に還元する者が学派内に混在していた[4]

出典

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  1. ^ 甲田烈『手にとるように哲学がわかる本』2008年、かんき出版ISBN 978-4-7612-6529-8。50ページ
  2. ^ B・チェントローネ 斎藤憲訳 (2000). 『ピュタゴラス派 その生と哲学』. 岩波書店. pp. 101-105 
  3. ^ B・チェントローネ 斎藤憲訳 (2000). 『ピュタゴラス派 その生と哲学』. 岩波書店. pp. 111-113 
  4. ^ a b c d e シュヴェーグラー『西洋哲学史(上巻)』谷川徹三松村一人訳、岩波文庫1958年改版 ISBN 978-4003363614
  5. ^ 形而上学』第1巻第6節、987a29-987b14
  6. ^ 浅野, 幸治「イデア論生成の二つの論理 : 「相反する現われ」と「多の上に立つ一」」『愛知 : φιλοσοφια』第14巻、1997年、12頁。 
  7. ^ 伊藤, 玄吾「西洋古代からルネサンスに至るハルモニア論と教育思想(シンポジウム 報告論文)」『近代教育フォーラム』第29巻、2020年、63頁、doi:10.20552/hets.29.0_60 
  8. ^ a b 納富信留『ギリシア哲学史』筑摩書房、2021年。ISBN 9784480847522 184f頁。

関連項目

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外部リンク

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