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ノート:部派仏教

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無名の節1

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上座部の"無畏山派"を調べているときに中国語の資料に出くわしますた。この記事より詳しいのですか系譜が微妙に違う。[1] 現在の上座部の起源がちゃんと記されているのでこの中国語の資料のほうが便利なのですが北伝なのか南伝なのかそれとも両者の記述を現在の資料を基に統合したの分かりません。Vapour

南伝18部派

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現在、南伝18部派に以下が入り20部派になっています。

上座部(Sthaviravāda)(→分別説部(Vibhajjavāda)/上座部仏教(Theravāda))

一般に小乗20部派と言う言い方をする場合に分別説部は、入りますが18部と言う場合には入りません。また20部派と言う言い方をする場合には、分岐が諸説あって確定しません。とりあえず数も合わないので削除しました。[2]--Nozawa onsen potta会話2012年7月1日 (日) 04:59 (UTC)[返信]

外国の記事にあるのであれば、出典を示してください。南伝18部派と現在の上座部との関係を示したいのであれば、どこから分別説部が分岐するかが問題になります。これが確定しないので、図化が困難なわけです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月13日 (金) 22:50 (UTC)[返信]

記事中にもありますように、「南伝」というのは、言うまでもなく、テーラワーダ仏教側の資料である『マハーワンサ』の説ということであり、当然自分達は上座部の正当な後継者と自己規定しているわけですから、上記のようなカッコ付きの併記で問題ないと思います。英語版の記事でも、中国語版の記事でも、そのように併記しています。
またこのように併記しておけば、これはあくまでも上座部仏教(テーラワーダ)側の言い分なのだということが明瞭になり、批判的・相対的な見方をするのにも役に立ちますし、また、分別説部の記事から、この部派仏教の記事に来た人達にしてみれば、分別説部の文字が記事中の分裂表の中に無いと、訳がわからなくなってしまいます。元々の上座部=テーラワーダなのだと短絡してしまう人もいるかもしれません。
そうした諸々の理由から、上記のようなカッコ付きの併記が望ましいと思いますが、いかがでしょうか。--220.111.120.60 2012年7月15日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

1)マハーワンサに18部の話が掲載されていて、かつ、それとの接続関係が示されているわけではないのではありませんか?

2)また上座部仏教の言う上座は、示された図の通りでは無く、分裂前を指すのではありませんか?なぜならばマハーワンサの分裂に関する年代だけが、他の上座部とも合わず、マハーワンサの言う始末分裂が終了している時期と、他の根本分裂の開始が、ほぼ一致する為です。

3)訳がわからなくなってしまいます。>色々な資料があり、主張が違うのだから、訳がわからないのは、当然だろうと思います。訳がわからないものを、訳がわかるようにしても仕方ないし、それこそ、ここでやれば独自研究として排斥される行為なのではありませんか?

4)分別説部は、一派をなしえたかどうかも不明な部派とされています。従って図化に値するほど重視することさえ独自研究的だと思います。これが重視されるのは、現在の上座部仏教の関係があるからだと思われますが、これはご指摘になっている通りです。

5)従って、懸念なさっているような問題の種になりうるのも事実だろうと思いますが、取り上げるほどでも無いのだから取り上げないと言うことのほうが、ここのルールに即していると思います。--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 08:39 (UTC)[返信]

IPのままノートに書き込み続けるのもどうかと思ったので、アカウント作りました。よろしくどうぞ。
ええ、おっしゃることはよく分かりますので、無理強いするつもりはありません。ただ、上記しましたように、あまり知識の無い人達が様々な誤解をしたり、「?」になってしまわないように、もう少し門外漢にとっても優しい記事にならないものかとは思います。
そこで、例えば、「北伝」「南伝」の下に、「異部宗輪論による説」「マハーワンサによる説」等と付記したり、分裂表の下あたりに、Nozawa onsen pottaさんが書いたように、「分別説部は、・・・」といった記述を少し加えると、だいぶ分かりやすくなると思いますが、いかがでしょうか。--Kopolopo会話2012年7月15日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

では、ひとつの資料として、[3]を提示します。私の言ってる事と似通っていますが、別に指示しているわけでは無く参考資料として、まとまっていると思っているだけです。これによると、南伝は、上座から伸びて、どまんかなになっています。また、その上の仏音の表も18種類ですが、大寺派なのに、このなかには分別説は含まれません。つまりスリランカの史書に分別説の分岐が無いのです。確かにマハーワンサには、分別説を教えると言う下りが出てくるのですが、全部読んでもほんのちょっと、それっぽいだけなんです。と言うことで、スリランカを100%信用するとしても、ご指摘の図は出来ないわけです。と言う事は、海外の図は、幾つかの合成だと思われますが、これは合成そのもので、こんどは、そちらのルールに掛かるわけです。一概に否定しないにしても、ルールに合わせる方法が、私には見つけられません。どうすれば表現できて、かつルールに当たらないでしょうか?--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 09:37 (UTC)[返信]

ここに書いて良いことは、結局は一次出典があるかどうかと、複数の一次出典を使っても良いが、出典と出典の間の規程を独自に行わないことです。折衷案的に、こうなると言われれば納得するからではダメなんです。--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 10:07 (UTC)[返信]

Nozawa onsen pottaさんの意見をまとめると、現在の「北伝」「南伝」とか、「20部派」「18部派」とかいった大まかな括りも用いるべきではなく、出典ごとに個別に書くべきだということになりますが、いかがでしょうか。英語版の記事もそのように個別に書いていますね。--Kopolopo会話2012年7月15日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

図で、上座、分別説部、上座部仏教を示そうとすると、最低でも、英語版のようにならざるを得ないのが、ここのルールです。そうすると今度は図だらけになってしまう。また世に言う?18部と言う言い方は、婆沙論によるもので、確認頂いたように、マハーワンサによるものでは無いのでは無いかと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 19:48 (UTC)[返信]

図だらけになってしまったとしても、Nozawa onsen pottaさんがおっしゃる「恣意性・独自研究性の排除」を考えるのであれば、「北伝」「南伝」とか、「20部派」「18部派」といった表源は用いず、出典ごとに個別に書いていくべきですよね。Nozawa onsen pottaさんの主張に則ると、現在の記事のあり方も多分に「恣意的・独自研究的」ということになります。--Kopolopo会話2012年7月15日 (日) 20:06 (UTC)[返信]

ではもうひとつ面倒な事を書きますね。現在の上座部仏教ですが、マハーワンサや少史には、上座部仏教を示すテーラワーダと言う言葉は出てこないんです。出てくるのは大寺派などの古代の三派だけで、それこそイギリスに最後の王朝が倒されるまで出てこない言葉です。どこで上座部仏教と言う具合に、すり替えが起きたのか判りません。大寺派を分別説部に接続するだけで、かなり苦労しますが、大寺派を現在の上座部仏教に接続するのは、もっと困難です。なにか資料をご存知ありませんか?ここが繋がらないと結局は、おっしゃってる意味をなさないでしょう?--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 20:11 (UTC)[返信]

分別説部やテーラワーダに関しては、つながりを確定しづらいということで、だいたい了解しました。(ただ、それならその旨を記事中に付記しておいた方が、門外漢には親切だとは思いますが。)
今はそこから離れて、分裂図の「恣意性・独自研究性の排除」に関して、話を続けたいと思いますが、よろしいでしょうか。--Kopolopo会話2012年7月15日 (日) 20:23 (UTC)[返信]

図にできるのは、どこかに図があるか、図の元になる記述があるからだと思いますが、これが無い場合は、「恣意性・独自研究性の排除」に当たると言うことです。世に当たり前に言われている上座部仏教の起こりそのものが、ここのルールだと「恣意性・独自研究性」では無いかと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 20:33 (UTC)[返信]

ええ、ですから、上座部仏教に関してはもういいです。記事中の分裂図と出典の話に移りたいのですがいいですか? Nozawa onsen pottaさんの言い分に則りますと、記事の現状も放置できないということになりますし、色々編集していかねばなりません。--Kopolopo会話2012年7月15日 (日) 21:03 (UTC)[返信]

確認しますが、現在の上座部仏教が上座部とどういうリンケージを持っているか示したいのではありませんか?そうであれば、複数の図が必要で、特に困難なのは大寺派から上座部仏教に接続する所ですと言うことです。また18部に従った記述をしたいのであれば、私が削除した部分さえ削除すれば良いのではないかと思っています。と言うことで、何をどういう風にしたいか言って頂ければ、それに合わせた出典と図の数を、提案できると思います。--Nozawa onsen potta会話2012年7月15日 (日) 21:15 (UTC)[返信]

北伝の節にある罫線について

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部派仏教#北伝(20部派)の節の途中に、

*[[大衆部]](Mahāsaṃghika)
**[[一説部]](Ekavyahārikas)
**[[鶏胤部]](Gokulika)
**[[多聞部]](Bahuśrutīya)
**[[説仮部]](Prajñaptivāda)
**[[説出世部]](Lokottaravāda)<br />--------
**[[制多山部]](Caitika)
**[[西山住部]](Apara Śaila)
**[[北山住部]](Uttara Śaila)

というふうに説出世部の行のうしろに罫線がありますが、これは何を意味しているのでしょうか? ご存知のかたはご教示くださると助かります。--Leonidjp会話2017年10月2日 (月) 14:43 (UTC)[返信]