選り抜き記事
光厳天皇は、日本の北朝初代天皇。諱は量仁。後伏見天皇の第三皇子。母は左大臣西園寺公衡の娘で後伏見の女御の西園寺寧子。後醍醐天皇によって廃位されたが、建武政権崩壊後に治天の君となって北朝を主導し、室町幕府との公武徳政や『風雅和歌集』の親撰などを行った。天龍寺や安国寺利生塔の建立にも関与している。正平一統が破綻した際、南朝によって拉致された。
正和2年(1313年)7月9日、誕生。幼少期は持明院統の正嫡として、叔父である花園上皇をはじめとする親族から帝王教育を受けた。嘉暦元年(1326年)7月、後醍醐天皇の皇太子となる。元弘元年(1331年)9月20日、鎌倉幕府の打倒に失敗した後醍醐が京都を出奔したことで、19歳で践祚……
- 顕生代とは、地質時代の累代のひとつ。先カンブリア時代の終わりから現在までの期間。顕生代とは「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味であるが、実際には三葉虫などの生物化石が多数産出し始めるカンブリア紀以後を指す……
- 宝永大噴火とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている。噴火は約2週間続き、総噴出量は、約7×108 m3と推定されている。……
- エルンスト・カルテンブルンナーは、オーストリア及びドイツの法律家、政治家。ナチス親衛隊の幹部。オーストリアの親衛隊及び警察高級指導者を経て、1943年にRSHA長官となり、ヨーロッパにおいてユダヤ人の絶滅政策の執行にあたった……