鳥居忠威
鳥居 忠威(とりい ただあきら)は、江戸時代後期の大名。下野壬生藩の第5代藩主。壬生藩鳥居家9代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化6年(1809年) |
死没 | 文政9年11月11日(1826年12月9日) |
改名 | 直之助、檮三郎(幼名)→忠威 |
別名 | 忠章 |
戒名 | 寛量院殿仁応了義大居士 |
墓所 | 大阪府大阪市北区の栗東寺(墓碑は現存せず) |
官位 | 従五位下、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 下野壬生藩主 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 父:鳥居忠燾、母:恒子(内藤頼尚の娘) |
兄弟 | 忠居、忠挙 |
子 | 養子:忠挙 |
生涯
編集文化6年(1809年)、第4代藩主・鳥居忠燾の次男として生まれる。文政4年(1821年)、父の死去により跡を継ぎ、文政8年(1825年)12月16日には叙任するが、翌年11月11日に大坂城で死去した。享年18。跡を弟で養子の忠挙が継いだ。
系譜
編集父母
養子
- 鳥居忠挙 ー 実弟