内藤 頼尚(ないとう よりたか)は、江戸時代中期の大名信濃高遠藩の第4代藩主。高遠藩内藤家9代。

 
内藤頼尚
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦2年2月27日1752年4月11日
死没 安永5年10月19日1776年11月29日
改名 勇之助(幼名)、頼尚
戒名 随雲院殿寛誉梁山道仙大居士
墓所 東京都新宿区新宿の太宗寺
官位 従五位下、伊賀
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
信濃国高遠藩
氏族 内藤氏
父母 父:内藤信興、養父:内藤頼由
兄弟 信旭信凭頼尚
正室:太田資俊の娘
娘(細川利庸正室)、娘(保科正徳正室)
娘(鳥居忠燾正室)、養子:長好
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宝暦2年(1752年)2月27日、越後村上藩主・内藤信興の三男として生まれる。明和9年(1772年)7月10日に第3代藩主・頼由の養子となり、安永5年(1776年)2月5日、養父が隠居したために跡を継いだ。しかし同年10月25日に死去した。享年25。子は全て女児のため、養子の長好が跡を継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

養子