高昌寺(こうしょうじ)は、愛媛県内子町城廻にある寺院。八日市護国地区(国の重要伝統的建造物群保存地区)の最上部に位置している。山号は護国山、宗派は曹洞宗、本尊は聖観音菩薩新四国曼荼羅霊場の第五十番札所である。

高昌寺

中雀門
所在地 愛媛県喜多郡内子町城廻117
位置 北緯33度33分36.5秒 東経132度39分12.7秒 / 北緯33.560139度 東経132.653528度 / 33.560139; 132.653528座標: 北緯33度33分36.5秒 東経132度39分12.7秒 / 北緯33.560139度 東経132.653528度 / 33.560139; 132.653528
山号 護国山
宗派 曹洞宗
本尊 聖観音菩薩
創建年 嘉吉元年(1441年
開山 大功円忠
中興年 天文2年(1535年
中興 曽根高昌
別称 楠木寺
(楠寺)
札所等 新四国曼荼羅霊場50番
公式サイト 高昌寺
法人番号 1500005002840 ウィキデータを編集
高昌寺の位置(愛媛県内)
高昌寺
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御詠歌:涅槃会の 祭りは今も 尚続く 町並み臨む 楠の木の寺

概要・歴史

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嘉吉元年(1441年)に防州の大功円忠が常久寺の地に浄久寺を創建した。天文2年(1535年)のとき、曽根高昌がその寺に帰依し寄進し、現在地に移転して堂塔伽藍を整備、彼の死後、護国山高昌寺に改称し、隆盛を誇り末寺24ケ寺となった。文化4年(1807年)、失火により諸堂は灰燼と化すも、本尊と開創の像と山門は難を逃れる。翌年直ちに再建に取り掛かる。その時、大洲藩加藤泰興の寄進により復活を果たし、現在にいたる。なお、その再建の際、柳沢村の良質の楠木を賜り各所に使用したため、別名楠木寺と呼ばれる。伽藍配置が本山永平寺に似ていることから、伊予のミニ永平寺とも称される。

伽藍

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  • 山門
  • 中雀門
  • 仏殿(本堂): 大雄殿ともいう。本尊(聖観音)と両脇佛(毘沙門天・不動明王)を拝顔できる。
  • 開山堂:本堂の背後に続いている。
  • 選仏場(禅堂):向って左
  • 勧学寮:向かって右
  • 方丈
  • 鐘楼
  • 涅槃仏:山門前の境外にあり、平成10年(1998年)11月建立、長さ10m重量200t
  • 駐車場:約30台

前後の札所

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新四国曼荼羅霊場
49番 伊豫稲荷神社 - 50番 高昌寺 - 51番 龍澤寺

周辺

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文化財

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  • 町指定有形文化財[1]
    • 本堂
    • 山門
    • 中雀門及び廻廊
    • 位牌堂
    • 坐禅堂

参考文献

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  • 新四国曼荼羅霊場会/監修 『新四国曼荼羅霊場ガイドブック』えびす企画/刊 2007年1月
  • 「高昌山 参拝のしおり」高昌寺護持会発行 昭和59年(1984年)3月

脚注

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  1. ^ 内子町ホームページ(PDF)

外部リンク

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