頼 (姓)
漢姓 (らい)
頼(らい)は、漢姓の一つ。
頼 | |||||||||||||||||||||||
中国語 | |||||||||||||||||||||||
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中国語 | ライ | ||||||||||||||||||||||
繁体字 | 賴 | ||||||||||||||||||||||
簡体字 | 赖 | ||||||||||||||||||||||
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朝鮮語 | |||||||||||||||||||||||
ハングル | 뇌(韓)、뢰(朝) | ||||||||||||||||||||||
漢字 | 賴 | ||||||||||||||||||||||
英語 | Noe(韓),Roe(朝),Noe(韓),Roe(朝),Roi, Noi |
中国
編集2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っていないが[1]、台湾の2018年の統計では19番目に多い姓で、311,106人がいる[2]。特に屏東県佳冬郷下埔頭は住民の9割が頼姓であり、後に頼家村に改称された。
由来
編集通常は周代に存在した諸侯国(頼)の名に由来するとされる[3]。
著名な人物
編集朝鮮
編集頼(ノェ、ロェ)は、朝鮮人の姓の一つである。
著名な人物
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氏族
編集昔の文献には記録があったが、公式には1960年度国勢調査で初めて発見された。
人口と割合
編集1960年度の国勢調査当時、京畿道に1人、忠清北道に4人、計5人がいた。
年度 | 人口 | 世帯数 | 順位 | 割合 |
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1960年 | 5人 | 258姓中246位 | ||
1985年 | 274姓中268位 | |||
2000年 |
日本
編集頼(らい、より)は、日本の姓。
学者の家として有名な安芸の頼氏は屋号の頼兼屋に由来する[4]。
著名な人物
編集(らい)
- 頼春水 - 江戸時代の儒学者。
- 頼梅颸 - 江戸時代の歌人。頼春水の妻。
- 頼春風 - 江戸時代の儒医。頼春水の弟。
- 頼杏坪 - 江戸時代の儒学者。頼春風の弟。
- 頼山陽 - 江戸時代の歴史家、思想家、文人。頼春水の子。
- 頼采真 - 江戸時代の武士。頼杏坪の子。
- 頼聿庵 - 江戸時代の儒学者。頼山陽の長男。
- 頼三樹三郎 - 江戸時代の儒学者。頼山陽の三男。
- 頼桃三郎 - 国文学者。頼春風の子孫。
- 頼惟勤 - 中国文学者。頼聿庵の子孫。
(より)
出典
編集- http://terms.naver.com/entry.nhn?cid=200000000&docId=1077868&categoryId=200000217&mobile ネイバー知識検索 뇌 (S)뢰 (N) [ 賴 ]
脚注
編集- ^ “《二〇二〇年全国姓名报告》发布_部门政务_中国政府网”. www.gov.cn (2021年2月8日). 2023年1月19日閲覧。
- ^ “全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 280 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。
- ^ “通志·卷二十五~卷二十六”. 2015年12月13日閲覧。 “子爵。蔡州褒信有頼亭、即其地也。昭四年為楚所滅、子孫以国為氏。”
- ^ “賴惟清旧宅”. 竹原市. 2019年9月11日閲覧。