野田城駅

愛知県新城市野田にある東海旅客鉄道の駅

野田城駅(のだじょうえき)は、愛知県新城市野田東浄悦にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線である。

野田城駅
駅舎(2007年2月)
のだじょう
Nodajō
東上 (2.7 km)
(1.9 km) 新城
地図
所在地 愛知県新城市野田東浄悦2
北緯34度53分22.31秒 東経137度28分40.81秒 / 北緯34.8895306度 東経137.4780028度 / 34.8895306; 137.4780028座標: 北緯34度53分22.31秒 東経137度28分40.81秒 / 北緯34.8895306度 東経137.4780028度 / 34.8895306; 137.4780028
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 飯田線
キロ程 19.7 km(豊橋起点)
電報略号 ノセ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
402人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1918年大正7年)1月1日
備考 駅員無配置駅
テンプレートを表示

概要

編集

当駅は、豊橋駅(愛知県)と辰野駅長野県)を結ぶJR飯田線の中間駅(途中駅)の一つであり、新城市新城地区の西部地区(旧・南設楽郡千郷村域)に位置する。駅名の「野田城」は「野田城の戦い」の舞台となった戦国時代野田城に由来だが、野田城址は東上駅とのほぼ中間の地に位置する。

1918年大正7年)に、豊川鉄道によって開設した。その後国有化を経て、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に伴いJR東海経営に移っている。

歴史

編集

野田城駅を開設した豊川鉄道は、現在のJR飯田線南部に当たる豊橋 - 大海間を運営していた私鉄である。当駅を挟む三河一宮 - 新城間は1898年(明治31年)に開通するが、それから20年を経た1918年1月に当駅は新設された。

1943年(昭和18年)8月、豊川鉄道線は買収・国有化され国鉄飯田線が成立する。これによって当駅も国鉄の駅となった。1971年(昭和46年)には開業時からの貨物取扱が廃止されて旅客駅となり、そのまま1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に継承されている。

年表

編集

駅構造

編集

相対式ホーム2面2線を有する地上駅である[4]

ホーム番線は北側が1番線、南側が2番線である[4]単線上にある交換駅であり、列車の交換(行き違い)が可能である。

駅舎は1番線(下り線)ホーム側にあり、互いのホームは構内踏切で連絡している。駅員が配置されない無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[5]

ホームの使用状況
番線 路線 方向 行先
1   飯田線 下り 中部天竜飯田方面[6]
2 上り 豊橋方面[6]

停車列車

編集

野田城駅には、豊橋方面(上り)・飯田方面(下り)の双方共1時間当たり概ね1・2本(ラッシュ時は最大3本)の列車が停車する。停車する種別は普通列車と、上りのみ設定されている快速列車の2種類。特急伊那路」は通過する。

駅周辺

編集
 
横浜ゴム新城工場

隣の駅

編集
東海旅客鉄道(JR東海)
  飯田線
快速(上りのみ運転)・普通
東上駅 - 野田城駅 - 新城駅

脚注

編集
  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、99頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 東海旅客鉄道飯田支店(監修)『飯田線百年ものがたり』新葉社、2005年、92頁。 
  3. ^ 【社長会見】TOICA利用エリアの拡大について』(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年12月21日。オリジナルの2023年12月21日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20231221130449/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000043119.pdf2023年12月21日閲覧 
  4. ^ a b 川島令三『中部ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 塩尻駅-名古屋東部、講談社、2010年、34(配線図),76頁。ISBN 978-4-06-270064-1 方角は配線図と実際の地図との対照から補記。
  5. ^ 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、732,733頁。 
  6. ^ a b 駅構内の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(駅掲示用時刻表のPDFが使われているため。2015年1月現在)。

関連項目

編集

外部リンク

編集