野田城駅
野田城駅(のだじょうえき)は、愛知県新城市野田字東浄悦にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
野田城駅 | |
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駅舎(2007年2月) | |
のだじょう Nodajō | |
◄東上 (2.7 km) (1.9 km) 新城► | |
所在地 | 愛知県新城市野田字東浄悦2 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■飯田線 |
キロ程 | 19.7 km(豊橋起点) |
電報略号 | ノセ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
402人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)1月1日 |
備考 | 駅員無配置駅 |
概要
編集当駅は、豊橋駅(愛知県)と辰野駅(長野県)を結ぶJR飯田線の中間駅(途中駅)の一つであり、新城市新城地区の西部地区(旧・南設楽郡千郷村域)に位置する。駅名の「野田城」は「野田城の戦い」の舞台となった戦国時代の城・野田城に由来だが、野田城址は東上駅とのほぼ中間の地に位置する。
1918年(大正7年)に、豊川鉄道によって開設した。その後国有化を経て、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に伴いJR東海経営に移っている。
歴史
編集野田城駅を開設した豊川鉄道は、現在のJR飯田線南部に当たる豊橋 - 大海間を運営していた私鉄である。当駅を挟む三河一宮 - 新城間は1898年(明治31年)に開通するが、それから20年を経た1918年1月に当駅は新設された。
1943年(昭和18年)8月、豊川鉄道線は買収・国有化され国鉄飯田線が成立する。これによって当駅も国鉄の駅となった。1971年(昭和46年)には開業時からの貨物取扱が廃止されて旅客駅となり、そのまま1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に継承されている。
年表
編集駅構造
編集ホーム番線は北側が1番線、南側が2番線である[4]。単線上にある交換駅であり、列車の交換(行き違い)が可能である。
駅舎は1番線(下り線)ホーム側にあり、互いのホームは構内踏切で連絡している。駅員が配置されない無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅(駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[5]。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | 飯田線 | 下り | 中部天竜・飯田方面[6] |
2 | 上り | 豊橋方面[6] |
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ホーム
停車列車
編集野田城駅には、豊橋方面(上り)・飯田方面(下り)の双方共1時間当たり概ね1・2本(ラッシュ時は最大3本)の列車が停車する。停車する種別は普通列車と、上りのみ設定されている快速列車の2種類。特急「伊那路」は通過する。
駅周辺
編集隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、99頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 東海旅客鉄道飯田支店(監修)『飯田線百年ものがたり』新葉社、2005年、92頁。
- ^ 『【社長会見】TOICA利用エリアの拡大について』(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年12月21日。オリジナルの2023年12月21日時点におけるアーカイブ 。2023年12月21日閲覧。
- ^ a b 川島令三『中部ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 塩尻駅-名古屋東部、講談社、2010年、34(配線図),76頁。ISBN 978-4-06-270064-1。方角は配線図と実際の地図との対照から補記。
- ^ 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、732,733頁。
- ^ a b 駅構内の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(駅掲示用時刻表のPDFが使われているため。2015年1月現在)。
関連項目
編集外部リンク
編集- 動画で見るニッポンみちしる 野田城駅 - NHKアーカイブス