那覇市民会館(なはしみんかいかん、英語Naha Civic hall)は、かつて沖縄県那覇市寄宮に所在した多目的ホール1970年(昭和45年)11月に完成し、2016年(平成28年)10月に休館[1]

那覇市民会館
Naha Civic hall
情報
正式名称 那覇市民会館
開館 1970年11月18日
収容人員 大ホール:1,668人
中ホール:800人
客席数 1,372(大ホール)
延床面積 7,334.51m²
設備 大ホール
中ホール
用途 演劇・舞踊・音楽他行事等
運営 那覇市
所在地 902-0064
沖縄県那覇市寄宮1-2-1
位置 北緯26度12分27.673秒 東経127度41分37.021秒 / 北緯26.20768694度 東経127.69361694度 / 26.20768694; 127.69361694 (那覇市民会館
Naha Civic hall
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座標: 北緯26度12分27.673秒 東経127度41分37.021秒 / 北緯26.20768694度 東経127.69361694度 / 26.20768694; 127.69361694 (那覇市民会館
Naha Civic hall
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アクセス ゆいレール 安里駅下車、徒歩で約10分。
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その後、後継施設として、2021年(令和3年)10月31日に那覇文化芸術劇場なはーとを開館している[1]

概要

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アメリカ統治下にあった1970年昭和45年)11月に完成[2]

南風原村(現・南風原町)出身の建築家・金城信吉が設計。総工費は182万ドル(当時)だったが、そのうちの16万ドルは県内外の機関、市民からの募金で賄われている[3][4]

開館当初の大ホールの座席数は1,504席で、他に800人規模の収容の中ホールも擁していた[1]。また、大ホールには2枚の緞帳が備えられ、このうち朝日の模様が施された第2緞帳については、松下電器産業(現・パナソニック)からの寄付により製作された[2]

また、アメリカ統治下に置かれた戦後の沖縄においてアメリカ様式の建造物が増加していく中で、失われつつある沖縄の風景を取り戻したいという願いから、建物を構成する資材は沖縄の各地域から集め、「あまはじ」や「ヒンプン」など沖縄民家の伝統的な建築様式を採り入れている[5]

1993年(平成5年)度の大規模改造事業により大ホールの客席数は1,504席から1,372席となった[1]

2006年平成18年)には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている[6][7]

老朽化による休館、解体へ

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2007年(平成19年)頃以降、当施設では経年劣化によるコンクリート剥離が頻発していた[8][9]

那覇市では2015年(平成27年)度から耐震検査を行っていたが、老朽化に伴う耐震検査などを改めて実施するという名目で2016年(平成28年)11月より2017年(平成29年)6月にかけて一時休館する予定と一旦表明していた[10]

しかし、2016年(平成28年)10月12日に当時の那覇市長・城間幹子が、同年9月末まで実施した耐震検査の結果、国の耐震基準を満たしておらず、震度6強以上の大地震により可能性が高いことが判明した、と表明。そして、この検査結果を受けて、「市民の安心安全に万全を期すため」として表明翌日である同年10月13日から無期限で休館することを明らかにした[8][9]

その後、識者や沖縄市民で構成する「那覇市民会館保存可能性等検討委員会」を設置し、当施設の取り扱いについて協議を行った[6][11][12][13]

那覇市による調査では、耐震補強工事や柱、梁などの改修だけで約31億円が必要になるほか、内装の改修が必要になった場合は更に費用が嵩むとした。そして、補強や改修の完成まで少なくとも3年かかることも発表。更に、耐震補強と改修工事により20~30年は施設を維持できるとする一方で、この耐震補強工事では沖縄の伝統的建造物として評価が高い雨端(あまはじ)を複数の壁で固定する計画とされていることから「外観を損ねる恐れがある」との指摘が為されていた[11]

「保存可能性等検討委員会」による協議の結果、当施設自体は解体する一方で特徴的部分を再現する「部分復元」を基本とする方法が最良との結論に達し、2019年(令和元年)10月24日、市長の城間に答申を行った。再現すべき主な特徴的部分として、「ひんぷん」や「雨端(あまはじ)」(ひさし)、「赤瓦」を挙げた。そして、利用可能な部分や材料については活用する、とも表明した[6][12][13]

2021年(令和3年)頃から当施設の記録・保存に向けてのプロジェクトが始動、NHK沖縄放送局との協働により、2022年(令和4年)春に当施設のVR版が出来上がりNHK番組などにて公開。そして2023年(令和5年)春にNHKから那覇市に対して完成した当施設VR版などを提供した[14][15][16]

2024年(令和6年)9月、那覇市は同年11月より当施設の解体工事に着手すると表明、同年11月14日には解体工事を目前に控えての棟下式(むねおろしき)を挙行した。解体工事は同年11月15日に始まり、2026年(令和8年)2月頃に完了予定[17][18][19][20][21]

特記事項

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沖縄復帰記念式典

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1972年(昭和47年)5月15日に施行された沖縄返還の際、当施設は東京・日本武道館と共に、沖縄返還施行当日に開催された沖縄復帰記念式典の会場として使用された[20][21][注 1]

その復帰記念式典の開催当日、沖縄会場となった当施設に於いては、午前中に日本武道館と共に政府主催の沖縄復帰記念式典を、午後には沖縄県主催の「沖縄県発足式典」をそれぞれ開いているが、その当日の午前・午後とも、当施設に隣接する与儀公園に於いては政府主導の沖縄返還に抗議するデモや集会が開かれていた[24]

跡地活用について

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当施設と同じく真和志地区内に所在し、同じく老朽化を理由に2024年(令和6年)9月末を以て閉鎖した那覇市役所真和志支所が、2028年に当施設跡地に建設される「新真和志支所複合施設(仮称)」に移転する予定となっている[25][26][注 2]

デジタル保存「バーチャル那覇市民会館」

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2016年(平成28年)より休館し、解体予定とされた当施設について、那覇市とNHK沖縄放送局がこれを3Dデータとしてデジタル保存するプロジェクトを立ち上げ、館内の測量などを実施。2021年(令和3年)10月のうちに測量をほぼ終え、同年11月12日に両者の間で記録保存に関する協定を締結[14]

その後、NHKは測量で得られた3Dデータを基に、沖縄国際大学産業情報学科・大山健治講師の研究室と連携して、デジタル空間上に於ける当施設の再現に着手。「地元の宝を後世に引き継ぎたい」との思いを抱きつつ約5か月かけて製作、2022年(令和4年)3月には当施設の後継施設である那覇文化芸術劇場なはーとに於いて当施設VR版のデモ展示を実現させた[5][30]

そして2023年(令和5年)03月24日、NHKから那覇市に対して、NHK取得の那覇市民会館の3Dのデジタルデータ、並びにそれを基に制作した「バーチャル那覇市民会館」のデータを提供するに至った[16]

交通

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周辺

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脚注

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注釈

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  1. ^ 東京会場となった日本武道館には昭和天皇や当時の首相・佐藤栄作らが姿を見せた一方、沖縄会場となった当施設には初代の沖縄県知事・屋良朝苗を初め、沖縄復帰に合わせて新設された沖縄開発庁(現・沖縄振興局)の初代長官に就任した山中貞則も姿を見せていた[22][23]
  2. ^ この複合施設が完成するまでの間は、当施設の沖縄県道222号線を挟んでほぼ斜め向かいに所在する那覇市保健所の3階に仮移転して業務を継続することになっている[7][25][27][28][29]

出典

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  1. ^ a b c d 那覇文化芸術劇場なはーと 建設記念誌 (PDF)」那覇市。2024年6月9日閲覧
  2. ^ a b ~“文化の殿堂” 那覇市民会館~ (PDF)」那覇市。2024年6月9日閲覧
  3. ^ 沖縄の原風景との対話・建築家金城信吉の世界”. コラム…アシビナー. 設計同人GAN. 2024年11月22日閲覧。
  4. ^ 「魂の舞台」休館惜しむ 那覇市民会館・開館46年」『琉球新報』2016年11月19日。2024年11月22日閲覧。
  5. ^ a b 『沖縄VR1972』旅のしおり④ 那覇市民会館と復帰”. クローズアップ現代. NHK. 2024年11月17日閲覧。
  6. ^ a b c 那覇市民会館の保存可能性等について(答申)”. 那覇市民会館保存可能性等検討委員会 (2019年10月). 2024年11月17日閲覧。
  7. ^ a b 那覇市民会館”. 建築パース.com. メガソフト. 2024年11月17日閲覧。
  8. ^ a b 金城美智子「那覇市民会館倒壊の恐れ あすから「無期限休館」 耐震診断結果踏まえ市決定」『琉球新報』2016年10月12日。2024年11月22日閲覧。
  9. ^ a b 大城誠二「那覇市民会館が休館 大地震で倒壊恐れ 取り壊し、保存…協議へ」『琉球新報』2016年10月13日。2024年11月22日閲覧。
  10. ^ 那覇市民会館11月から休館 耐震検査のため」『琉球新報』2016年9月20日。2024年11月22日閲覧。
  11. ^ a b 大城誠二「那覇市民会館閉館へ 保存か解体か検討 補修費試算31億円」『琉球新報』2017年4月27日。2024年11月22日閲覧。
  12. ^ a b 那覇市民会館、部分復元へ 解体後、特徴建築を再現」『琉球新報』2019年9月12日。2024年11月22日閲覧。
  13. ^ a b 那覇市民会館の部分復元を答申 検討委、赤瓦や雨端、ひんぷん再現」『琉球新報』2019年10月25日。2024年11月22日閲覧。
  14. ^ a b 旧那覇市民会館、3Dで記録保存 那覇市とNHKが協定」『琉球新報』2021年11月13日。2024年11月17日閲覧。
  15. ^ 農連市場や那覇市民会館、ゲート通り…VR空間でよみがえる復帰前後の沖縄 NHKクロ現で11日放送」『沖縄タイムス+プラス』2022年5月8日。2024年11月22日閲覧。
  16. ^ a b 西銘研志郎「那覇市民会館、歴史を後世に NHK沖縄が3Dデータを市に提供」『琉球新報』2023年4月11日。2024年11月17日閲覧。
  17. ^ まちなみ共創部建築工事課新真和志複合施設建設室 (2024年11月15日). “旧那覇市民会館 棟下式の開催について”. 行政情報. 那覇市. 2024年11月22日閲覧。
  18. ^ 「文化の殿堂」とも呼ばれた旧那覇市民会館、11月に解体工事 2025年度末に完了する見通し」『沖縄タイムス+プラス』2024年9月11日。2024年11月22日閲覧。
  19. ^ 社会部・玉城日向子「「文化の殿堂」に惜別 旧那覇市民会館 解体工事前に棟下式 跡地には支所などが集まった複合施設を建設」『沖縄タイムス+プラス』2024年11月15日。2024年11月22日閲覧。
  20. ^ a b 旧那覇市民会館 解体を前に工事の安全などを祈願する催し」『NHK沖縄県のニュース』2024年11月15日。2024年11月17日閲覧。
  21. ^ a b 沖縄の歴史見守った那覇市民会館解体へ棟下式」『OKITIVE』沖縄テレビ放送、2024年11月16日。2024年11月17日閲覧。
  22. ^ 「感動と悔しさ」 50年前、沖縄の日本復帰当日に気持ち交錯」『毎日新聞』2022年5月15日。2024年11月17日閲覧。
  23. ^ <社説>週のはじめに考える 基地存続に無念の涙雨」『東京新聞』2022年5月15日。2024年11月17日閲覧。
  24. ^ 【ちむどんどん第25話】雨の中迎えた復帰の日 1972年5月15日の沖縄 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】」『琉球新報』2022年5月13日。2024年11月17日閲覧。
  25. ^ a b (5)真和志地域 まちづくり方針”. 那覇市都市計画マスタープラン. 那覇市. 2024年11月17日閲覧。
  26. ^ 解体?再整備? 真和志支所、9月末で閉庁へ アメリカ統治下に完成」『朝日新聞』2024年6月9日。2024年11月17日閲覧。「沖縄タイムスからの提供記事」
  27. ^ 真和志支所の仮移転及び業務再開のお知らせ”. 那覇市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
  28. ^ ハイサイ市民課真和志支所の那覇市保健所への仮移転について”. 那覇市 (2024年10月2日). 2024年11月24日閲覧。
  29. ^ (仮称)新真和志支所複合施設 基本計画 (PDF) (Report). 那覇市. pp. 3–4. 2024年11月25日閲覧令和3年(2021年)3月発行
  30. ^ 嘉数陽「閉館した那覇市民会館を3Dで再現 建物内の「散歩」も 沖国大生と那覇市、NHKが共同でデジタル保存へ」『琉球新報』2022年6月30日。2024年11月17日閲覧。

外部リンク

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