諏訪神社停留場
諏訪神社停留場(すわじんじゃていりゅうじょう、諏訪神社電停)は、長崎県長崎市出来大工町にある長崎電気軌道蛍茶屋支線の路面電車停留場である。駅番号は39。2号系統、3号系統、4号系統、5号系統が停車する。
諏訪神社停留場 | |
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全景 | |
すわじんじゃ Suwa-jinja Shrine | |
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所在地 | 長崎県長崎市出来大工町4番地先 |
駅番号 | 39 |
所属事業者 | 長崎電気軌道 |
所属路線 | 蛍茶屋支線(□2号系統・■3号系統・■4号系統・■5号系統) |
キロ程 | 1.3 km(西浜町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
3,500人/日 -2015年- |
開業年月日 | 1920年(大正9年)7月9日 |
歴史
編集当停留場は1920年(大正9年)、長崎電軌の第3期線桜町 - 馬町間の開通に合わせて馬町停留場(うままちていりゅうじょう)として開業した[2][3]。当時の終点で、1922年(大正11年)には車庫が開設された[2]。
1934年(昭和9年)には蛍茶屋までの区間が延伸開通[2]。馬町停留場は廃止され[4][5]、移設のうえ諏訪神社下停留場(すわじんじゃしたていりゅうじょう)と改称した[6]。1936年(昭和11年)には諏訪神社前停留場(すわじんじゃまえていりゅうじょう)に改称[2]。2018年(平成30年)には停留場の最寄り施設を明確にするため、「前」を外して諏訪神社停留場に改称した[7]。
年表
編集構造
編集諏訪神社停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれている[13][14]。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配される(相対式ホーム)[13][14]。線路の北側にあるのが蛍茶屋方面行きのホーム、南側にあるのが西浜町・長崎駅前方面行きのホーム[13][14]。付近にある馬町交差点の交通渋滞緩和のため横断歩道は設置されず、両ホームへは地下道にて連絡していた[1]。
バリアフリー化と馬町交差点の渋滞緩和を目的に2024年12月17日より電停を蛍茶屋方向に移設し、階段を伴う地下道から地上での行き来が出来る横断歩道での連絡になった。旧ホーム跡地は馬町交差点の国道34号長崎市街地方向4車線化に転用される。地下道は存置されるがホームへの階段は閉鎖される[11][12]。
戦前よりホーム(安全地帯)を備えた数少ない停留場の一つ[15]だったが、安全地帯は戦時中に軍の命令を受けて一度撤去されている[2][16]。
馬町車庫
編集当地にはかつて長崎電軌の車両基地、馬町車庫が置かれていた。1922年の開設で側線を3本備え、収容能力は車両20両分ほど[8]。車庫の建物は当時としては立派な2階建ての洋風建築で、2階は貸事務所、表通りに面した一画は貸店舗として使用された[2]。車庫はその後、1934年に大橋車庫が完成したのに伴い閉鎖され[8]、長崎電軌の本社事務所へと改装された[17]。車庫があった場所は出来大工町にあるガソリンスタンド、ENEOS馬町SS付近(北緯32度45分7.5秒 東経129度52分58.7秒 / 北緯32.752083度 東経129.882972度)に相当する[8]。
利用状況
編集長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。
バス路線
編集周辺
編集隣の停留場
編集脚注
編集- ^ a b c 田栗 & 宮川 2000, p. 74.
- ^ a b c d e f 田栗 2005, p. 83.
- ^ a b c 100年史, p. 129.
- ^ a b c d 今尾 2009, p. 58.
- ^ 100年史, p. 128.
- ^ a b c d 100年史, p. 126.
- ^ a b “電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e 100年史, p. 18.
- ^ a b 田栗 2005, p. 157.
- ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23
- ^ a b “諏訪神社電停の切り替えについて”. 長崎電気軌道 (2024年11月29日). 2024年12月18日閲覧。
- ^ a b 長崎放送 (2024年12月17日). “地下道でしか行けなかった「諏訪神社電停」45メートル移動、横断歩道も新設 バリアフリー化と渋滞緩和両立へ【長崎】”. TBS NEWS DIG 2024年12月18日閲覧。
- ^ a b c 100年史, p. 130.
- ^ a b c 川島 2013, p. 48.
- ^ 当時安全地帯があったのは当停留場から先、蛍茶屋までの各停留場のみだった。
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 89.
- ^ 田栗 2005, p. 158.
- ^ 100年史, p. 125.
参考文献
編集- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6。
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2。
- 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4。
- 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。