藤原 忠幹(ふじわら の ただもと)は、平安時代中期の貴族藤原北家長良流大納言藤原国経の子。官位正四位上中宮亮

 
藤原忠幹
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正四位上中宮亮
主君 村上天皇
氏族 藤原北家長良流
父母 父:藤原国経、母:藤原末並の娘
兄弟 滋幹忠幹、世光、保命
藤原子高の娘
文信、季明、源宣方室、藤原兼家室、源奉職室
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経歴

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山城守大和守中宮亮勘解由長官を歴任し、天暦4年(950年)頃に河内守を務めている。中宮亮を務めていた頃に摂政藤原兼家が忠幹の邸に通い自身の娘が兼家の室となり道義を産んでいる。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『本朝世紀』
  2. ^ 『多武峰略記』地1,末寺
  3. ^ 『多武峰略記』地1,堂舎付仏像

参考文献

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